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都知事選の前に全員に『女帝 小池百合子』を読んで欲しかった

話題の『女帝 小池百合子』を読んだ。たいへん面白かった。小池百合子のことは全く知らなくて、「嘘ばっかりついて政治家として信用ならんやつだな!」くらいにしか思ってなかったのだが、生い立ちや政治家になるまでの軌跡を丹念に追いかけている本書はありがたかった。小池百合子が竹村健一のアシスタントしてた記憶なんか微塵も残ってないし、ワールドビジネスサテライトなんか見てもないから、彼女がそもそもどこから出てきたとかも僕は知らなかったのだ。僕みたいな人ほど読んだ方が良いかもしれない。そして小池百合子というのが、人生の端々でついてきた嘘とかハッタリについても取材を通してよくまとめてあって勉強になる。

 

それにしてもこの本の始まり方はすごい。すごすぎるので少しだけ引用しようと思う。

 

その人はひどく怯え、絶対に自分の名が特定されないようにしてくれと、何度も私に訴えた。同じような言葉をこれまでに、いったいどれだけ耳にしたことだろう。

 ある日を境に電話に出てくれなくなってしまった人もいれば、家族が出て来て、「二度と近づいてくれるな」と追い払われたこともあった。皆、「彼女を語ること」を極度に恐れているのだ。

 

まるで怪談の出だしである。もしくは尼崎連続殺人事件の角田美代子とかそういうサイコパス 的な猟奇事件を思わせる。あるいは清水潔氏の『桶川ストーカー殺人事件』の中に出てくる情報提供者の怯えた様子を思い出してしまった。小池百合子とはそこまで怪物的な存在だというのだろうか。おかげでグイグイと引き付けられてしまった。掴みのうまさに負けた形だ。

 

結論からいうと、小池百合子は怪物かどうかは知らないが「女帝」と揶揄されるだけのたいした人物だった。僕はある種の人たちをいわゆる「フカし」と言って忌避しているのだが、小池百合子というのはまさに典型的な「ソレ」だった。カイロ大を卒業したと言ってのけたり、エジプト語の初歩しか勉強してないのに要人の通訳を買って出たりなどのハートの強さも含めて、今の地位を築いてきた軌跡を辿ると、大したレベルにあると認めざるを得ない。彼女の父親の立ち回りも綴られているが、彼もなかなかのものだったが実績としては娘には及ばなかったようだ。それは単に環境や運による結果の差なのか、フカしの実力の差なのかは判別がし難いが、ある種の親子二代の歪な事業の成果ともいえるのかもしれない。

 

ここでいう「フカし」というのがどういう種類の人類かというと、簡単に言えば自分の有利になるならば嘘をつくのに躊躇のない人たちのことだ。嘘の天才と言っても良い。別のタイプの嘘の天才として、小説家や漫画家やお笑い芸人みたいな創作で大成するような人たちがいる。この人たちは嘘の才能を限定された状況でしか発揮しないが(もちろんそうでない人もいるが)、フカしとはあらゆる場面でいかんなく嘘の才能を発揮する人のことだ。多くの人は小説家や漫才師が面白いことを言っても間に受けたりしない。それは創作という枠組みの中で「いまから嘘つきますよー」とスタートの合図をかけられてるから。しかし日常の何気ない場面での嘘には滅法弱い性質がある。だから舞台を降りたあとの漫才師の言葉は、うっかり信用してしまうかもしれない。

 

「まさかそんなところで嘘をつくか?」と誰もが警戒しないところでつく嘘こそフカしの醍醐味。「そんなすぐバレるような嘘はつかんだろ」と思うような大胆不敵な嘘も、だからこそ騙しやすいともいえる。というか、フカしと呼ばれる人たちは365日が嘘の連続なので、本人は意識しないでも嘘がいくらでもつける。その場をリードしさえすればいいから、とりあえず大きいことを言ってカマしておく。あと先のことなんかあまり考えない。そもそもあと先のことを考えたら嘘なんかつけない。後でその嘘を突っ込まれたら、補強するための第二の嘘をつけば良いだけだ。非常に演繹的な行為だともいえる。また、過去の話をするときは帰納法を駆使して世界観に深みを出してくる。これら、実は小説などストーリーを創作するときのテクニックだが、彼らはリアルタイム小説家みたいなもんだ。フカしの特徴として、ちょっとした話がいちいち面白いというのがある。そりゃ日々創作活動に勤しんでるんだから、面白エピソードなんかいくらでも盛り込める。リアルタイム小説家みたいな人がこの世にいることをあまり認識してない人は「あそこまで詳細に語ったエピソードが嘘なんてことはないだろう」と油断してしまう。たまたま隣に居合わせた痩せっぽっちの男性が、ジークンドーの達人だったりしても見抜けないのと同じで(余談だが、格闘家の何人かは、性別も含めて本当に見た目では分からないので、無闇に喧嘩をするのはやめた方が良い)、自分と何気に話している人が、世界ランカー級の嘘つきみだとは普通は想定してないからアッサリとやられてしまう。小池都知事の最近の後先考えずに注目だけひくような言動の数々を振り返ってみても、世界ランキングとまでは言えるかどうかは分からないにしても、年季の入った熟練の技にみえる。

 

彼女の言動でよく指摘される「意味の分からないカタカナ用語を展開しては注目を引き、その説明をする前に次のカタカナ用語を繰り出して謎の連続で引き付けるテクニック」など、危機や謎の連発で次への興味を引っ張り続ける週刊連載漫画や連続ドラマなんかと同じじゃないかと思う。同じフカしでも維新の松井市長の下手くそで話題性のない嘘と比べて欲しい。松井なんかとは完成度も深みもぜんぜん違う。モラルが無ければ嘘がつけるというもんでもなく、そこはやはり才能の優劣はある。

 

長々とフカし気質について説明してしまったが、世の中にはそんな人がいっぱいいるのはしょうがない。嘘を極めたような人がいても別にそれはそれで良いと思う。問題はそういうフカしが政治家になり知事などという要職におさまってしまうことにある。そこについても本書はするどく経緯を辿ってる。そこに見えてくるのは、本人の技量や能力などより、見栄えやそこに付随するストーリー性(芦屋のお嬢さん出身であるとか、若い女性がカイロ大学に留学して日本人初の首席で卒業とか、ミニスカートを履いた女性議員とか)ばかりに注目して囃し立てるマスコミ各社。そこに問題点を見出せない未成熟な日本社会があった。マスコミはつまんない真実よりも、面白いストーリーに飢えているのだ。そんなストーリーを提供し続ける人物は持て囃されやすい。フカしには実に生きやすい世界だとも言える。女性をマスコットとしてしか見ない圧倒的な男性社会がゆえに目立っていった面も見逃せない。あらゆる条件が彼女のような人物に有利に働いたようにも見えてしまう。こんな世の中であるから、別に彼女じゃなくても、似たような人物はちやほやされて、どっかで政治家におさまってたりするのだろう。そういえば橋下とかもそうだった。

 

まあ、そんなわけで、築地の移転問題もほったらかし、五輪優先でコロナの対処も立ち遅れて、それからも訳のわからんカタカナ連発してるだけの彼女が今も知事に居座ってしまっているわけだ。そしてマスコミは未だに真実の報道をしようともしない。一説には五輪利権のうえで小池百合子を都知事に据え付けておいた方が良いから、テレビ局などは選挙の不利になるような報道には消極的になっているとも聞く。大阪で起きていることと全く同じ構造の問題が東京でも展開しているということだ。やはりテレビが影響力を発揮しているうちはどうにもならないのだろうか。都知事選の結果に注目が集まるが、野党連合が推す宇都宮氏や、山本太郎はちょっと厳しいのかと思うと悲しくなるのでこの記事を書いて少しでも応援しようと思った。自分は残念ながら東京都民ではないので何も出来ない。もっとも、自分が住んでいる大阪府知事選も何とも出来なかったが。維新なんか入れたこともないのに。

 

最後に、この本への苦言も実は多少あって、百合子の心境やら、家族との確執やら、ストーリーを作りすぎな部分がけっこうあるのだ。そんな内面のことは分からんやろとつっこまずにはいられない。その方がドラマチックになって理解しやすいと思ったのかもしれないが、それって百合子がやってる「面白ストーリーを作って興味を引く」という手法と変わらないから。百合子批判の本としてはちょっと皮肉なところがあるのが玉に瑕か。ノンフィクションなら事実だけを淡々と拾って欲しかったという気持ちがある。あと舛添要一との恋愛話も、時期的にありえないと本人から反論されていた。

40年前、私に学歴を「詐称」した小池都知事 小池都知事の嘘とパフォーマンスが東京都を没落させる(1/4) | JBpress(Japan Business Press)

 

女帝 小池百合子 (文春e-book)

女帝 小池百合子 (文春e-book)

  • 作者:石井 妙子
  • 発売日: 2020/05/29
  • メディア: Kindle版
 
桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

  • 作者:潔, 清水
  • 発売日: 2004/05/28
  • メディア: 文庫
 
新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相 (文春文庫)

新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相 (文春文庫)

  • 作者:小野一光
  • 発売日: 2017/08/04
  • メディア: Kindle版
 

清水潔『鉄路の果てに』は鉄道と歴史好きは読んでみて欲しい一冊!

鉄路の果てに

鉄路の果てに

  • 作者:清水潔
  • 発売日: 2020/05/21
  • メディア: Kindle版
 
桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

  • 作者:潔, 清水
  • 発売日: 2004/05/28
  • メディア: 文庫
 

清水記者こと清水潔氏の代表作は『桶川ストーカー殺人事件』とされる。清水記者を知らなかった僕が初めて手にとって読んだのもこの本だった。事件もののノンフィクション『でっちあげ (新潮文庫)』をてっちゃんに勧められてAmazonで検索していた時に、何気に同種の本として画面に出てきたのがソレだった。桶川ストーカー殺人事件……。それまでにぜんぜん聞いたことのない事件だったが、何故か即注文したのを覚えている。もともと探していた方はそっちのけで。なぜそこまで惹かれたのか忘れたが、Amazonの紹介ページから何か強く伝わるところがあったのだろう。(『でっちあげも』後に読んだ。ちゃんと読んだ。)

 

本が届いて冒頭をめくったらたちまち引き込まれて一気呵成に読んでしまった。深い感銘を受けた。続けて同著者の『殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―』も注文した。まだ文庫版は出てなくて新書サイズのしかなかった。やはり冒頭から引き込まれて気が付けば最終ページ。なんとすごい記者だと思ったもんだ。

 

すっかり味をしめてあまり興味のなかった事件ものノンフィクションにハマってしまい、しばらくその類の本を漁るようになっていた自分がいる。それまで事件もののルポルタージュと言われるようなものは、興味本位で露悪的で下世話なものというような色眼鏡があったように思う。カポーティの『冷血』を読んでいたにもかかわらずだ。本当のところカポーティの凄さもイマイチわかってなかったのだろう。(だいぶ後回しになってしまった『でっちあげ』も面白かったです。)

 

とりわけ清水潔氏のジャーナリズムは本気の事件調査だった。警察に任せておけば迷宮入り、もしくは冤罪事件になっていたかもしれない事件の解決にまで踏み込むものだった。自分からしたらジャーナリストの範疇を超えた活躍にも見えた。事件もののルポを含むジャーナリズムというものが社会で果たす役割の大きさを僕に教え込んだのは、間違いなく清水記者だといえる。それまでは、なんとなくだった。ジャーナリズムなんか「あって当たり前」という感覚だったのかもしれない。冷静に考えてそんなわけは無いのに。人間は意識して考えない項目は、とことん考えない性質があるみたいだ。眼球に飛び込む視野のすべての映像をいちいち見てないのと同じ。

