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土井善晴の「一汁一菜でよいという提案」の革命に衝撃を受ける

土井善晴の「一汁一菜でよいという提案」が評判だ。革新的だということだ。何がどう革命なのか知りたくなった。

 

土井善晴は「洗い米」という美味しいご飯の炊き方を提唱してくれたので、個人的に一目置いている料理人ではある。(ただし、料理人という世界に対する造詣は「無」に等しいけど…)

 

この「洗い米」とは簡単なもので、お米を洗ったらザルに上げて一時間放置。その後にお米と同じ量の水をいれて、炊飯器の急速炊きモードで炊く。と、これだけである。

 

炊飯の仕方ひとつとっても派閥がいろいろあって、ザルに上げず水で一時間浸す派とか、水で浸してからザルに上げる派とか、貝殻を入れる派とか、プロの間でも激しく意見がわかれていたりする。土井善晴の「洗い米」が究極の答えかどうかは知らないが、わりに安定して粒のはっきりしたご飯に仕上がる。自分は所謂「ベチャ飯」が大嫌いなので、ベチャ飯になりにくい洗い米メソッドは救世主に思えた。

一汁一菜でよいという提案

一汁一菜でよいという提案

 

そんな土井善晴が提唱している「革命的」な「一汁一菜」とはどういう事かというと、読んで時のごとく「料理なんてものは、ご飯と味噌汁と何か一品くらいのもんで良いんだよ」ということらしい。これのどこが革命的なのか。しかし本のレビューなど読むと大絶賛。土井先生のおかげで救われたとまで書かれている。大げさか。

 

いろいろ意見を読んでみると、どうやら、世間の主婦とかは、食事のたびに何品も何品も作っていたそうである。「ご飯と味噌汁と、何か…漬物とかでも良いので一品」みたいな献立で作ると、手抜きとみなされる家庭があると。「一汁三菜」みたいな事がよく言われるが、ご飯と味噌汁にプラスして、あと3品くらい作っていたということだ。

 

本当か!?

 

にわかには信じられないところがあって、僕なんかの自分で料理する場合は、味噌汁なんて滅多に作らないし、例えば肉が食べたいなと思ったら豚バラを炒めて終わりとか。たまに、すき焼きなんかやってみたりもするが、それは材料費がかかって贅沢なだけであって一品は一品だ。他に何かを作ったりはしない。せいぜいご飯を炊くくらいのものだ。

 

あとは、焼きそばが食べたいとか、うどんが食べたいとか、そういう時はそれのみで十分なわけで、他におかずがあったりはしない。僕の母親の料理もそんな感覚だったので、食事なんてそんなもんだと思っていたし、とりたてて不満なぞ感じたことがない。

 

もちろん、おひたしとか、大根おろしとか、サラダとか、たまたま何品もある場合だってないわけではないれど、自分ではそれほどあれこれ食べたいというのが無い。かぼちゃを炊いたものを食べたいとなれば、それとご飯とか、そんな献立になったりする。

 

それこそ、ご飯と味噌汁と漬物だけとか、納豆とご飯と卵とか、そんなもので済ませてしまうことも多かった。決して少食とかではなくて、何杯かおかわりして食べれば良いと思っていた。

 

だいたい、外食をしても、品数が多いというのはコース料理とか、日本的な食堂の定食とか、食べ放題みたいなものだけだ。例えば餃子の王将に行ってランチだのディナーだのを食べる場合を考えてみよう。

 

そりゃ餃子3個と唐揚げ一個とミニチャーハンとラーメンみたいなスペシャルな定食もあるにはある。しかし基本形としては、酢豚とライスの組み合わせのような、シンプルな定食が源流にあったのではなかったか。

 

ラーメンみたいなものを食べにいく時に、餃子とか半チャーハンとか、ごちゃごちゃつけることも稀で、せいぜいラーメンライス止まりじゃなかろうか。みんなあれこれ付けたい派?いや、お腹が減っていたら大盛りチャーハンも付けちゃうか…とはなるかもしれないけれど…。

 

たしかにあれこれ付けたい時も多いかもしれない。せっかくの外食だし。白状すれば僕も餃子の王将では、スペシャルな定食を注文しがちだった。だって外食だから。スペシャルだから…。家ではシンプル・地味という「ケ」があってこそ、外食という「ハレ」があるんだ。

 

そんな感覚からしたら、スペシャルなハレの定食的なものを、毎度毎度の食事で考えていた家庭があるなんてことに驚愕を覚える。(わからないけど、そういう家庭は一日3食きっちり食べてそう…)

 

そんな面倒な事は今すぐやめて良いし、自分でも面倒と思いながら作っているなら絶対に考え直すべきだ。もちろん好きで好きで作ってるなら止めないが、別にみんながみんなそれを求めているわけじゃないのを知って欲しいのだ。僕みたいな感覚の人間も多いはず。ああ、そうか。だから、土井善晴の一汁一菜の提案は革命だったのか。

 

「一汁三菜という呪縛にとらわれた人々」が世の中には結構いるというのは新しい認識だった。土井善晴おそるべし。畏敬の念を込めて基本のメニューのレシピ本を買っておいた。たまに参考にして作ってみているが、さすがにプロのレシピだけあって美味い。

 

ちなみに「一汁三菜」という言葉は、武家の「本膳料理」という所謂コース料理が元になった考えらしい。なるほど。やはり庶民の普段の食事としては、いささか大仰すぎたわけだ。

土井善晴のレシピ100―料理がわかれば楽しくなる、おいしくなる

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tettyagi.hatenablog.com

タコの卵のてっちゃぎも一汁一菜で救われたようだ。良かった良かった。

 

「一汁一菜で良い」というのは、「一汁一菜にしろ!」ではないので。そのあたりは誤解なきよう関係者の皆様は御注意下さい。

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