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温玉ブログ

ブログで儲けるヒントは絶対に教えません。


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丸デブラーメンのために岐阜に行く価値あり

ここ2年くらい暇があれば岐阜によく行く。去年だけでも四回くらいは行ってるはずだ。岐阜の良い所は、大阪から近いところ。快速電車を乗り継いで2時間半でたどり着ける。岡山よりもちょっと行きやすい。岐阜から20分足らずで名古屋に行けるので普通は名古屋に行きがちなのだけど、岐阜の魅力にとりつかれてから、名古屋の方はすっかりご無沙汰になってしまっている。

 

さて岐阜の良さであるが、まずひとつに街のコンパクトさが挙げられる。JRの駅と名鉄の駅があまり離れてなくて、その周辺と、ちょっと歩いた先にあるかつて中部地方一番の賑わいをみせたという柳ケ瀬商店街。このあたりで岐阜はだいたい完結できる。あれこれ目移りする面倒がない。JRの南口のすぐに西日本一のソープ街といわれた金津園があるが僕は用事がない。岐阜駅についたら黄金の信長像(宇都宮の餃子像と並びインパクトはあるがちょっとどうかと思うセンス)のある北口にまっしぐらである。

 

名古屋と岐阜の文化圏が同じなのが良い。たとえば岐阜にはラーメンとアイスの寿がきや、手羽先の風来坊、つばさや、などがある。コメダコーヒーもある。そして土手煮や味噌おでん、味噌かつを出している店も多い。しかも味噌カツは岐阜が元祖という説もあって、名古屋の某有名店よりはるかに自分好みの味で驚いた。そして、とんやき(関東でいうところの焼きとん)の名店もある。

 

スーパーに入れば名古屋で売ってるような味噌煮込みうどんやらなんやらたいていある上に、鮎もあるし、飛騨高山ラーメンの影響下にもあるし地酒も豊富だ。これだけ揃っていると、名古屋から脚遠くなってしまうのも無理がないと思う。ただし、なぜだか、名古屋にあれほどある、世界の山ちゃんは岐阜には出店していない。いまや関西にも何件もあるから、別にいいけれど。

 

岐阜ならではの名物もいろいろにある。そのひとつが丸デブラーメンだ。なかなか印象的な名前である。そして丸デブラーメンは一杯400円だ。ラーメンとしてはすごく安い。大正期から岐阜で営業をしているラーメン屋で、物価高に逆らい続けた結果、今でも安いラーメンを提供している。それにしても丸デブという大胆な名前はいちど聞いたら忘れにくい。なんでも、オープン当初は、大柄な店主がいたので、丸デブなんていうすごい名前になったそうだ。

 

それだけに古くからのラーメン屋なのでファンがたくさんいる。昼どきのみの営業なのだが、お店にいくとお年寄りでいっぱいになっている。店内は年季が入りすぎて、テーブルやら柱やら、あちこち角がとれてピカピカ光ってるようだ。これだけで文化財に指定したいくらいの佇まい。そして大きいテーブルで、みんな相席でラーメンをすする。

 

メニューは中華そばとワンタンスープしかない。どちらも400円なんだが、どんぶりにはミチミチに麺やワンタンが入っており、老舗にもかかわらずかなりの大柄めしっぷりが感じられる。だから、食べに行った時は中華そばにするかワンタンにするか悩ましいところだけど、実際は両方を注文している人がけっこうな割合でいたりする。しかもそれは大食い自慢みたいな大柄ではなくて、 古くから通い続けているお婆さんだったりするので驚かされる。こんなお婆さんでも食べれるのだから、僕が怯むのも恥ずかしいのかもと真似して両方を頼んでみたこともあった。そしたらやはり食いごたえのある量ではあったけれど、なんだかんだで苦もなく食えてしまって驚いた

 

脂分があまり感じられないお蕎麦に近いスープと、ふんわりと茹でた麺が胃袋にはわりに優しい。ワンタンの方もそれほど肉肉しいものではなくて、きしめんそばのようなものであったりする。大柄めしのお得感はありつつもあまり胃袋にダメージが無いというのは貴重なお店だ。お年寄りで中華そばの二杯並べて食べている人までいたくらいだ。そういう光景は他のラーメン屋でも見たことないし、うどん屋でもあまり見た記憶はない。そば屋でざるそばやもりそばを何枚か食っているような感覚に近いのかもしれない。

 

お年寄りの常連が丸デブを大切にする理由はわかる。こんなお店は二度と現れないからだ。現代のラーメンの文脈からははっきりと外れている。戦前の感覚の中華そばというのは、まさに中華風のそばだった。現代の視点からは「これそばなの?ラーメンなの?」という事になる。これから新しくラーメンを作ろうという人間が丸デブのような中華そばを目指すことはまず無いだろうし、丸デブのように大正時代の中華そばの感覚を伝える店は数少ない時代の証人だ。

 

丸デブはときに「たいしたことのないラーメン」と評される事もある。もうおわかりだろうけど、現代ラーメンの文脈からは丸デブの魅力にせまることは不可能だ。現代では丸デブのような中華そばがラーメンという呼び名でくくられることはほとんどない。だから「現代ラーメン屋の楽しみ」なんて感覚はいちど置いておいて、「他にこういう食べ物があるのか?」という視点に立って味わうべきで、そうすることが出来たなら、岐阜のソウルフードと呼ばれ、古くからの常連がひっきりなしに訪れる理由も少しは理解できるかと思われる。

 

大正期のラーメンの生き残りが平成の次の時代にも味を伝えることが出来るかどうかは知らない。僕としては出来る範囲では岐阜を訪れて丸デブを味わっておこうと思っている。

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