 

調査報道と発表報道の違いを教えてくれたのも清水記者。調査報道とは記者が自分の手や足で調べた記事。何を当たり前にと思うかもしれないが、世の中には発表報道というのがあって、政府や企業が発表した内容をそのまま聞いてきて記事に書くだけの使いっ走りのような報道は多いのだ。そういえばと思い当たるフシのある方も多いと思う。

 

清水記者はもちろん調査報道のプロだ。警察が犯人など探そうとせずにあまつさえ被害者の名誉を毀損した『桶川ストーカー殺人事件』、真犯人を探さないどころか関係ない人を逮捕して長い間刑務所に閉じ込めていた『殺人犯はそこにいる』。いずれのケースでも持ち前の粘り強い調査能力を発揮して警察の発表を覆している。ジャーナリズムが発表報道に徹していたらと思うと、ゾッとする真実がそこにはあった。現代の名探偵がいるとしたら清水記者のような人をいうのだろうと思った。ただしこれはフィクションではないのだ。確実にそこには被害者たちがいた。「小さい声を聞け」が清水記者のモットーだった。

 

その後も清水潔氏はテレビ局に活躍の場を移し、戦前の歴史事件の調査などを手掛けてドキュメンタリーのギャラクシー賞を受賞したりしている。こちらも本になったりもしているので広く読まれて欲しい。大袈裟ではなくて日本人すべてに読まれるべきだと思う。世の中で何が正しくて、何が正しくないかを知る助けになるのは間違いない。清水記者のキャッチフレーズに「知らないことは罪だ」というのがある。日本人には知らないでは済まされないことがまだまだたくさんある。

 

そんな清水記者の待望の新刊『鉄路の果てに』が5月に発売になった。電子書籍での取り扱いもすぐ始まったので購入。この本の内容はというと、取り壊しを待つだけの一軒の家を訪れるところから始まる。ここは清水記者の生家だった。懐かしい思い出の詰まった家に独りお別れを言いにきたのだ。団らんの日々に思いを馳せる。

 

「当たり前と思っていた日常とは、とてももろい。」

 

勝手に胸が苦しくなった。そういえば僕にも育った家があった。家族の団欒などがあった思い出の家はとっくの昔に取り壊されたはず。親の借金のカタに土地をとられてしまい諸々の思い出は問答無用になくなってしまった。実にあっけないものだった。あれよあれよと一家も雲散霧消。清水記者の年齢よりもずっとはやくに実家というものや帰るべき場所なんかは消滅していたことになる。そうなのだ。日常なんかは実にもろい。人生だって、記憶だって、簡単に消えて無くなる。事故や事件に巻き込まれて亡くなった人たちも、まさか自分の日常がそんなあっけないものだとは考えない。またしても冒頭から引き込まれていっている自分がいた。

 

清水記者はカメラマンでもあり筋金入りの鉄オタでもある。そういったルーツは、亡くなったお父さんから引き継いでいったものらしい。カメラを趣味にしており、戦時中は鉄道連隊として大陸にいた父親。シベリアに抑留されて苦労して帰国したが、戦争の話はほとんどしなかったという。その父の書棚で見つけた戦争の記憶のメモと思わしきものにあった「だまされた」という謎の文字。さまざまな調査をしてきた清水記者だが、ついには自分自身のルーツを調査する旅に出てしまう。それも鉄オタの究極の夢ともいえるシベリア鉄道に乗って。

 

こう書くとまるで調査報道最終回みたいだが、清水記者信奉者としてはもちろん最終回にはなっては欲しくない。清水記者がシベリア行きの鉄路の果てに見たものが何だったのか。気になるなら読むしかない。暗く重い話のようだが、実際は軽妙に読める鉄オタ旅日記という面が強い。自分はシベリア鉄道に乗る機会などなさそうだけど何泊もする極寒の鉄道旅(どうしたってゴージャスだし)に興味津々だ。旅の仲間は『尖閣ゲーム』『潔白』で有名な小説家の青木俊先生。二人でカップ焼きそばやサントリー角瓶なんかを抱え込んでシベリア鉄道に乗り込む。そしていく先々で鉄道と歴史のつながりを知っていく。そして現代と過去との長距離列車のレールのような、長い長い繋がりが鮮明に浮き上がっていく仕組みになっている。過去を知れば現代がわかるし、現代を知れば過去もわかっていく。欠損したピースを埋める作業が大好きな歴史好きにはたまらない。

 

あとなんといっても1067mmと1435mmの問題。ご存知のとおり日本の鉄道ではそれぞれ狭軌と標準軌と呼ばれているレール幅の規格だ。ところがシベリア鉄道は1520mmという世界でも特殊な規格。そこにも戦略的な意味があったりする。そういうのを知るだけでも面白い。関西人は標準軌の鉄道によく乗っているが、JRの在来線は1067mmの狭軌である。狭軌の残念さはよく論じられるが、JR在来線の車窓が素晴らしい理由としては山深い秘境にもギリギリで張り巡らされた鉄道網がゆえの気もした。久しぶりに山間のJRに乗ってみたいがコロナで大阪府内に釘付けにされてしまっていた。そうこうしているうちに地方路線も徐々に姿を消していってしまう。

 

他にもロシアと日本とのかかわりとして明治時代の大津事件などが紹介されていて興味が出てしまった。ロシアのニコライ2世が皇太子の頃に日本の滋賀県で襲われて負傷した事件だ。ロシア最後の皇帝として処刑されてしまうニコライ2世が、かつて日本で襲われたなんて歴史は知らなかった。これは後の戦争を知る上でも重要な事件になっているわりには知名度が低い気がする。自分が無知なだけ?

 

無知なのは仕方ないと吉村昭『ニコライ遭難』も購入して軽く勉強した。これもさすが吉村昭といった面白い本だった。ニコライ襲撃に関わった人たちの数奇な運命。革命や国家の方針、戦争に振り回される人々。また、検察の独立性といった問題もこの時点で立ち上がっている。いろんな意味で2020年に読むべき本だという気もする。これも『鉄路の果てに』を読んだおかげか。

ニコライ遭難

ニコライ遭難

  • 作者:吉村昭
  • 発売日: 2013/06/13
  • メディア: Kindle版
 

 

『鉄路のはてに』で残念なのは結構すぐに読み終わってしまうところ。二泊三日のシベリア旅行はあっという間だった。読みやすいといえば読みやすいのでおすすめしやすいが、僕自身はもうちょっと清水記者と青木先生の旅を長く読んでいたかったのだった。清水記者と青木先生の鉄道旅は、百閒先生とヒマラヤ山系にも負けない名コンビ。黒パンなんかの考察も面白かった。黒パンが食べたくなって大阪で買えるお店を探してみた。だいたいドイツパンだった。ロシアパンといえば山崎パンの例のやつが出てきてしまう。今はなき山パンの大ロシアは好きだ。鉄路だけに話が脱線してしまった。

 

↓清水記者がらみの記事

butao.hatenadiary.com

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鉄路の果てに

 

ときど『世界一のプロゲーマーがやっている努力2.0』を、ときど選手のファンでもない僕が読んだ理由!?

プロゲーマーのときど選手の『世界一のプロゲーマーがやっている努力2.0』を買って読んだ。

 

ちなみに僕は格ゲーにおいてはウメハラ信者であるので、ときど選手はどちらかといえばあんまり好きな選手ではない。アメリカのpunk選手の方が好きだったりするくらいだ。かりん使いとしてはついついpunk選手を応援してしまうのだ。

 

世界一のプロゲーマーがやっている 努力2.0

世界一のプロゲーマーがやっている 努力2.0

  • 作者:ときど
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2019/12/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

そもそもタイトルの胡散臭さがすごい。

 

 努力2.0!!!

 

2.0!とか、3.0!とか、すぐに言い出す奴は詐欺師の類だと常々から主張している僕からしたら噴飯もの。2.0系は2000年以降の大ヒットのバズワードだと思う。それ以前は「ニュー」「ポスト〇〇」「オルタナティブ」などが意味もなく使われてきた。

 

「ときど選手もついに…」とは思わなかったけど。「ときど選手らしいな」とは思った。悪意もなく「その方がインパクトとれそう…」と素朴な攻略として用いたっぽい雰囲気がある。そういう「目的に向かって脇目も振らず真面目に邁進する感じ」が、僕が彼を苦手にしている部分でもある。純粋な目で一生ハメてくるプレイスタイルにも通じるものがあるけど。ときど選手自身、それらは努力1.0時代のことであって、今は2.0に進化したんだと否定している。そういうのが本書の内容だ。

 

ここまで散々ときど選手をくさしてるような言い方になってしまった。べつにくさしたいわけじゃなくて印象を素直に書いていただけだ。そんな僕が本をわざわざ買って読んだ理由を疑問に思われるかもしれない。それも説明しておこう。話は簡単で、前作『東大卒プロゲーマー 理論は結局、情熱にかなわない』を買って読んで「けっこう面白かった」からだった。そしてときど選手の内面にちょっと触れたせいで、「ときどってゲーム好きで真面目で良い奴じゃん」と感情移入してしまってた自分がいたから。だから続編にあたる『努力2.0』も、なんのかんのと斜に構えつつも、発売して即買いしていた。

 

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

  • 作者:梅原 大吾
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2012/04/02
  • メディア: 新書
 

そもそも何で前作の『東大卒プロゲーマー~』を読んだのかといえば、ウメハラの著書『勝ち続ける意志力』『勝負論』『一日ひとつだけ、強くなる』などの一連の書籍が面白かったからだった。だったら業界ナンバー2的な立場でありポスト・ウメハラ(ポストを使ってしまった!)と目されるときど選手の著作も「一応読んでみるか」と思って買ったのだった。そしたら意外に面白く読めたし、もともと格ゲー業界の話が好きだったのもあって、新刊の『努力2.0』も買うしなないなと。

 

結論としては前作以上に無駄のない面白さで、内容の構成も洋書のように練られていて、最後までノンストップで読めるようになっている。最後にドミニカのMenaRD選手たちとのちょっと泣かせる話をもってくるあたり、まさに洋書のベストセラーとかでよくみられるスキのない手口に唸ってしまう。相当に優れた編集者が付いてるのだろうと思った。よく見たらダイヤモンド社だった。

 

努力2.0とはなんのかんのといって、ウメハラが『勝ち続ける意志力』などなどで言い続けていたことを、ときど選手なりにブラッシュアップして言語化したものだという理解で構わないと思う。ときど選手の近年の取り組みを見ている人たちが、薄々と感じていたものそのまま。ときど選手の言葉で言い直した「勝ち続ける意志力」といってしまえば元も子もないだろうか。どこまでもウメちゃんの後を愚直に追い続けるときど選手らしさがここにもある。

 

「だったらわかるよ。じゃあ読まなくても良いのかな?」と思った人は読まなくても良いとは思うけど、読んでも楽しいのは間違いない。文字数も少なめで、章立ても多く、いい感じにドライブかかっててすっと読めてしまうし。ただし、格ゲー界の裏ネタ的なものを求めると、そういうのは何もないので注意。あくまで一般向けの本だ。むしろ前の著書の方にその手の話はたくさん載っている。

 

