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ジョージ・A・ロメロ監督が「ゾンビ映画」の偉大な父になった経緯を振り返りまくる追悼企画<後編>


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ゾンビ映画」の父であるジョージ・A・ロメロ監督の追悼企画もやっと後編にたどり着けた。『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』→『ゾンビ』ときて、いよいよ『死霊のえじき』である。ここまででロメロ・ゾンビ映画初期三部作が完結する。

 

それに対して後期三部作もあって『ランド・オブ・ザ・デッド』→『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』→『サバイバル・オブ・ザ・デッド』となっている。まるでスターウォーズのようである。世界観のファンが世界中にいるところも含めてスターウォーズとの共通点も多いように思う。このまま無限に話せるような気がしてきたがひとまずはこの辺りでまとめておきたい。

 

1977年の『ゾンビ』(日本では1979年)の世界的ヒットを受けて、7年後の1985年(日本では1986年)に公開されたのが『死霊のえじき』だった。原題は『デイ・オブ・ザ・デッド』であって、夜(Night)→夜明け(Dawn)→日(Day)と、三作で時間の進行を示しているが、なぜか日本語のタイトルは『死霊のえじき』という頭の悪そうなものになってしまった。

 

前作が『ドーン・オブ・ザ・デッド』ではなくて『ゾンビ』になった経緯は、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が未公開だったことにも起因することは、<中編>の記事に書いたとおりだった。しかし今回のが別に『ゾンビ2』とかでもなくて、『死霊のえじき』になってしまった経緯については正直よくわからない。配給の東宝東和は「独自仕様の映画配給宣伝」をする会社として有名であって、わけのわからない見世物小屋感覚の日本語タイトルを付けまくるのが大好きだった。だから頭が悪そうなタイトルになった理由は「東宝東和だから」と説明する他に無いのかもしれない。

 

ちなみに、『ゾンビ』も『サンゲリア』(1980年公開。原題はなんと『ゾンビ2』!)も『バタリアン』(1985年公開。原題はなんと『リターン・オブ・ザ・リビングデッド』!)も東宝東和配給で、『ゾンビ』のリメイク版でゾンビ映画ブームにダメ押しをした『ドーン・オブ・ザ・デッド』(2004)の配給も、すべて東宝東和であるので、ゾンビ映画配給会社といっても良いくらいだ。

 

2004年のリメイク版『ドーン・オブ・ザ・デッド』の公開によっていわゆるゾンビ映画ブームを超えた「~オブ・ザ・デッド」映画ブームが到来したのは記憶に新しいかと思う。海外では『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の公開後から、いわゆる「~オブ・ザ・デッド」ブームになっていたのだが、日本では完全に乗り遅れていた。セガから出たゾンビをテーマにしたガンシューティングゲーム『ハウス・オブ・ザ・デッド』などがわずかに、そしてゾンビオタ以外に知られることなく、ひっそりと追随していただけだ。オブ・ザ・デッドブーム後進国だったのかもしれない。

 

『ゾンビ』はしゃあないとして(イタリア公開時に既にタイトルがzombieだったから)『死霊のえじき』に関しては『デイ・オブ・ザ・デッド』というタイトルで公開していたら、いわゆる「~オブ・ザ・デッド」ブームが20年早く到来したかもしれないがしなかったかもしれない。歴史にイフはないのでわからない。

 

それにしたって、『死霊のえじき』とは不可解なタイトルである。ただし、内容からかけ離れているかというとそうでもなく、死霊(生きている死人)を「やつけてもやつけても喰われてしまう」映画だから『死霊のえじき』というのは的を射てはいる。しかしどうしたってフランケンシュタイン映画である『悪魔のはらわた』(71)とか、猟奇殺人鬼映画である『悪魔のいけにえ』(74)とか、エクソシスト系の映画である『死霊のはらわた』(81)の流れをくんでいるタイトルだし、ここから純粋ゾンビ映画という連想はなかなかしにくい。ぎりぎり『死霊のはらわた』がゾンビが出て来る映画ではあるので、死霊=ゾンビの連想かというとそうではあるのだけど。

 

こういう邦題のせいで、いまだに『死霊のえじき』がゾンビ映画と知らない人も多いかもしれないし、『ゾンビ』の続編映画があることに気がついて無い人も多いと思う。

 

