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得意顔で『AppleWatchなんか失敗する』とか言ってしまうバカ

AppleWatchが発表された。価格は4万円台から、最高のものでなんと200万円を超えるものまでラインナップされている。Appleの次世代の時計を売ろうとする鼻息は粗い。

 

これが成功するかどうかは知らん。僕は欲しいとは思わなかったけど世間では受け入れられるかもしれん。下手に「こんなもの流行るわけがない(キリッ」とか予想しちゃうとひろゆきみたいになってしまう。


元ドコモの夏野氏、iPhone早速入手 ひろゆき氏は「電話として不便」 - ITmedia ニュース

 

かといって、「絶対にこれくる!次はAppleWatchやあああああ!!!」みたいなこという太鼓持ちにもなりたくない。

 

じゃあなんなんだというと、Appleの今までの歩みを振り返りつつ、AppleWatchがどういった主旨の製品なのかという事を分析したいと思う。

 

Appleマイコンだけ作ってりゃ良いものの、2001年にiPodで音楽プレイヤー業界に殴り込みをかけた。

 

iPodはHDDに画面を取り付けて持ち運ぶという乱暴極まりないコンセプトの商品で、当時のパソコンオタからは「容量が多いか知らんけどバッカじゃないの?もっと良いプレイヤーあるよ!」とか言われることも多々あった。iPhoneの時のひろゆきみたいなもんである。あと音質も悪いと散々叩かれた。

 

しかし御存知の通りiPodは売れまくり、結果的に他のメーカーが細々と売っていたmp3再生可能なものを含む携帯音楽プレイヤーをほぼ駆逐してしまった。その前にiMacとかが情弱に売れていてある程度オシャレなイメージが一般に浸透してたのもアドバンテージとして確かにあったと思う。ソニーもメモリ型のウォークマンを出したりしたけど結局ほとんど為す術無く市場を明け渡してしまった。あれほど隆盛を誇ったウォークマンが。

 

今までこの種の商品に興味が無かった連中まで「iPodiPod!」って言い出す始末。そして今じゃ覚えている人がいるかどうか知らないけど、当時(2005年くらい)はiPodの新型を持ってるだけで、ちょっとイケてる感があり最先端いってる感もあり金回りも良い感もありドヤ顔出来たもんだ。iPodごときで、だけど。

 

そのうちiPodは画面でいろいろ出来るようになった。ここでも、心ある人たちは言ったもんだ。「携帯音楽プレイヤーにおかしな機能つけて調子にのってアホか!そんなヒマあったらもっと音質あげろ!もうちょっとまともなヘッドフォンつけとけ!」

 

しかし2007年にiPod touchが発売される。ゲームとかネットとかいろいろな高度な事が可能な、ほとんど携帯コンピューターともいえる、iPod touchが登場したことで、批判していた人間たちも遅まきながらAppleの恐るべき戦略に気が付き始める。

 

「あ、単なる音楽プレイヤーと思ってたけど、本当はみんなAppleの規格のコンピューターを買わされてたんや…」

 

そしてすぐさまiPhone旋風である。本当はiPod touchよりずいぶん前に、アメリカでは初代iPhoneが発売されていたらしいけど、よくわからんかった。とにかく日本ではiPhone3Gからの発売だった。

 

今までAppleといったら一部のクリエイター面したやつか、マイコン・オタくらいにしかブランド訴求力が無かったのが、iPodがバカ売れしたせいで潜在的にものすごい数のAppleユーザーが増えていた。iMacの時の比じゃないくらいブランド力が一般化していた。

 

そのままの勢いで携帯業界に殴りこみをかけてきたのだからたまらない。

 

それまで各社が細々と販売をしていたスマートフォンを一気に駆逐してしまった。それどころかガラケーの分野までもどんどんと侵食していった。まあ、ガラゲーといったって、iPhoneが出てきた2008年には、ネットが出来て当然だったし、各社いろいろ機能をてんこ盛りにするのが流行っていて、純粋な電話の方が少なくなっていて、すっかり小型コンピューター化していた。そりゃバッティングして当然である。

 

ここで前述のひろゆきの「電話としてどうなの」発言。

 

音楽プレイヤー市場を食ったときの再現としか言い様がない。「ミュージックプレイヤーとしてどうなの」って言われたのと全く同じ。Androidとかの登場でスマホ市場としても盛り上がったけど、Appleとしての目的はほぼ達成されてしまっていた。

 

音楽プレイヤー市場を踏み台にして、携帯電話市場を踏み台にして、Appleが手に入れたものといえば、圧倒的な携帯コンピューターのシェア。絶対に揺るがないと思えたマイクロソフトWindowsを脅かす存在になっていた。

 

2013年にはソニーウォークマンが音楽プレイヤーのシェア一位を奪還したというニュースがあったが、すでにiPodの販売台数は全盛期の半分以下だった。音楽プレイヤー市場は抜け殻にすぎず、人々は音楽を聞く時はiPhoneかその他のAndroidなどのスマホを使っていた。

 

この過程においてAppleが手に入れたのはシェアだけではない。実は圧倒的なファッションブランド力をも手に入れていたのだ。気がつけば、iMaciPodの時代とは比較にならないほど、Appleのオシャレ度が高まっていた。基本的には家に閉じこもってパコパコ叩くマイコンに過ぎないiMac等とは違って、iPhoneが常に身につけて利用するものというアクセサリー的な性質を持っていたことも影響しているだろう。そしてiPodと違って、基本的には携帯電話であるから、他者との通信や利用頻度も高い。