それにしても「努力2.0」もそうだけど、「東大に受かる努力では、もう勝てない」というキャッチコピーなど、「東大卒プロゲーマー」以上のやたらめったら強い言葉を持ってきている。そういう意味でも前作を遥かに上回ってるといえる。こんなもん見せられたら「東大に受かるよりも凄いパワーを授けてくれる努力2.0!?」って誰だって気になってしまうに違いない。書籍分野でも貪欲に「勝ち」に来てるなと感じた。ときど選手はどこまでいってもウメハラになれない。「ときどオリジナル」とは、まさにその点なんだろうなと。

 

『勝ち続ける意志力』 にない切り口の本書のメッセージとしては、「惰弱な人ほど生活をルーチン化しろ!」とか、「持ち物やライフスタイルをシンプル化して、リソースを節約しろ!」「とにかく一点集中しろ!」「サイクルを早めろ!」あたりだろうか。なかなか多いやんか…。

 

脳や体力という自己のリソースの節約と一点集中は、なるほどものすごいパワーを生むのは分かっている。僕も経験はある。なかなか実行できないという一点以外は完璧なアドバイスといえる。ベッド以外は何も置いてないワンルームに住み続ける変人と言われるときど選手らしい切り口。毎日着る服をいちいち選ぶだけで膨大なリソースが奪われるというのも近年ではよく語られる理論。

 

東大に合格する努力では勝てないと銘打ちつつも、さりげに東大に合格した戦略とかも公開しているのも親切。ときど選手の人の良さも感じる。そう。この人は、基本的には裏表は無いのだろうと思う。

 

あと、ちょっとだけ格ゲーに踏み込んだアドバイスもあって、初歩である中足波動拳と、難しい中足クリティカルアーツの2つがあったとしたら、簡単な中足波動拳の方の精度を上げ続けた方が結果が出るよと。これはなかなか良い意見かもしれない。

 

ときど選手が毎年なぜ安定してカプコンプロツアーで上位にいられるかという理由。それは世界各国の大会に誰よりもたくさん参加してポイントを稼ぐようにしていると。たとえ打率が低くても、一つでも多くの試合に出たほうが、ポイントを稼げるでしょうと。そしていっぱい大会に出るほどに、大会慣れしていくからさらに有利なんですと。

 

そらそうかもしれないけど…。

 

カプコンプロツアーの創設時から問題点として散々指摘されている「いっぱい世界を回れる方が有利やん」というルール上の穴を、さわやかな笑顔で的確についてくるときど選手に「ときど式の頃となんも変わってないじゃないの!?」と唸るしかなかった。

 

ときど選手、お前がナンバー1だ!

 

世界一のプロゲーマーがやっている 努力2.0

世界一のプロゲーマーがやっている 努力2.0

  • 作者:ときど
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2019/12/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
東大卒プロゲーマー 論理は結局、情熱にかなわない (PHP新書)

東大卒プロゲーマー 論理は結局、情熱にかなわない (PHP新書)

  • 作者:ときど
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2014/10/03
  • メディア: Kindle版
 
1日ひとつだけ、強くなる。

1日ひとつだけ、強くなる。

  • 作者:梅原 大吾
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2015/07/13
  • メディア: Kindle版
 
勝負論 ウメハラの流儀 (小学館新書)

勝負論 ウメハラの流儀 (小学館新書)

  • 作者:梅原 大吾
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2013/10/01
  • メディア: 新書
 

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川田利明『開業から3年以内に8割が潰れるラーメン屋を失敗を重ねながら10年も続けてきたプロレスラーが伝える「してはいけない」逆説ビジネス学』を僕が読んだ理由!?

全日本のプロレスラーだった川田利明の書いた本を読んだ。けっこう話題になっている一冊だ。

僕自身は猪木や馬場がよく動けていた頃、タイガーマスクなんかいた時代の新日や全日を子供の頃に見てた世代だけど、川田利明という選手自体には思い入れは何も無い。試合を見た記憶もない。「なんかそういう選手おるよな」くらいのもんで。

 

じゃあ何で本を買ったのかというと、純粋にビジネス読み物として面白そうだったから。この本の内容ともかなり重複しているが、川田氏のラーメン屋の苦労話のネット記事が抜群だったのもある。(本のプロモーションを兼ねた記事だったのだと思う)

本を買ってまで読みたくないという人も、この一連の記事を読むだけで半分以上は内容を把握できると思う。とにかく飲食店のキツさ、それもラーメン屋を経営していくキツさを綴った本なのだ。僕も飲食業やサービス系の仕事や経営に関わる事が多い人生なので、「うんうん、わかるわかる」と頷いてしまう意見が多い。

 

「ラーメン屋だけはやるな!」というかなりの部分で正直な気持ちをこめた内容だと思うし、そんな川田利明という人の事が気になってしまったのもあって、発売されたばかりの本を注文してしまった。発売日からわりとすぐ注文したけどもう2刷になっていた。かなりの注目度だったのがわかる。大半はプロレスファンだろうけど、僕みたいな奴も買っているので、記事として普通に読ませる内容だったのだろう。

 

とにかく「ラーメン屋を始めようというバカを止める」という姿勢に貫かれているのが面白いし、ラーメン屋にまつわる厳しい話に終始しているのがかえって興味深い。そして自分の店もぜんぜん儲かってなくて赤字は拡大。店が10年続いている事だけが成果だという立場からモノを言っているのが凄い。こんなビジネス話はあっただろうか。

 

 俺もさまざまなデータを取り寄せたけど、ある調査によると一年で新規オープンするラーメン屋はだいたい3000軒だという。毎日10軒近いペースで、日本のどこかでラーメン屋が新たに暖簾を掲げていることになるが、恐ろしいことに閉店していく店も、やはり約3000軒になるのだという

 

一番好きなところを引用させてもらったが終始こんな調子。ラーメン屋はまず潰れる。普通は3年で潰れるところが、10年続いた俺はそこそこ偉いとかではなくて、むしろ潰していた方が赤字を拡大せずに済んだから賢かったとまで言い切る。一種のハードボイルド小説として読んでも面白い本だったりする。たしかに、満身創痍のプロレスラーが、儲からないラーメン屋を開業して、愚直なまでに料理を作り続ける姿は、ハードボイルドとしか言いようがなかった。風間一輝先生とか、レイモンド・チャンドラーとかが好きな人は読んでも良いかもしれない。

 

川田利明というプロレスラーのことを知らなかった人間でも、プロレス時代の内側も含めてざっと説明してくれているので、そういう面でも誰でもが読みやすい内容になっている。これ一冊読めば川田利明というキャラクターがびんびん伝わってくる。なぜ彼がプロレスを目指し成功して、なぜそんなプロレスを辞して、次はラーメン屋になろうとしたのか、その流れが無理なく理解できるようになっている。

 

正式にプロレスラーを引退したわけじゃないが、満足できる試合が出来ないならリングに上がる気はないと。そして今はラーメン屋が本業で、満足できる料理しか出したくないと言い切る川田利明。リングでも料理でもひたすら真面目なキャラクターは、やはりハードボイルドの主人公として成立している。すくなくとも本書の中においては読者の感情移入度は半端ない。そしてたしかに構成的には小説として完成されている。編集した人の力量はたいしたものだと思った。

 

本書が面白いのは、単なる小説と違って、リアルタイムで進行中の出来事を書いていることだ。だから本の中の川田利明のキャラに感銘を受けたとしたら、すぐさま彼の店「麺じゃらすK」に足を運んで、実際のところを確かめてみることが可能。僕はものすごく彼のラーメンや唐揚げが食べたくなってしまった。リアル聖地巡りというやつか。これを最後まで読んでしまったら、ほとんどの人は食べに行きたくなるんじゃないだろうか。

 

あと心に残る教えとして「飲食店の立ち上げ時にしでかしたオペレーションの不手際は10年経っても引きずってしまう」というものがあった。店を始めたころはたいていの人は素人。しかしお客さんはそんなことは大目に見てくれない。そこで「不慣れな店だね」「味がまだまだだね」と言われた評価は、ずっと後になってそれらが改善されたとしてもそのまま。たしかにその通りである。

 

実際に彼の店の食べログレビューには、何年も前に書かれた「不慣れな店です」とか「発展途上の味です」みたいな事を書かれたのがそのまま残っている!しかもけっこうな上位に表示され続けているという恐怖!川田利明の記事を読んだ後に、食べログレビューを見て「やっぱりそうなんかな?」とか、僕ですら少し思ってしまった事実がある。そういうのを身をもって証明しているのが凄い。中身のある本だ。

 

本の中にも「バイトは金がかかるから雇わない」「何から何まで独りでやることにこだわる」「券売機が頼りになるパートナー」みたいな事がたくさん書いてあるので、ハードボイルドなオヤジがひたすら独りでやってるラーメン屋という印象を受けてしまうが、実際のお店はホール係の奥さんと二人三脚でやっているらしい。そのへんボカして書いているのは夫婦の話にするとテーマがブレちゃうからだろうか。なんにせよ店に足を運んでみれば真実のところがわかるわけだし、どうでも良いっちゃ良いけれど。とにかく店に行きたくなってるのは間違いない。

 

店に行くハードルとして、東京まで行かねばならないのは当然として、駅からやたら遠いというのがある。これが川田利明のラーメン屋が商売にとって不利になっている最大の理由にして、なおかつ最強の理由なのも重要なポイントだ。なにしろ、うっかりそんなところに店を借りてしまったというワンミスが、その後のすべての苦労の元凶になっていて、それを分かっていながらにしてどこにも逃げれない理由だったりするのが本書で明らかになる。商売は恐ろしいのだ。そういうストーリィも踏まえると、駅から10分以上歩いていくらしい道程にもいちいち味わいが出そうな気がする。まだ行った事ないけれど。

 

あと、タレント本にありがちな、字が大きくて分量もそんなに無いという本なので、老眼の人にも優しいのでオススメしやすい。非常にテンポよく読んでいける。あんまり本を読まないという人も安心して欲しい。

 電書版とかは今は出てない。

川田利明

年末なので近年でかなりの知見を得れたオススメ本とかをまとめておく

晦日で2018年の最終日ですので、ここのところの人生が変わるくらいの知見を得たポイントと、それの元になった有用な本をまとめておく。一年以内の話にしようと思うが、2017年に読んだやつも多少は混じっているかもしれない。

 

 

暴力の人類史 上

暴力の人類史 上

 

まずはなんといっても人類の歴史に対する理解が大幅に変わったことが大きい。スティーブン・ピンカーの『暴力の人類史』が巨大なきっかけになっているのは間違いないのだけど、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』も今年になって読んだと記憶している。そんで『昨日までの世界』も続けて読んで、そうなったらビル・ゲイツの強烈な推しであるユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』も読むわけだ。ちなみに『暴力の人類史』もビル・ゲイツ推薦本。

 

これら本から得れた知見は、ものすごく単純に言えば「現代になればなるほど人類社会からは暴力が減っている」という歴史的な認識だ。ジャレド・ダイアモンドの本も、ユヴァル・ノア・ハラリの本も、大まかに言えば壮大な歴史の話であって、有史以前の人類はどういう生き方をしてきたか、そしてどういう手順で進化してきたのかを整理・考察していくという内容なのだが、これを『暴力の人類史』を前提にして読むと捗る捗る。もちろん逆に読んでも良いとは思う。『昨日までの世界』は、現代でも古代と近い生活習慣を続けている少数民族をモデルに、古代の人類の生活様式を探っていこうという内容なので、『暴力の人類史』で主張している事柄をほぼ裏付ける内容になっていたりする。これも相互に補完していて捗り方が半端ない。