そういえば『発情アニマル』(78)というタイトルで公開された実録犯罪ポルノ映画が、『悪魔のえじき』のタイトルでVHSで発売されたことがあった。この映画の原題は『デイ・オブ・ザ・ウーマン』だった。これはもしかしたら『死霊のえじきデイ・オブ・ザ・デッド)』と何かつながりがあるのかもしれない。VHSの発売時期がよくわからないのだけど『死霊のえじき』の公開に近かったとは思う。「デイ・オブ・ザ~」つながりでそういう邦題にしたとしたら、どっちかのタイトルを考えた人はかなりマニアックといえる。

 

東宝東和編集の予告編では『死霊のえじき』がゾンビ映画であることは隠してないし、ゾンビの続編であるとは直接言及しないものの「これは『ゾンビ』を超えた、もっともっと怖い映画だ!」などとそれを匂わせるナレーションは入る。

 

同じ東宝東和の配給した『サンゲリア』や『バタリアン』や2004年版の『ドーン・オブ・ザ・デッド』はゾンビ映画であることを何故かひたすら隠していたのとはまるで違っていた。しかしゾンビ三部作を前面に押し出した本国版の予告編に比べればシリーズ感はまったくない。『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が知られてなかったからしょうがないのだけど。ただし予告編の出来栄えはオリジナル版よりかなり良くて、『ゾンビ』以上にアクション性の高いド派手な映画と勘違い出来る。この辺は東宝東和の「盛り具合」が気持ち良い傑作予告編といってもよいと思う。謎の「ゾンビングサウンド」とか。

 

さてさて、いいかげんに本題に入りたいと思う。『死霊のえじき』はどういうポジションの映画だったかというと、端的に言えばゾンビ映画ブームを沈静化させた映画だった。もちろんゾンビというキャラクターはものすごい認知されたし、80年代以降は「ゾンビに類するモンスターが登場する映画」は爆発的に増えた。しかし『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』や『ゾンビ』のような、多数の死人の群れからサバイバルするといったパターンの「ゾンビ映画」は、なんとなく飽きられてしまった感がある。世界的にみたらどうだか知らないが、少なくとも日本国内では「ゾンビはもういいかな」ってな感じが強かった記憶がある。

 

『ゾンビ』で起爆した「ゾンビ映画」熱は、『死霊のえじき』で第二弾ロケット発射とはならなかった。この時期にそれなりの予算で作られたものではっきり「ゾンビ映画」というと代表的なもので『デモンズ2』(86)『サンゲリア2』(88)『バタリアン2』(88)くらいしか無かったし、しかも日本で劇場公開されたのは『バタリアン2』だけだったりする。さらにいえば全部続編なうえに、それぞれ三作目はしらばく作られなかったか、ぜんぜん違う映画になっちゃったか、名前だけ借りられるといったような散々な評価になってしまっていた。

 

死霊のえじき』についても『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』から始まったシリーズを三部作として一旦終わらせる形になった以上は、前作を上回るような世間的評価は得られなかったということになる。

 

1990年に『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/死霊創世紀』というリメイク版の制作を行っているが、監督はトム・サビーニにまかせていたし、映画自体も一作目のリメイクということで(映画の内容の出来は良いが)そんなに大規模なものではなかった。ゾンビ映画ブームが熱狂を始めたあとの2005年にユニバーサルで『ランド・オブ・ザ・デッド』を撮影するわけだが、それまでゾンビ映画を作らないかとどこからも声がかからなかったことからも、すっかり過去の人扱いされていたのがわかる。

 

ロメロゾンビシリーズの(ひとまずの)最終作になってしまった『死霊のえじき』のどこがあかんかったのかというと、なんとなくしょぼかったという一点につきる。『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』から『ゾンビ』は前の記事に書いたとおりのあらゆる部分における盛大なスケールアップだった。予算も5倍以上かけたが、それの100倍以上の収益をあげたのだ。そりゃ誰もが二匹目のドジョウを狙うわけで、ゾンビ映画ブームが巻き起こるのも無理もない。

 