 

「スタバでMacBook Airでドヤ顔」というフレーズが流行りだしたのも決して偶然ではないのだ。MacBook Airという製品が特別オシャレだったわけではない。iPhoneの普及を通して、Appleはシャレオツな何かの地位とオーラを得ていたのだ。なんてことだ。

 

今や、Appleはコンピューターなのにスタバくらいファッショナブルなのだ。だからドヤ顔なのである。ちなみに「スタバくらい」というのは日本の感覚でオシャレという意味である。「米国ではスタバなんてのはさぁ~」などとはつっこまないでいただきたい。

 

そんな経緯があっての先日のAppleWatchの発表。

 

携帯電話市場を吸収して、踏み台にして、Appleが向かう先は腕時計業界だった。つまりファッション業界だ。音楽プレイヤーと、携帯電話と、小型コンピューターを統合して、今度はオシャレをも統合しようというのだ。統合しちゃうか、それを。

 

オシャレといっても、宝石とか、コスメとか、化粧品とかは女性しかターゲットに出来ない。だいいちそんなものにどうやってコンピューターを組み込んで良いのかわからない。そして服もダメだ。種類が多すぎるし、服をコンピューター化するには時代が早過ぎる。じゃあ何だ。腕時計だ。

 

男は基本的にはオシャレではないけど数少ないオシャレのひとつが腕時計である。そして腕時計は男女ともするオシャレだ。それでもって腕時計はやたら高価なものでも売れる時は売れる世界だ。必然的に行き着くのは腕時計といえた。

 

ここでひろゆきみたいに「で、肝心の時計としての機能はどうなの?もうセイコーの1000円ので良いよ!」とか言ってしまうのは簡単である。しかし時計としての機能性なんて、とっくの昔にガラケーに食い散らかされているのである。今、腕時計市場に残された旨味ってのは、はっきりいってオシャレブランド力だけなのだ。そしてそれが最大のものでもある。Appleが狙っているところだ。

 

もしAppleのオシャレブランド力(ちから)が世間に受け入れられて、世の老若男女がAppleWatchの新作をつけていることこそがイケているという価値観が作られたらどうなるのか。

 

みんな4万もする腕時計を2年に一回くらいの頻度で買い換えるという世界観。高所得者なんかはトータル200万のApple腕時計の最新モデルを装着して周囲を圧する。

 

現時点の感覚だと、あんなデザインの128万のモデルを装着してドヤ顔されても、単なるマヌケにしか思えるし「そんなダサいのにお金を使った気分はどう?」って聞きたいレベルだが、いざ猛烈に普及し始めてしまったら、とたんに18金フレームがオリハルコンの剣くらい眩しく輝き始めるかもしれない。一旦その価値観が形成されてから200万のAppleWatchを振りかざされる破壊力というのは、「MacBook Airドヤ顔」の実に百倍にも達すると試算する。MacBook Air百枚重ねて頭を叩かれたくらいのインパクトがあるといえるのだ。

 

高級時計を長く使い続けるとかいう価値観は一般人の世界からは消滅するだろう。

 

むしろ「新しいiOSに対応してない時計いつまでも使い続けるなよダサw」とか言われる始末。

 

iOSがどうこう以前に、そもそも液晶の画面の時計なのだ。いくら18金フレームがどうこう言われたって何年も保つような代物ではない。自動巻きの機械時計みたいなわけにはいかない。AppleWatchはどんなに頑張っても3年使えたら良い方ではないか。

 

そしてiPhoneなどのスマホはまだポケットにしまっておれた。だからどんな古い機種を使ってようが、あまり見せびらかしたらしないのであれば、どうでも良いっちゃどうでも良かった。そして持ってないフリだって出来た。たとえば、職場でとやかく言われたくない時など。

 

しかしAppleWatchのような腕時計型のデバイスが今後のコンピューターの主流になったとしたらどうだろうか。

 

グーグル・グラスのようなメガネ型のやつでも構わない。

 

ひと目でそいつがどんなデバイスを使っているか、道行く人にすらチェックされてしまう。

 

「あ、この人、あんな2世代のデバイス使っちゃってプークスクス」

 

とかバカにされているような気になってしまったら終わりである。これがファッションの恐ろしさ。そんな強迫観念が人に散財を強いる。

 

「腕に何もつけてない奴とか社会人としてどうなのwwwwニートか引きこもりだろwwwww」

スマホしかないとか、いかにも低所得者層wwww」

「君、営業マンならちゃんと身だしなみは整えたまえ!やる気ないのか!」

 

うわああ、こんな煽りが目に浮かぶ!

 

まさか結びつくとは思ってなかったテクノロジー業界とファッション業界!!!

 

Appleの罪は重い。

 

というわけで、願わくばAppleWatchには失敗していただきたいのだが、無理かもしれない。しかしたとえAppleWatchが思い切っきり外したとしても、いずれ似たようなデバイスが世の中を席巻するのは目に見えている。

 

未来社会はすぐそこだ。

 

僕はといえば、限界までAppleWatchその他の、この手のデバイスには手を出さないことにしたい。ぎりぎり限界まで。そのうち寿命を迎えればベストだ。

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