 

なんだか今まで不確かなイメージだけで「昔になればなるほど、棍棒で殴り合うくらいしか出来なかっただろうし、人間なんて森で平和に暮らしてたんだろうなあ?」などとぼんやりと考えていたことが、2割も正解じゃなかったことがわかった。人間は昔にいけばいくほど殺しに躊躇なかったし、暴力のみが支配する世界だったことが強烈にわかる。そしてそういう時代がたいして代わり映えせずに何千年も続いてきたのだった。ここ100年くらいで急激に人類は前進し始めたのだ。そういうことがわかる。

 

歴史好きは読んでおいて間違いない。歴史に対する理解度が100倍くらいになる。

 

文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)
 
サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

 

 

フェルマーの最終定理』で有名なサイモン・シンによる『代替医療のトリック』も強烈な一冊だった。なんせ長年にわたってずっと僕の疑問だった「なんで針を体に刺したら病気が治ったりするの?なんで足の裏をもんだら内蔵がよくなったりするの?なんで首を曲げてポキポキとやったら身体に効くの?誰も納得のいく説明してくれないし、全く意味がわからん」という問題について、本一冊でこれ以上ないくらいに明快な答えをくらたからだ。

代替医療解剖 (新潮文庫)

代替医療解剖 (新潮文庫)

 

 

 

「ぜんぶ嘘!ランダム化比較試験の確立によってそれら代替医療は効果なしと証明されている!だいたいの療法は、どっかのおっさんの思いつきが、さしたる検証も経ずに人気で広まっただけ!」

 

鍼灸も、カイロプラクティックも、足裏反射区も、気持ちいいくらいに根拠の無い健康法だった。同時にプラセボ効果の恐ろしさも説明してくれる。おかげでこれからしょうもない療法で頭を悩ませなくて済みそうだ。そしてランダム化比較試験の偉大さを知るとともに、統計学的アプローチや比較試験の導入で医学がみるみると進歩していったのは、ほんの100年くらいの話だという知見を得られた。それまでの人類は医学の分野においても、たいした進歩はみられず同じようなところを堂々めぐりしていたようなものだったらしい。さっきの歴史の話とかぶっているのだ!

 

 

知ってるつもり――無知の科学

知ってるつもり――無知の科学

 

『知ってるつもり 無知の科学』は集合知についての知見を与えてくれた。人間は社会的に知られていることは「知っている」として活動する生き物らしい。基本的には外部からつっつかれるまで何の疑問も持たずに生きていってしまう。だからこうやって本を読んだりして「知らなかったこと」を探していくしかない。

 

 

シャーデンフロイデ: 人の不幸を喜ぶ私たちの闇

シャーデンフロイデ: 人の不幸を喜ぶ私たちの闇

 

シャーデンフロイデ:他人の不幸を喜ぶ私たちの闇』は、我々が他人の幸福に不安を覚えて、他人の不幸に快感を覚えるのは何故かということについての学説。これも社会的な生き物だからという解釈で非常に納得させられる。人間はあんがい自分で感情をコントロール出来ない。そういう事を承知しているかどうかでもずいぶんと変わってくるはずだ。

 

 

失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織

失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織

 

『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』失敗を認めないことには失敗を防ぐ事は出来ないというごく当たり前の理屈なのだけど、どうにも人間は失敗を認識できない生き物のようだ。だから比較検証や統計学的アプローチが導入される前は、ほとんど同じ場所にとどまり続けたという歴史の敬意と合致する。人類は様々なテストや統計を通して、近代に入ってからようやく失敗を認識出来るようになったという言い方も可能だ。

 

世界を変えた14の密約

世界を変えた14の密約

 

『世界を変えた14の密約』は陰謀論的なタイトルではあるが、実は世界的に起きている事象のまとめのような本。ざっと読んでいけば次の興味へのインデックスにもなるし、ドメスティックな視点に陥りがちな日本人にとって、世界的な潮流の中での日本の立ち位置を確認するのにも役に立つ。とにかく疑問に思ったらさらに深く調べていけば良い。なんだかんだで、日本独自の問題というのは、それほどは多くないのだという事をわからされる一冊でもある。

 

 

誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性

誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性

 

『誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性』Googleの検索ワードやインターネットなどのビッグデータというのは新しい時代の統計でもある。ぼんやりした思い込みやイメージを、統計的なデータで打ち砕いてくれる内容になっている。まだまだ発展途上の分析ではあるけれど、思い込みによるイメージよりははっきりとした足がかりを与えてくれるし、なかなか衝撃的な調査結果があったりする。とにかく「知ってるつもり」は危険だということを強く認識させてくれた。

 

 

ある世捨て人の物語: 誰にも知られず森で27年間暮らした男

ある世捨て人の物語: 誰にも知られず森で27年間暮らした男

 

『ある世捨て人の物語』『ヒルビリー・エレジー』は、絶対に本にならなかったであろう層の人たちについての物語。前者は一生世間から隠れて暮らしていたはずの人にインタビューを敢行するという発見の話だし、後者は普通は発言しない元白人貧困層が、自らの体験と家族の歴史を本として綴っていったという貴重な史料だ。

 

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

 

ヒルビリー・エレジー』に出てくる現代の白人貧困層の感覚と言動が『暴力の人類史』や『昨日までの世界』の内容とかぶるし、さらに白人貧困層がなぜそういう文化や生活様式を構築していくかは、居住地域や資源や経済の推移の都合という運の要素が強大であって、決して人間の内容が違うという事ではないという点において、タイムスパンは短いながらも『銃・病原菌・鉄』で述べられていることとあまり変わらない。

 

 

いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

『いつも「時間がない」あなたに:欠乏の行動経済学』これは今年最大の衝撃といって良いかもしれない。貧困層が搾取されているのは、お金や教育だけではなくて思考力もだった!という観点からの分析が述べられている。失敗を繰り返すのも、教育を受け入れられないのも、社会的な欠乏の境遇によって、脳のリソースを著しく奪われているからだとしたらどうだろうか。自己責任論を振りかざしていても、一向に埒があかないはずだ。そして資産のある人間にとっての小さな失敗は、お金に余裕のない人間にとってはありとあらゆる転落への片道切符だというどうしようもない客観的な現実があった。貧富が別れるのは人間のそもそもの能力の差ではなく、欠乏の境遇が人間の能力を決めるという恐怖。貧乏が貧乏を呼ぶとは、すなわち欠乏が欠乏を呼び込む事にほかならなかった。『シャーデンフロイデ:他人の不幸を喜ぶ私たちの闇』や『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』で例に挙げられている内容は、この本の中で提唱されている「集中ボーナス」「トンネリング」という心理状況から説明出来てしまう。目からうろこの本なので絶対にオススメしたい。ラジオでも紹介したがまた詳しく解説したい。

 

とりあえず木村ゆうさんもラジオの内容の感想を書いてくれている。

kimniy8.hatenablog.com

 

他にもいろいろあったとは思うけれど、とりあえず強烈に印象に残ったものを大雑把にまとめておいた。ほとんど翻訳ものが中心だけど、紹介しきれなかったものや国内のは次の機会にでもぼちぼち。

 

ひとつだけ挙げると、わりと古いものだけど『ドキュメント道迷い遭難』のシリーズや八甲田山の本は強烈だった。2018年になって「山で迷ったら絶対に沢に降りないこと!」という知見を得た。基本的に僕は山には登らないのだけど。

ドキュメント 道迷い遭難 (ヤマケイ文庫)

ドキュメント 道迷い遭難 (ヤマケイ文庫)

 
八甲田山 消された真実

八甲田山 消された真実

 

 

泉昌之マンガの最高傑作ともいえる『新さん』は『孤独のグルメ』のようにドラマ化…いや映画化すべき!?

『孤独のグルメ』などで人気の漫画原作者の久住昌之。かつては泉昌之という名義でデビューしていてそちらのキャリアが長かった。そもそもは原作の久住昌之と、作画の泉晴紀というコンビ作家だったわけで、二人の名前を合わせて泉昌之というわけだ。

 

今は原作の側の活躍が目立ってはいるが、『食の軍師』など相変わらず泉昌之形体での活動もやっている。『孤独のグルメ』の谷口ジロー作画も最高だが、なんだかんだでこの2人の組み合わせがしっくりくるという古参ファンも多いかもしれない。

 

そんな泉昌之の最高傑作はなにかと問われれば、デビュー作の『夜行』(『食の軍師』の主人公である本郷がすでに登場している)も良いし、名短編『アーム・ジョー』か、それとも『豪快さん』か…と迷うところだが、短編ではなく、ある程度まとまったシリーズものということなら、これはもう『新さん』で決まりだと思う。(『ダンドリくん』はどうなんだ!?というツッコミを入れられたが残念ながら私は評価してない。好きな人が紹介記事を書いて欲しい)

 

『新さん』という漫画を一言で説明するのはなかなか難しい。いわゆるアラフォー男を主役とした日常系マンガということになるのだろうか。少なからず寅さん的な要素もある。ただし主人公である新さんこと呉竹新(くれたけ・しん)は、いわゆるアウトロー側の人間ではない。堅気な会社員だったりする。それでいて職人気質で(リフォームのデザインか何かをやっているらしいが詳細は語られない)現代社会に完全には溶け込めていない。なにかにつけ強いこだわりを持った性格の持ち主だが、とくに一貫したテーマがあるわけでもない。

 

新さんに似たような存在として、『孤独のグルメ』の五郎ちゃんや、『食の軍師』などの本郷や、『荒野のグルメ』の東森などがいるが、それらはグルメという一貫したテーマがあるだけに紹介がしやすい。「こだわりの強い40前後くらいの独身男が、ひとり飯やひとり酒(『孤独のグルメ』は飲まないが)を楽しむグルメ漫画」と一行で書ける。たとえば『野武士のグルメ』だったら、それが60過ぎの定年退職元サラリーマンになるだけだし、『荒野のグルメ』だったら『BERレモン・ハート』なみに同じ店が舞台になるというだけだ。

 

孤独のグルメ 【新装版】

孤独のグルメ 【新装版】

 

 

たしかに『新さん』にも食べ物屋や居酒屋に行く話は頻繁に出てくる。だけど味や店について言及したりする事は稀である。『新さん』は作者お得意のグルメシリーズの一環ではないことがわかる。威勢ときっぷの良い新さんが、様々なこだわりを示したり、不運やおっちょこちょいからトラブルに遭遇したり、三角関係で甘酸っぱくなったりする話だ。

 

前述のグルメシリーズや『食の軍師』が人気なのは、井之頭五郎や本郷や東森良介や香住武らのモノローグに対して読者が「そのこだわりわかる」「そうそう」「たしかに」などと共感できる部分が楽しいのだと思うのだが、『新さん』もモノローグを中心に展開するフォーマットはだいたい似ているので、これら作品を読んでいる人たちはすぐ入っていける。新さんの妙なこだわりにも「わかる!」「ああ、あるある!」とうなずける部分がきっとある。ただ、内にこもりがちな久住作品の他のキャラたちとは違って、もうちょっとアグレッシブなのが面白い。

 

呉竹新というキャラは、自分なりの妙なこだわりが高じて、寅さんばりに他人にガンガンつっかかる。いわば井之頭五郎が毎回アームロックを決めていくスタイルに近い。ちょっとしたヒーロー性が痛快だ。ただし劇中で新さんのこだわりがストレートに報われる事はほとんど無い。そうはいっても自分のこだわりをそれなりに押し通す生き方に対して憧れている人は多いのじゃないか。こんな新さんが会社や行きつけの飲み屋なんかでの人望が高い設定はうなずける。