それから8年の後に制作された『死霊のえじき』はさらに予算が5倍に膨れ上がったわりに『ゾンビ』の興行収入に届かなかった。労多くして功少なしというやつである。さすがに赤字にはなってないが、本家がこんな有様だと『ゾンビ』の時のような二匹目のドジョウブームなんかは起きないだろう。沈静化したかにみえたゾンビブームが、ロメロチルドレンたちによって第三弾ロケットとして爆発するのには、それから十数年の月日を必要とした。

 

 じゃあ『死霊のえじき』という映画がそんなにダメだったのかという問題だが、結論からいってしまえば、はっきりいって傑作だった。ゾンビ三部作の最後を締めくくるに相応しい重厚な作品だった。ただ、問題としては、内容がSFホラーだったことであって、スリラーでもサスペンスでもミステリーでもアクションでも無かったのが災いしたとしか言いようがない。身も蓋もない言い方したら、「SFなんか売れない!」を地で行くような映画だった。スタイリッシュな演出と過激なスプラッターシーン満載ではあるが、お話の方はといえば決してぼんやり観てて面白い映画とはいえなかったのだ。

 

ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』がド田舎で発生した小規模な事件を扱っており、続編の『ゾンビ』ではアドベンチャー映画かのごとくあちこちに移動する物語で、かつ特殊部隊や暴走族といった武装集団の銃撃戦にまで展開する派手なアクションが見せ場になっていた。そして三作目はいよいよ軍隊vsゾンビが真正面から激突する大規模バトルにまでエスカレートしていく前作をも超えるゾンビ版インディージョーンズともいえるアドベンチャー大作になる……予定だったが、予算の都合がつかずにポシャってしまった。ロメロ監督は縮小した規模の脚本を書き直す。

 

もし最初の予定通り実現していたら、80年代版の『ワールド・ウォーZ』(2013)みたいな映画になっていた可能性はある。しかし書き直された『死霊のえじき』の内容は、軍隊とゾンビが激しい戦闘を繰り広げた、その後のところから映画が始まるという退廃的なものだったりする。人類vs死人の最終決戦は終わってしまっていた。刀折れ矢尽きて自暴自棄になったり現実を見ようとしない軍人たちと、光明のみえないゾンビ研究に明け暮れる科学者たちが、暗い地下倉庫にまで追い詰められて諍いを繰り返した挙句に、やがては自滅していくという鬱々としたストーリーだ。

 

ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』や『ゾンビ』の即物的なところに熱狂した観客たちが、こんな回りくどいストーリーを観て楽しいわけがない。しかし破滅した社会のイメージやディストピアSF的な観点でいえば、今まででの中で一番素晴らしいとしか言いようがないわけで、最初は地味な内容にガッカリしていた『ゾンビ』信者たちの多くも、のちのちになると再評価をせざるを得ないことになっていった。『死霊のえじき』は「ゾンビ映画」の傑作だったと。

 

では『死霊のえじき』の素晴らしかった点のみを挙げていこう。

 

死霊のえじき』が果たした役割は、ロメロの構築した「ゾンビ映画」の世界観をほぼ確定させたことだ。世に「ロメロゾンビの世界観」として認知されているものが『死霊のえじき』で完成した。ロメロ信者になった多くの人間が『死霊のえじき』で描かれた世界観の広がりにインスパイアされたはずだ。それはまさしくSF的な興奮だったし、二次創作の意欲を刺激するには十分だった。いってみればこれ以降のゾンビ映画は、ロメロ自身の作品も含めて、ロメロゾンビ三部作の二次創作物とさえ言える。

 

 『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』では、小規模な範囲のストーリーだったので、主として敵になるモンスターの設定が徹底的に描写されることになった。この最初の「ゾンビ映画」で確立された設定と、世界観をもう一度おさらいしてみよう。

 

(1)突如として死体が蘇る世界になった。原因はわからない。

(2)死体(ゾンビ)たちは互いは争わず、生きている人間のみを襲う。

(3)ゾンビたち基本的には緩慢な動きであるがたまに素早いこともあり怪力を有する。

(4)生前の記憶や知能はもたない。簡単な道具を使うくらいは出来る。

(5)ゾンビは火を怖がる。

(6)ゾンビは人肉を食べる。虫なども食べるが共食いはしない。

(7)死んだ人間は蘇り、動く死体(ゾンビ=人類の敵)になる。

(8)頭にダメージを与えると死体を再び殺すことが出来る。

(9)警官隊やハンターが鎮圧に乗り出したところで物語は終わる。

 

