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人生が不幸な人ほど長生きしなさい

「人間万事塞翁」が馬という言葉がある。人生で起きる先の事なんかわからないから、良いことが起きたとか悪いことが起きたとか、いちいち必要以上に喜んだり悲しんだりしてもしょうがないよ、といった意味だ。

 

僕なんかがことさらドヤ顔で説明するまでもなく、誰もが知っている中国の故事成語だと思われる。 この故事成語を習ったのは小学校くらいのときだったか。若い頃は「ふーん」としか思わなかった言葉だけど、40くらいまで生きてくると「なるほど!たしかにそうだったわい!」と膝を打つくらいに味わい深い言葉である。

 

人生における良いも悪いもしょせん裏表の関係にすぎなくて、その時は良かったことがあとになって悪いことだったりするし、あの時に人生もう終わりだなんて絶望していたことが、後に良いことの伏線になっていたりする。 ほんとに先のことなんかわからない。ジタバタするだけ無駄なのである。人生が続くかぎりどんな悪いことが起きても、つぎに良いことが起きればみんな一度にひっくり返るのである。まるでオセロ(リバーシっていうゲームをオセロと呼ぶのは日本だけ?)のようなもんだ。どんなピンチの連続であっても、映画のおしまいまで見るまでは、それがハッピーエンドか、バッドエンドか、絶対にわからないみたいなものだ。その映画のもっている意味なんてのは、ラストを考える監督のさじ加減ひとつで決まる。 だから現状で人生に満足してないなら、ひたすら長生きしてみるべきなのかもしれない。

 

何度もいうけど人生は奇妙なもんなのである。嘘だと思ったら、ぜひ長生きしてみてほしい。「人間万事塞翁が馬」という言葉をつくづく噛みしめる瞬間がきっとあるはずだ。そうなったら今が楽しくなくても、先が少し楽しみになってくる。 ただひとつだけ言えるとしたら、死ぬ直前に起こったことが悪かったらそれはもう悪いとしか言いようがない。でも死ぬなんてのは、それ自体そもそも悪いことなので、あまり気にする必要もないかもしれない。とすれば、人間なんて最後はバッドエンドが確定しているともいえる。だとしたらやはりジタバタしたり、必要以上に舞い上がってもつまらんばっかりだ。 なるほどやはり「人間万事塞翁が馬」という言葉には説得力しかない。

 

さて、「人間万事塞翁が馬」の「人間」てのは「にんげん」と読んでも全然よいけど、ここはひとつあえて「じんかん」と読んでみよう。たったこれだけで、わけもなくぐぐっと「知ったかぶり度」があがってくる。

 

人間万事塞翁が馬」という言葉の「人間」というのはいわゆる「人」のことではない。人間=じんかん、すなわち「世間」とか「人の住んでいる世界そのもの」を指す言葉である。今では全く使われなくなった言葉だけど、他にもさる有名な一節に使われているので、たいていの日本人は無意識でみんな知っていると思う。 「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり」 織田信長でやたら有名になった『敦盛』の一節である。ここの「人間」も「人の住んでいる世界」という意味なので「じんかん」と読んでも良い。 「人間五十年」というのはつまり「人の住んでいる世界での五十年」という意味だ。そして「人間」に対して「下天」というのは、いくつかある神様の世界の一つである。下天での一昼夜は、人間の世界で計算すると五十年になる。「世間でいう五十年といったって、神様の世界からしたら、ほんの一昼夜のあっという間の出来事にしか過ぎないよ」というのがこの一節の意味である。

 

けれど現代では「人間」という言葉が、そういう意味では使われなくなったので「当時の人間(にんげん)の一生は五十年と考えられていた」とかいう全然違った解釈が生まれてしまっていたりする。 このように、言葉の意味というのは時代とともにどんどん変わる。「その文章を、いつの時代の、誰が書いたのか」ってことは見落とされがちだけど、かなり重要だったりする。

 

テキストっていうのは、みんなが思っているほどには、情報を含んでいないもんである。

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