 

高倉健的な理想の男性像を追究したハードボイルド漫画という言い方も出来るかもしれない。ちなみに新さんは革ジャンに角刈りというのがトレードマークになっている。

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記念すべき第一回目のエピソード「マシマシ」は、うっかり二郎系ラーメンに行ってしまった新さんという話。

 

作中に出てくるラーメン三郎のモデルになった二郎系ラーメン店は、吉祥寺のラーメン生郎(2015年に閉店)だと思われる。1997年に最初の単行本が出たので二郎系を扱った作品としては相当に早い。僕は二郎系の出てくる漫画でこれより昔の作品を知らない。僕自身、大阪人というのもあるけど、ラーメン二郎なんて存在を知ったのは2000年以降だったと思うし。90年代には漫画に取り上げていた久住昌之のグルメ作家としての嗅覚はすごい。ちなみに『孤独のグルメ』の最初のシリーズは1994年~1996年に連載されていたものだった。

 

この作品には吉祥寺がよく出てくる。井の頭公園に遊びに行くエピソードもあるし、いせや公園店(現在は建て直されてしまっている)で昼酒を飲んだりする話がある。新さんは8年ほど前に「この近くに越してきた」と語られている。他にも出てくる地名といえば荻窪とか西荻窪とか。そういえば『孤独のグルメ』の井之頭五郎が趣味のギャラリーみたいな店を持っても良いなと夢想しつつ、駅前の回転寿司の天下寿司に入ったのも吉祥寺だった。

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二郎系といえば呪文!ふと入ったラーメン屋で、いきなり呪文を連打しはじめる常連客に圧倒される男として新さんは登場した。今でこそ二郎系=呪文だが、そりゃ知らずに入ったら大変な事になるに違いない。ニンニクヤサイなどの定番の呪文の他に、トガというのが出てくるが、おそらくはトウガラシの略だと思われる。生郎にはトウガラシのトッピングもあったそうだ。他にもピリ辛ヤサイというのも出てくる。僕はけっきょく生郎には一度も行くことがなかったので詳しい事はわからない。漫画内では全盛期の行列の出来る店だった頃が描かれている。

 

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漫画内にリアルな二郎系ラーメンが登場した歴史的瞬間(かもしれない)。

 

まわりの呪文に圧倒されて、ついつい知らないのに真似して言ってしまった新さんの後悔と自己嫌悪!ハードボイルドだ。「わかる、わかるぞ!」と共感する瞬間である。あと、二郎系のロット問題にも言及しているのも鋭い。第一話のつかみとしては最高だった。

 

『新さん』というマンガの魅力が炸裂するのは第二話「居酒屋」である。北千住的な飲み屋街にやってきた新さん。ふと入った知らない居酒屋での物語。

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カウンターに座って店主とのやりとり。言葉にはならないが、どこかしらに違和感を覚える新さん。後の騒乱の壮大な伏線になっていたりする。

 

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微動だにしない店主!その目は純粋にまっすぐだった!

 

これだけだったら、とりたててトラブルの種にもなっていなかったのだが、しかし新さんのラグにも動じない店主との間には、埋めることのできない溝が…!

 

ここまでで「あ~、わかるわ~、つまりこういう事だよね」などとなった人は相当な高感度の居酒屋オタ!というか新さんとのシンクロ率かなり高いので、絶対に『新さん』という作品を読むべき人類であると断言しておく。

 

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一抹の違和感を覚えつつも、店の料理のうまさに感心しつつ、ビールで飲るのは勿体ないと地酒を飲み始める新さんであった。メニューの中から適当に選んだ地酒が大当たり。「美味いよこれ!」と新さん大絶賛。店主曰く、「滅多に手に入らない魔羅霞(まらかすみ)の大吟醸(ひどいネーミング)」だった。このときの常連の態度がソレっぽくて「ウッ」となる。

レア地酒をありがたがる常連たち。地酒に対して中華ドレッシングは無いんじゃないかとか、上等なお酒を燗で飲むのは勿体無いとか、あれこれあれこれ煩わしい形ハマった人類たち!

 

誰が悪いわけじゃないが、新さんの不満も身勝手かもしれないが、それでも「わかる!新さんの気持ちわかるぞ!」と言ってしまっている自分がいた。

 

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いろいろあって居酒屋で新さん大爆発。『新さん』という漫画や、新さんというキャラを最大限に表現した屈指の名シーンだと思われる。

 

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初めて入った居酒屋で常連たち相手に大演説ぶちかます新さん。悲しいくらいに場違い!悲しいくらいにピエロ!

 

「こだわりはわかるけど、そんなムキになって価値観押し付けちゃったらみんなドン引きするよ…」 

 

そんなことは誰だって(?)わかっているのだ!普通の人は安全策をとって一歩引いてしまうところを、一本気な新さんが後先考えずに突っ走るところにこのマンガの痛快さがあるのだ!そこには一種の破滅の美学があるように思える。

 

とくにこの「居酒屋」のエピソードは、新さんと自分のこだわりが近いだけに、深く心に残ってしまった。今でも「親父さんいいかげんにしろよ!」なんてフレーズはついつい使いたくなってしまう。

 

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第四話「定食屋」でも、老舗のそばや(三鷹のひよしや?)の昼飯時に相席した意識高い系カップルのくだらない会話についついブチギレしてしまう新さん!やらなくてもいいのに喧嘩を売ってしまう!

 

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完全にヤバイおじである。女性に「キャ」なんて言われてしまう始末。

 

見ず知らずの相手に、温度差のある主張をぶつけて、それで何かが解決するのか。しないかもしれないが言わずにはいられない。みんなどこか心の中に「新さん」を飼ってたりしないだろうか。僕の中には間違いなく「新さん」がいて、何かというと「御苦労さん!!」とか言ってたりする。

 

もちろん実際に態度で示すことは滅多にないけれど、世の中を器用にわたっていくなんてことも絶対に出来ないのも自覚している。かといって新さんみたいに思い切りの良さも絶対に持てないのだけど。そこまで振り切って生きるのも違う気がするし。新さんというキャラクターは、漫画ならではの戯画化された男のエゴだから頼もしい。

 

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新潮文庫版の『新さん』には、後年に描かれた完結編的なエピソードが追加されていて、新さんはバカとして開き直る宣言をしてしまう。自分もきっと愚かなんだろうけれど、こういう生き方は絶対に選ばないだろうなという意味でも、「もしこんなときに新さんだったら?」と折に触れて考えてしまいがちだ。

 

他にも「(居酒屋のトイレの窓をガラッと開けながら)こーゆー窓があるとつい開けたくなるな」とか、「時速230キロでバカが名古屋に運ばれていくぞ!!」とか心にくる名シーンがいくつもある。

 

僕が歳をとっても『荒野のグルメ』の東森良介(設定上は自分とそんなに年齢も変わらないというのが信じられない)や、『野武士のグルメ』の香住武には絶対になれないだろう。どこまでいっても新さんは新さんという安心感がある。新さんも世帯を持ったりする可能性があるんだろうか。本郷、五郎ちゃん、新さんは永遠の独身キャラクターでいてほしい気がする。ただ、新さんはたとえ結婚しても、あんまり変わらなそうではあるが。

 

そんな『新さん』ではあるが現在は文庫版も絶版状態。電書版も出ていないようだ。久住昌之の最高傑作なのにこの扱いはあんまりだと思う。できれば電書で再販してもらえないだろうか。もっと欲を言うと、新作を2、3本描き下ろしでつけてくれたら言うことなし。50台になった新さんみたいな話も、全然イケるんじゃないかと。あれからどうしてるか気になる存在だ。

 

(追記)文庫版のあとがきは『センセイの鞄』などの川上弘美!自分がかつて付き合っていた「新さん的な人」の話を思い入れたっぷりに書いてくれている。これも必読だ。あとがきまで良い。

新さん (新潮文庫)

新さん (新潮文庫)

 

 

本郷はデビュー以来の活躍だ。 

かっこいいスキヤキ (扶桑社コミックス)

かっこいいスキヤキ (扶桑社コミックス)

 
食の軍師 1

食の軍師 1

 
豪快さんだっ! 完全版 (河出文庫)

豪快さんだっ! 完全版 (河出文庫)

 

 

 

土山しげるシリーズ 。これはこれで悪くないんだけど共感という意味では新さんや五郎ちゃんに劣るかも。

荒野のグルメ 1

荒野のグルメ 1

 
漫画版 野武士のグルメ

漫画版 野武士のグルメ

 

『不妊治療、やめました。~ふたり暮らしを決めた日~』は、なかなか怖い漫画!

Amazonプライム会員の人は、Amazonプライムリーディングというオマケサービスを利用出来るのをご存知だろうか。

 

Kindleの読み放題サービスの選べる本の範囲が少ない版みたいなものだ。正直いって、ラインナップとしては相当少ない。といっても、プライム会員ならば、追加のお金を払わずに使えるものなので利用しない手はない。

 

漫画だってタイトルは少ないけれど、そこそこは読めてしまう。長編マンガの最初の3巻以内が無料という「試し読み」的なものが多いが、その中で狙い目なのが、「一話完結の読み切り型」の作品と、「一冊で完結」の作品だ。

 

前者だと、例えばラズウェル細木酒のほそ道』が1~3巻まで手に入るというのが都合が良かった。ただしこれは現在ではラインナップから外れている。(対象タイトルは定期的に入れ替えされるので欲しいやつは、そのタイミングでダウンロードしておく必要がある。10冊まで保持可能。)

 

現在読めるなかで面白かったのが『不妊治療、やめました。~ふたり暮らしを決めた日~』というマンガだった。いつまでラインナップされているのかわからないので、みなさんがこれを読んだタイミングでは有料かもしれない。そのへんはご了承いただきたい。とりあえず僕はプライムリーディングで無料だった。

不妊治療、やめました。~ふたり暮らしを決めた日~

不妊治療、やめました。~ふたり暮らしを決めた日~

 

これを読んだ理由としては、プライムリーディングのラインナップだったからというのと、一冊で完結する本だったからというだけであって、不妊治療にも興味なければ、著者の方々も全然知らなかった。かなりキャリアのある漫画家さんらしい。本当にあった◯◯みたいな漫画雑誌に長年描いているようだ。誰にでも読みやすくて達者な絵柄だった。最後まで抵抗なくすらすらと読めてしまう。

 

タイトルでネタバレしてしまっているが、漫画家夫婦が不妊と言われて、治療に取り組み、諦めるまでに至った経緯を綴った内容になっている。いわば闘病記マンガに分類される作品だ。闘病記系の一冊完結のマンガ作品は、わりに話題になりやすく、今や人気ジャンルといえるのかもしれない。この作品もそういう流れにのって出たのだろうと推察する。

 

妻の病をきっかけに子作りを始めた夫婦が、不妊を疑い始めるところから長い闘病生活が始まっていく。その経緯が本編の中核をなしているところなんだけど、一般的な病院の話が出て来るのは最初だけで、途中からは何だか怪しい感じの医者しか出てこなくなる。医療系の体験談というより、オカルトじみた話に進んでいくのがなかなか怖い。

 

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不妊治療生活の最中、夫がステロイド剤をやめてしまったせいで、アトピーの症状が悪化して大変なことになるというエピソードがある。泣きっ面に蜂とはこのこと。苦しんでいると、たまたま漢方薬の医者を知って、セミの抜け殻とか石とかを煮込んだ「魔女の薬」みたいなものを処方される。それを飲むようになってしばらくすると、夫のアトピーの症状は緩和されていく。

 

冷静に考えれば、「魔女の薬」がアトピーの治療に効くわけがない。プラセボ効果と単なる時間経過によって症状が治まっただけというのが無慈悲なまでの現実だったりする。しかし高価で不思議な治療を受けている側はそうは考えない。ここで夫婦は漢方薬という怪しい世界にのめり込んでいく。

 

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現代医学では効果の上がらない不妊治療も漢方薬ならば…と藁にもすがる思いで、勧められるままに高価な薬に手を出したりする。常識的に考えて、鹿の角に不妊症を治す効果が認められているならば、現代医学にも取り入れられているはずだ。取り入れない理由が無い。うまく行けば鹿の角のどの成分が効くのかを分析して、安い薬の精製に成功するかもしれない。分析しきれなくとも、効果があるなら鹿の角を飲ませてみようという話にはなるはずだ。

 

もちろん現代医学は万能というわけではない。しかし漢方薬とか民間療法とか怪しい宗教はもっと万能じゃない。でもなんとなく「そうかな」という気にさせる。「これだけ高いお金を払ってるんだから」というのが重要だ。あと「信じている人が多い」というのも。

 

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このマンガの夫婦も「ここで止めたら今まで払ったお金が無駄になる」とギャンブル依存症的な思考に陥りそうになるが、なんとか踏みとどまる事に成功する。が、読んでいてすごく辛い。

 

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その後もいろいろの医療機関を試していくが、ことごとく嫌な奴しか出てこないのが辛い。子供が欲しいと願う夫婦の弱みに付け込んめば、やりたい放題が出来るのかと、義憤にかられてしまう。弱みをもった人間は、よってたかって喰われてしまうのが世の中なのか。世の中は荒野かサバンナか。もうやめろ!やめてくれ!と思いながら読む。

 

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あかん、泣けてきた。

 

この本の結論はどうなるのか。夫婦の選択は。タイトルですべてネタバレしてるとはいえ実際に読んで確かめてみて欲しい。

 

自分は40過ぎているが、今まで一度も子供が欲しいとは思った事はないし、結婚すらもしていないが、どうしても子供が欲しいと考えている人は多いみたいだ。結婚の目的が子作りとまでわりきっている人もいるくらい。そうした人からしたら不妊治療というのは、生き甲斐を左右するくらいの問題と言っても大げさでないかもしれない。不妊治療ビジネスが怖いものになっていきがちなのも何となくわかる。

 

このマンガの著者がどれくらいの気持ちだったか本当のところはわからないが、描かれている不妊治療にかけた労力を考えれば真剣に取り組んだのは疑いようがない。こういう世界もあるのかと考えさせられた。

 

それにしても一冊で終わるマンガって本当にすばらしい。

 

 

調べたらインタビューがあった。

anekaitimes.com

 

他にもいろいろ描いてはるみたいだ。こちらはKindleアンリミテッドにお金さえ払えば無料で読めてしまう。

 

Amazonプライムリーディングのオススメ本はこれからも紹介していきたい。

『想定外を楽しむ方法』テレビの天才である越前屋俵太が芸能界に復活していた

越前屋俵太を知っている人は僕と同じくらいの40代以上の関西人か、福井県民か、『世界ふしぎ発見!』の視聴者だろう。テレビロケの天才といわれた人である。

 

90年代の関西では越前屋俵太は絶大な人気と知名度があった。なにしろ全盛期の『探偵!ナイトスクープ』のレギュラー探偵だったからだ。嘉門達夫生瀬勝久(当時は槍魔栗三助と名乗っていた)と共に放送開始からの出演だったらしい。僕がナイトスクープを見始めたのは1988年の放送開始から一年くらい経ってからだったはずだから、本当の放送開始当初というのは知らない。

 

深夜帯のお化け番組といわれたナイトスクープだけど、上岡龍太郎が局長で、越前屋俵太(謎の人)と、桂小枝(吉本芸人)と、北野誠(松竹芸人)が揃っていた89~95年までのおよそ6年間が番組としてのピークだったと思う。もっといえば初期メンバーの嘉門達夫(ミュージシャン)と槍魔栗三助(劇団系)が残っていた時代までが深夜特有の怪しげな空気があって最高だった。

 

ナイトスクープは視聴者からの依頼を探偵役のタレントが調査するという番組構成だから、ほとんど街中のロケが中心の内容で、何が起きるかわからないミステリーとスリルがウリだったのだけど、人気番組になっていってどんどんと吉本芸人が後乗りしてくる中で、越前屋俵太の存在は異彩を放っていた。芸人みたいにネタに走るわけでもなく、かといって面白くないわけでもなく、ひたすら全力疾走感のあるロケは真剣そのものだけど、いつしか変な気ぐるみを着て登場しだす。「このおっさんは芸人でも役者でもないし、いったい何者なんだろう?」と目の離せない存在になっていった。

 

Mr.ナイトスクープと言われたのは桂小枝だったし、桂小枝自身もナイトスクープでブレイクして、番組自体もメジャー化し吉本色に染まっていくきっかけになっていった。たしかにナイトスクープ桂小枝探偵は当たり役だったし面白かったけれど、芸人番組色が強くなっていくのはちょっとどうかと思った。けれど越前屋俵太が出ている限りは「何が起きるかわからない」深夜番組特有のスリルが残されていたように思う。

 

そんな越前屋俵太は、95年にナイトスクープを降板してしまう。理由はよくわからなかった。越前屋俵太が出なくなってから、次第にナイトスクープは観なくなってしまった。なんだか番組自体が予定調和ぽくなってつまらなくなったからだ。端的に言えば『探偵!ナイトスクープ』は越前屋俵太に始まって越前屋俵太に終わった番組だったともいえる。まだ続いているけど。

 

越前屋俵太ナイトスクープに在籍していた時期に、『モーレツ!科学教室』という科学を面白おかしく説明するというコンセプトの深夜番組を立ち上げ、マスコットキャラクター兼アシスタントという役で出演までこなして、こちらもナイトスクープを観ていた若者を中心に大人気だった。ただしこれは全10回くらいの企画だったので、惜しまれつつすぐに終わった。僕なんかは越前屋俵太のことを、ナイトスクープとかで見ているだけだったが、単なる芸人とかいう枠じゃなくて、本当に才能のある人なんだなあと思ったものだ。江坂のクラブ「フィラデルフィア」をデザインしたとかいう話も聞いていたし。でもいまだに本業とかは知らなかった。

 

1995年のナイトスクープの降板は本当に人気絶頂期の最中だった。どれだけ人気だったかというと関西の学園祭に呼ばれる数が笑福亭鶴瓶と並んでいたくらいだったらしい。それだけに不可解な降板でもあった。その後はいろいろの場所で活躍しているという噂はあったが、関西ではあんまり目にする機会も減っていってしまった。

 

そうするうちに、2005年ごろだと思うけれど「越前屋俵太は芸能人を辞めて京都で山ごもりしているらしい」という話を(たしかABCラジオ誠のサイキック青年団で?)聞いた。ナイトスクープと『モーレツ!科学教室』以外の活躍はあまり知らないわりに、何故か「越前屋俵太らしい」と思ってしまったた。なんとなく勝手な思い込みだけど、テレビ業界のやり方はあんまり性に合ってないような、求道者的な雰囲気が出てたからだ。特にバラエティ。ああいう枠組みにはまりたく無い人なんやなあと勝手に解釈していた。

 

だから二度と越前屋俵太を目にする機会も無いのかなと思ってたのだけど、先日ふとしたことで、Twitter越前屋俵太がいることを知ってびっくりした。すぐフォローをして調べていくと、2017年の1月にはラジオ番組のレギュラーを始めていたり、著作の出版もしていたそうだ。

 

すぐに著作のAmazonページに飛んだ。タイトルは『想定外を楽しむ方法』というものだ。ものすごくウケたのは、Amazonレビューのところの一番バッターが越前屋俵太だったことだ。それにしたって普通本人がレビューを書くか?あまりにもセンスが越前屋俵太だと思った。実際に本を読んでからレビューを読み返してみたら、あまりにも適切な評価だったのも面白かった。

 

本の内容は、越前屋俵太がどういう経緯でテレビ業界に関わるようになったかというところから始まり、仕事の経歴と裏話が大半をしめていた。別に「想定外を楽しむ方法」を知りたくて本を買ったわけではないのでそれで構わなかった。

 

あの頃に絶大な人気を誇っていた越前屋俵太。しかし彼が何者なのかは結局よくわからないままだったので、越前屋俵太がどういう人で、どういう考えの持ち主かということをちょっとでも知れたら良いなと思って読んだのだ。

 

80年代の頭には芸人として全国区でデビューしていたのは全く知らなかった。越前屋俵太の名前の由来も語られていた。ビートたけしとすごく仲が良かったというのも意外だった。探偵ナイトスクープではどれほど精魂込めてロケしていたのかもわかった。

 

『モーレツ!科学教室』の越前屋俵太演じるポンチ君の相方で、芸人ぽいのに科学の知識抜群のとんち博士が本当の博士だったこともわかった。ナイトスクープ降板後に『世界ふしぎ発見!』で全国区で活躍してたことや、福井のローカル番組『俵太の達者でござる』というのを10年もやって、世の中に街ぶら番組ブームをもたらせたことも今更知った。大学の講師までやっていた。なんという多才ぶり。

 

ナイトスクープという番組をずっと観ていた人間には周知の事実だが、『永遠の0』なんかでベストセラー作家になった百田尚樹というのはナイトスクープの中心の構成作家としてずっと番組に関わっている。今ではベストセラー作家兼、権力すり寄りネトウヨこじらせおじさんとしての側面が有名になりすぎていて「あの百田ってこんな人だったのか?」とびっくりの連続だけど、越前屋俵太の回想では「下品だけど頭はいい」「センスはないけど金はある」「腹が立った」という評価。当初からいけすかないキャラだったらしく妙に納得した。

 

それから懐かしかったのが、ナイトスクープで、越前屋俵太が頭に鶏の被り物をして、牛の柄のぬいぐるみを着ていた理由。僕はナイトスクープ友達なんかと「あれは『鶏口となるも牛後になるなかれ』って意味ちゃうか?」「いやお前、それは考え過ぎやろ」とかいう会話をしていた。本を読むと「誰にも気がついて貰えなかったけどそういう意味だった」とか書いていてだ驚愕した。中学のときの友達の勘の冴えすごい…。

 

越前屋俵太が突然ナイトスクープを降板した理由とか、山ごもりして芸能界を引退したとまで言われるにいたった理由については、本当のところよくわからない。けれど、本の中でたびたび出てくる業界内でのいろいろの衝突が僕には多少は臨場感をもって迫ってくる。

 

なぜかというと、こんな僕もテレビとの接点は全くゼロではなかったからだ。今じゃ考えられないけれど、テレビとラジオの両方でレギュラー番組をもっているという異常な事態が半年くらいはあったのだ。ほんと、たまたまのめぐり合わせだった。

 

僕はそこでプロの業界ってやつを体験した結果「ああ、こりゃダメだな。こんなんが永遠につづくなら、ぜんぜん面白くないわ」とヘコんでさっさと逃げ出してしまったのだった。ちょっと言われたくらいでしゅんとならず、あちこち衝突しまくって、それでも面白いものを追求しまくった越前屋俵太とは大違い。

 

仮に僕がめちゃめちゃタフだったら、越前屋俵太みたいにやれてたのかなと思わなくもない。これは自惚れとか負け惜しみとかそんなではなく、どうしようもない性格的な問題の話だ。僕がコンマ1秒(6フレ)くらいですり減ってしまった業界なのに、ガンガン新しいことやって独自の世界観を作り上げた越前屋俵太はたいしたタフガイだと思う。そりゃ疲れ果てて5年くらい山ごもりして当然である。あらためて凄い人だったんやなと感心した。僕も少しくらい見習おうと思った。

 

僕は越前屋俵太の「やらされるのが嫌い」「偶然を装った予定調和が大嫌い」「プロと素人を選別してバカにするのが大嫌い」という考え方にものすごく同意する。テレビに関わった事がある人間はわかると思うけれど、街の何気ないインタビューひとつとっても、実際はものすごい段取りが組まれていたりする。本当のリアルなんてのはひたすらコストがかかるし面倒の連続だからだ。僕が「この業界、心底面白くないわ…」と思って萎えてしまった大きな理由のひとつはそこだった。しかし越前屋俵太は、そんな世界で真っ向勝負を繰り返していた。

 

僕みたいに、越前屋俵太って存在が、ちょっとひっかかっていた人は読むと良いと思う。

想定外を楽しむ方法

想定外を楽しむ方法

  

 

www.hochi.co.jp

百田尚樹がキーワードなのが面白い。

etsuzan.jp

公式ブログの方でも百田尚樹なのが面白い。

『「南京事件」を調査せよ』を読まずに死ねるか!

8月はあわや何も書かないで終わろうとしていたが去る25日に大変な本が刊行されたので紹介せずにはいられなくなった。8月はその他にももろもろ事件があり、もやもやした気持ちになっていたけれど、とりあえずこの一冊の感想にぶつけてみたい。それだけ昨今のいろいろの事柄が集約された本だったと思う。

 

その本とは清水潔『「南京事件」を調査せよ』だ。以前に紹介した『南京事件 兵士たちの遺言』というドキュメンタリー番組を制作するにあたって著者が調査した内容に、追加調査したことなどを交えて書籍化したものだ。あのすごい番組の制作の内幕をより詳しく紹介しているということだ。

 

番組の評価についてはこちらも参照のこと。

www.ntv.co.jp

 

そうなのだ。もてラジでもずっと推している清水記者の新刊だ。読まずには死ねない本だ。「またかよ!」とか言われそうだけど、みんなが清水記者の本を読むまで勧めるのをやめない。必要な本なのだ。とりわけ日本を生きる我々にとっては。だからこの期に及んでも知らない人は、まず『桶川ストーカー殺人事件』を読んで欲しい。何も言わず。何も前知識ももたず。

 

『桶川ストーカー殺人事件』はノンフィクションに属する本なので、実際に不幸な被害者もいるから不謹慎なことなのだが、あえて言わせてもらうと単純に面白い本だ。ミステリーものなどを好きな人はぜひ気軽に手にとってもらいたい。本当にあった話であって、とんでもないミステリーでもある。そして事件に挑むのは著者でもある清水記者だ。清水記者が事件をひたすら追いかけ、やがて警察も把握していないとんでもない真相にたどり着く。ぜんぶ本当のことだから驚愕する。こんな事が実際にありえるなんてという気持ちになる。

 

清水記者はまさに現代の名探偵といえる。ただしシャーロック・ホームズミス・マープルのように、1を聞いて100というように、ズバズバと事件の本質を言い当てる安楽椅子探偵ではない。靴をすり減らしながらあちこち訪ね歩き、司法の壁に阻まれたり、脅されたり、汗と泥にまみれながらも、不屈の意思で事実を積み上げていき、最後に真相にたどり着くというハード・ボイルド式の名探偵だ。

 

清水記者は『桶川ストーカー殺人事件』の後も、北関東連続幼女誘拐事件の調査に乗り出す。こちらも『殺人犯はそこにいる』という一冊にまとまっている。最近になって文庫版も出たので絶対に読んで欲しい。こちらでもたいへんな労力を払って、冤罪の男性も無実を晴らし、隠蔽された連続事件の真相にせまっている。なんどでもいうが、全部事実に即した内容であって、虚構のストーリーではない。しかしミステリー小説でもなかなかここまでのストーリーは作れないのではないかという興味深さで迫ってくる。

 

このように書くと、なんだか茶化したような物言いになってしまって心苦しい面もあるが、興味本位でも良いので、多くの人に読んで欲しいのでこういう紹介にしている。

 

清水記者がその著書で何度も何度も訴えているのは「発表報道」と「調査報道」の違いだ。

 

「発表報道」とは、警察が「○○○○について××××と記者会見で発表しました」というようなことを、ただただ記事としてまとめただけのことを言う。

 

それに対して「調査報道」というのは、記者が自分の意思で、自発的に見聞きしたことや、調査したことを報道することを指す。

 

現代の日本のマスメディアは、圧倒的に前者が多いということだ。記者が足を使って調べたことや、見聞きしたことを自分の頭で考えて記事にまとめたものよりも、いわゆる「公式発表」といったことが紙面の中心になっている。そしてそちらのほうが尊ばれる風潮にすらある。

 

記者クラブに加盟した大新聞による「公式発表」の前には、地方紙や週刊誌の「スッパ抜き記事」などは、「三流紙のたわ言であって、信ぴょう性に欠ける」などという目で見られ兼ねない。記者が労力を費やして調査した記事よりも、警察や政府の記者会見を、ただそのまま書き起こしただけの記事が尊ばれるなんて…。

 

これと似た現象が、かつて日本にもあった。戦時中の「大本営発表」というやつだ。

 

僕らが歴史の時間などに習ったことは「昔の日本人は大本営発表という根も葉もない情報を信じて戦争に協力してしまいました」という事だった。子供のころは「昔の人はバカだなぁ」などと思っていたもんだが、現代の人間は「大本営発表」を笑えるだろうか。現代で「大本営発表」などというと「根も葉もない公式情報」を揶揄する言葉として使われる事が多かったはずだが、気がつけば現代人も「大新聞の書き立てる公式発表」ばかり信じていたりする。「津波原発メルトダウンして危険ですよ」という話よりも「メルトダウンなんて起こっていない」という公式発表を重視したりしていた。当時だっていろいろの事を検証したり見聞きしたりして「日本は戦争に負けてる」と言っていた人もいたはずだ。しかし大半の人は「敵空母撃沈!」みたいな大本営発表の方が心地良かったのだろう。

 

清水記者の信条はあくまでも「真実が知りたい」ということだ。たとえそれが恐ろしい事であっても真実を追求する。警察がどう発表しようと関係がない。おかしな所があれば徹底的に調べてみる。その情熱と労力たるや頭がさがる。結果として桶川ストーカー殺人事件や、北関東連続幼女誘拐事件の真相に迫ることになった。もちろんその他の事件なども調査されていて、それらの活動の一端は『騙されてたまるか 調査報道の裏側』という新書にもいくつか紹介されている。興味をもった方はあわせて読んでいただけたらと思う。

 

前置きのようなものが長くなってしまったが本題は『「南京事件」を調査せよ』という本だ。タイトルにある「調査」とは、ここまでながなが説明してきた、「調査報道」的なスタンスでの調査を意味するということは言うまでもない。そして「南京事件」とカッコでくくられているのは、「いわゆる南京事件」といわれる「事件なのかどうなのかすら定かではない」というあやふやな事象すべてを調査してやる!という清水記者の決意の現れであろう。相手はなにしろ80年ちかく前の「歴史」になりかけているものだ。そして被害者は30万人とも40万人ともいわれている。もしくはゼロとすらも言われている。途方も無い調査に思える。

 

ちなみに「南京大虐殺」についての日本政府の「公式見解」はこうなる。

外務省のHPからの引用だ。

日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/

もし「発表報道」として「南京事件」を取り扱うとするならば、これがそのまま記事になるということだろう。

 

つまり「そりゃ戦争だから民間人に迷惑があったことは否定することは不可能だけど、人数とかはまったくわからないし、1人かもしれないし40万人かもしれないけど、証拠もないし今さら特定することも困難ですよ」というわけだ。

 

被害者の人数すら特定されていない事件……。そんな無責任なものがあって良いのだろうか。

 

『桶川ストーカー殺人事件』では殺害された1人の女子大生の謎を清水記者が調査した。

 

『殺人犯はそこにいる』では5人の幼女の失踪事件を清水記者が調査した。

 

しかし南京の問題に関しては、そもそもの事件がどんなものであったのか、被害者が何人いるのかすらぼやけてしまっている。仮にも事件だといっているものに、諸説あってよくわからないなんてことがあっていいのだろうか。挙句には南京大虐殺なんてものは無かったという話まで飛び出してくる。

 

肝心の事件の経緯にしたって、戦後のどさくさでほとんどの史料が「意図的に」処分されてしまっている(やましいことが満載だったという推測しか出来ない)し、ものすごく時間が経ってしまったことによって、当時のことを知るものもほとんど生き残ってはいない。

 

じゃあ真相を知るためにはどうするのか。実は処分されずに現代まで残っていた史料があったのだ。それは南京攻略戦に従軍した兵士たちの手帳の記録や日記だった。そういう手帳や日記をたくさん集めて保管していた人が福島県にいたのだった。当事者たちの記録。まさに一次史料と呼べる代物だった。これらの記録の裏付けがあるのかという調査が始まる。日付から逆算して、当時そういう事が起こり得たのかとか、複数の記録や他の日記帳、証言などと照らし合わせながら、相互の記述や証言に矛盾点が無いかなどを検証していく。中国まで訪れて聞き込みや現地調査もしていく。とんでもなく骨の折れる作業を清水記者はやっていく。

 

その結果として、南京で行われたとてつもなくおぞましい真実がわかってくる。背筋が凍るような恐ろしい話だった。

 

南京事件」の調査についての中心的な成果は先に紹介したドキュメンタリーでもだいたいやっていたのでそちらを見てもらうのが先かもしれないが、こちらの書籍版ではより詳しく歴史的な背景が説明されている。現代の話からはじまって、南京事件の話、南京事件の後の話、そして南京事件より以前にあったこと。日本では知られていない「旅順虐殺事件」なんかの話も出てくる。それなりに知名度があるはずの重慶爆撃にしたって、実はちゃんと習ったことのある日本人は少ないのではないか。歴史はその一部分だけ切り取っても不可解なものでしか無かったりするが、その前を知れば「さもありなん」と合点がいったりもする。教科書では唐突に「南京大虐殺がありまして…非難されてまして…」とか出てくるから納得できないのもムリはない。

 

本書はそのたくみな構成によって、いやでも歴史の連続性というものを感じ取れるようになっている力作だ。70年、80年前にあった問題は、それ以前にもあった問題でもあるし、今現在を生きる我々にも起こっている問題だったりもする。自分の親の親の問題であり、親の問題であり、自分自身にもつきつけられた問題でもある。「南京事件」というのは教科書の中の話ではなく、今に至る地続きの話であることを人はしばしば忘れてしまう。言ってしまえばたった80年前のことだ。かろうじて生きている人だっているのである。しかし「歴史」という言葉は便利なもので、そこに閉じ込めてしまうとどこか別の世界のお話のようになってしまう。本の中には清水記者の祖父や父親が従軍していた話も出てくる。僕の祖父も職業軍人で戦死している。生まれる前にはこの世にはいなかった祖父がなんのために戦死したのか、後で戦争の本を読んでいて「ああ、こういうことで」と思ったりもした。誰だって歴史のつながりからは逃げられないし一部でもある。

 

「歴史に学ぶ」とは端的にいえば「同じ失敗を繰り返さない」ということなのに「今回は上手くやれるはずだ」なんてつい考えてしまう。だから広島に「過ちは繰り返しません」などと石碑を立てておいて、一方ではアホみたいにたくさん原発を建て続けた挙句、ついには不幸な事故を起こしてしまってたりする。「原発ならコントロール出来るだろう」とか言いながら。それでまた再稼働なんて言っている。性懲りもなく「次はうまくコントロール出来るだろう」とか言ってしまう。人類は永遠に「歴史に学ぶ」という姿勢をもてないのかと呆れてしまう。

 

『「南京事件」を調査せよ』は今に生きる日本人なら全員が読んで欲しい本だ。今このタイミングだからこそ必要だと判断して出された渾身の一冊だ。決して南京事件を謝れとかではない。そんな情緒的な話ではないのだ。とにかく今の日本人にいちばん必要なことは過去の失敗をできるだけ正確に知ることに違いない。知らないことには先に進めないのだ。しっぽを追いかけるアホの犬みたいに、同じ所をぐるぐる廻るのは虚しいじゃないか。

 

清水記者は言う。「知ろうとしないことは罪だ」と。とにかく、知って欲しい。

hon.bunshun.jp

 

「南京事件」を調査せよ (文春文庫)

「南京事件」を調査せよ (文春文庫)

 

 文庫版も発売されてより買いやすくなった!さらに最新取材による追記もあるので今からだったら文庫版が断然オススメ!Kindle版もある!!!

 

butao.hatenadiary.com

ドキュメンタリー版もぜひオススメ!!!

 

桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

 

まずは四の五の言わずにコレを。

 

殺人犯はそこにいる (新潮文庫 し 53-2)

殺人犯はそこにいる (新潮文庫 し 53-2)

 

これは真相に迫っているが未解決なのが恐ろしい。

 

騙されてたまるか―調査報道の裏側―(新潮新書)

騙されてたまるか―調査報道の裏側―(新潮新書)

 

 調査報道についてつっこんで書いている。両事件のダイジェストも。

 

 

尖閣ゲーム

尖閣ゲーム

 

この小説の著者である青木氏も『「南京事件」を調査せよ」に登場して活躍する。ちなみに『尖閣ゲーム』も清水記者監修でもあったりする。二人は仲良し!

『連載終了!少年ジャンプ黄金期の舞台裏』荒木飛呂彦になれなかった漢!!

巻来功士『連載終了!少年ジャンプ黄金期の舞台裏』という描きおろし漫画がとてつもなく面白い。昨今人気の、漫画家自伝漫画のひとつではあるが、80年代ジャンプを読んでいた世代には強烈にオススメできる。それ以外の漫画家とか目指している人なんかにもオススメ。

連載終了!

連載終了!

 

 

 

さて、巻来功士を知ってる人はどれくらいいるだろうか。僕と同じくらいの世代で、『北斗の拳』とか『シティーハンター』とか『キャプテン翼』なんかが載っていた頃のジャンプを読んでいた人らはたいてい知ってると思う。それ以外の世代の漫画ファンには、それほど知名度は無いかもしれない。そんな漫画家だ。

 

巻来功士の作品というとなんといっても『メタルK』と『ゴッドサイダー』だ。このタイトルをあげると「おおおお知ってる!!!」となる人も格段に増えると思う。僕らの世代でジャンプを読んでいた人たちには強烈なインパクトを与えた作品だ。この2作品は、それまでのジャンプ漫画にあるまじきエログロホラーアクション漫画で、当時のジャンプ読者の子供たちをグイグイ引き寄せるものがあった。

メタルK

メタルK

 

 

ジョジョで有名になる荒木飛呂彦が、『魔少年ビーティー』とか、『バオー来訪者』で、ジャンプ読者に深い印象を残していたのもその少し前あたりだった。ちょっとグロい系の漫画が、ジャンプにちらほらと登場し始めた頃だった。そもそも『北斗の拳』だってかなりグロい系アクションで子どもたちの度肝を抜いたわけだし。

 

魔少年ビーティー (少年ジャンプコミックス)

魔少年ビーティー (少年ジャンプコミックス)

 

 

バオー来訪者 1 (ジャンプコミックス)

バオー来訪者 1 (ジャンプコミックス)

 

 

だが現実は非情なもので『メタルK』は10回で打ち切り。『ゴッドサイダー』はそれなりの長期連載になったものの全8巻で終わってしまった。今の感覚からするとものすごく短命だった。当時は今ほど超長期連載が当たり前ではなかったとはいえ、『北斗の拳』が全27巻、『キャプテン翼』が全37巻まで続いていたのである。それからしてもやはり大ヒットというには今ひとつ及ばずというのが理解していただけると思う。

 

とはいえ、荒木飛呂彦の『魔少年ビーティー』だって10回打ち切り。次の『バオー来訪者』だって全2巻で終わってしまったのだ。いくら読者の心に残る作品を描いたとしても、人気と結びつくというのがなんと難しいことか。人気漫画になるためには本人の努力だけではいかんともしがたい。まさに「天の時、地の利、人の和」の世界なのである。しかし荒木飛呂彦はその後『ジョジョの奇妙な冒険』の連載を始める。それも巻来功士の最大のヒット作『ゴッドサイダー』が始まる前年に。

 

その後のジョジョがどうなったかは説明するまでもないと思う。ジョジョは掲載誌をウルトラジャンプに変えたとはいえ、いまだに現役連載中で、単行本はゆうに100巻を超え、ゲームやTVアニメにもなってますます知名度をあげ続けている。いまや荒木飛呂彦は日本を代表するカリスマ漫画家の扱いである。

 

方や、巻来功士。ジャンプで8巻で打ち切りになった『ゴッドサイダー』を超える知名度の作品はいまだにモノにしていない。ある特定の年齢のジャンプ世代だけに妙に通じるという、知る人ぞ知る漫画家になってしまった。そして最近までもゴッドサイダーのリメイクのマンガを描いたりしている…。だからいまでも「ゴッドサイダー巻来功士」と呼ばれ続けるわけだけど、「ジョジョ荒木飛呂彦」に比べるとネガティブな表現になってしまうのは否めない…。

 

当時おんなじくらいインパクトを残したのに。ジョジョゴッドサイダー、どうしてここまで差がついた。

 

信じてもらえないかもしれないけど、『ゴッドサイダー』の途中までは、ジョジョをも超える話題性もあったのだ。当時読んでいたものとしての感想を言わせてもらうなら、漫画家としての才能だって別にそんな負けていたわけでもないと思う。なんだかんだいって巻来功士はその後も漫画家を続けているし。スーパージャンプに移籍してからの『ミキストリ』は長期連載漫画になってそれなりに人気だったし。

 

たまたま両者が同じ時季にホラーをテーマにした作品を描いていたから。

 

編集長の「ジャンプにホラーは2ついらない」という方針から、どっちかが死ぬしか無かったという裏事情もあるらしい。ジョジョだって「最初のジョナサンの青春話がかったるい」と言われて、打ち切りになる可能性があったと荒木飛呂彦も振り返っている。そうなってたら荒木飛呂彦が地味な漫画家になっていて、『ゴッドサイダー』が全100巻を超える連載になって巻来功士がカリスマ化しているパラレルワールドが立ち上がってくるのか。いやいや、そんなのは極端かもしれない。でも、いくらなんでも8巻で終わりってことだけは無かったはず。

 

現実は、ジョジョは生き残り、ゴッドサイダーは死んだ。それについては、担当編集者が相当に荒木飛呂彦をかばって「ジョジョはこれから絶対に面白くなるから!」と、無理にでも連載を続けさせたというちょっとイイ話が残っている。ジョジョの今あるのは担当編集者の「ちょっとイイ話」のおかげ!

 

ではその「ちょっとイイ話」が無かったとしたら?

 

むしろ、「ちょっと悪い話」なんかもあったりして……。

 

そういう何だかんだを語りまくっているのが『連載終了!少年ジャンプ黄金期の舞台裏』という自伝マンガである。

 

なんで巻来功士荒木飛呂彦になれなかったのか?

 

この自伝を読んで、僕は長年の疑問が氷解した。この一冊のなかに漫画家としての巻来功士が赤裸々に描かれている。気になっている人は読んで欲しい。

 

『キャッツアイ』や『シティーハンター』で一生を風靡した北条司と同じ九州の大学にいたというのも初めて知った(会話もしたこと無かったそうだが)。そして北斗の拳原哲夫のところにアシスタントに行く話も出てくる。なんと、あの『北斗の拳』の伝説ともいえる第一話と第二話を手伝うのだ(魂を削って原稿に取り組む天才美青年漫画家としての原哲夫が出てくるので必見)。

 

そしてジャンプの新年会での、荒木飛呂彦との邂逅……。

 

荒木飛呂彦巻来功士が会話をしたのはその時が最初で最後だそうだ。そんなものなのかもしれない。

 

漫画は、巻来功士少年漫画家としての挫折と、青年漫画家としての再起までを描く。

 

僕が当時のジャンプに思い入れがある世代とはいえ、最初のページから最後まで一気呵成に読んでしまった。担当編集者に恵まれなかったなんて一言で片付けようと思えばできるのだけど、それだけでは済まされない運命の巡り合わせを感じる。これを読んだら、「荒木飛呂彦に比べて才能が無かったね」とか、「言い訳がましいね」とか、とてもじゃないけど言えないのではないか。

 

『連載終了!』は、五里霧中でもがき、孤独に戦い、そして見事に散っていった一人の漫画家の話だ。そして再生の話でもある。

 

あとがきまで読ませる。巻来功士の持ち込み原稿をみて、最初にジャンプでの担当になった経緯のある堀江信彦との対談だ。堀江信彦は『北斗の拳』の担当編集者として特に有名な人物。そしてこの対談で、「なんで君はアカンかったのか」が、時を経て明かされちゃったりする。いわば本編の完全な補足になっている。本人も「そうだったのか!」と妙に納得。その上で堀江は、現代の巻来功士に、でかい仕事の話を持ちかけたりするのだから余計にドキドキする。

 

この本は、あとがきまでセットで一冊といえる。「ヒット漫画は20ページ100コマ!」など、まんがを描いている人にもすごく為になる情報満載だ。

 

それにしても、描きおろし単行本で、これだけ読ませる作品を描ける巻来功士は、やっぱりまちがいなく才能がある。本人も、短編小説や映画が好きだから、そういうマンガを描きたかったといっている。日本マンガ界の週刊連載作品一辺倒の体制には、いまいち乗りきれなかった才能なのだと思う。

 

吾妻ひでおの『失踪日記』がベストセラーになったように、描きおろし単行本マンガの需要というのは確実にある。従来までのように、連載作品だけを重視する体制では、この手の漫画を描ける才能を取りこぼすことになるのでは無いだろか。従来までは、描きおろし漫画の書き手は、主に学習系のマンガなどの仕事しか無かった。あとはエロ系。実に勿体無いことだ。

 

最近では、描きおろし形式のマンガも、市民権を得つつある。もうちょっと盛んになってくれれば嬉しい。そういう意味でも『連載終了!』の刊行は喜ばしいことであったし、描きおろし漫画好きとしては強くプッシュしていきたい。

 

 

失踪日記2 アル中病棟

失踪日記2 アル中病棟

 

 

 

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