どれもこれも以降の「ゾンビ映画」の世界観の構築に、多大な影響を与えているのがおわかりかと思う。

 

ただ(5)の「火を怖がる」という点に関してはあまり好まれる設定では無かったようだ。ゾンビは普段は傷みを感じないような鈍感のくせに、火だけは異様に怖がるというのは、直感的にしっくりこないとみんな思ったのかもしれない。続編の『ゾンビ』でもガスバーナーでゾンビを追っ払うシーンがあるが、それ以降の「ゾンビ映画」ではあまりそういう特性は使われない。ただし初期の亜流ゾンビ映画のいくつかには流用されている。たとえば『悪魔の墓場』のゾンビは不死身で怪力の持ち主のくせに火をつけると燃え上がるという謎設定だった。ミイラ男とごっちゃになってたフシもあるが。幽霊みたいに出たり消えたりするし。

 

『ゾンビ』はどうだろうか。ほぼ前作の設定を踏襲しつつパワーアップしている映画なのだが、より広範囲の情勢がわかる仕組みになっている。アメリカ国内の通信はむちゃくちゃになっており、テレビ放送も終了してしまう。わずかに残ったインフラは原発からの電力のみとなる(なぜ原発が稼働し続けられているのかは語られない)。警官隊やハンターに加えて州兵も出動して、前作のラストの意味が外側から描写される。事態は収束するどころか悪化していることがわかる。主人公を含めて生き残った人々は都市部を離脱し、人気のいない島にボートで逃げた一団も登場した。物語は略奪者との戦いがクライマックスになっている。社会の治安やモラルといったものは完全に崩壊したのだ。人間同士が争い自滅していく様が、前作より大きなスケールで描かれている。

 

ゾンビについては、生前の習性や記憶がいくらか残っている事が示唆される。そしてゾンビに噛まれた場合、3日と命がもたないといった事が明確に語られる。狂犬病の犬のような扱いである。そして意外なことだが「ゾンビが人間を食い殺す」という設定は2作目で確立されたものだったりする。意外なことに前作ではゾンビが生きた人間に噛み付くとか、生きたまま食べるといった描写は一切なくて、腕力で突き飛ばして殺害したり、道具をつかって刺殺したりするのみだ。ただし死んだ人間の肉を食べる描写はしっかりとある。『ゾンビ』ではゾンビはとにかく人間に噛み付こうとするし、ゾンビの集団に生きたまま解体されるといったショッキング描写されている。フォロワーである『悪魔の墓場』『死体と遊ぶな子供たち』などの作品ではすでに表現されていたものだが、本家のロメロのゾンビ映画としてはこれが最初だったりする。

 

そこで『死霊のえじき』である。ロメロのゾンビ世界の最終局面が描かれている作品だ。アメリカ軍がすでにゾンビに破れさったことが語られている。人類による組織的な抵抗は終了し、登場人物たちは少なくとも数ヶ月以上の期間のあいだ他の生存者を発見していない有様である。

 

都市部はゾンビによって埋め尽くされていて、生存者と動く死者の比率は1:40万という試算が出る。さらに生き残った博士たちによって、ゾンビがどのようなものなのかが説明される。ゾンビ化現象によって腐敗が遅れていることと、脳の視床下部あたりがゾンビの中枢だというところが突き止められる。だから脳のあたりを破壊すれば二度と蘇らないし、そうでなくとも腐敗はゆるやかながら進行して、10年をすぎるとゾンビの寿命も尽きるとされている。そしてゾンビは感情をもち、飼育可能な存在であるということも証明される。劇中では「バブ」と名付けられたゾンビが出てきて、登場人物であるローガン博士に完全に飼いならされていた。

 

そして、ロメロの世界観にとって重要なことなのだが、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』や『ゾンビ』では、なんとなく曖昧になっていた「なぜゾンビは増え続けるのか?」という疑問に対するアンサーもある。ゾンビは生きている人間を食らってしまうのに、五体満足なゾンビがどんどん増えていくのはおかしいじゃないかという例のアレである。

 

つまり、ロメロの世界観では、ある日を境にして、(脳さえ無事ならば)常に死人は蘇る世界が到来したのであって、「噛まれた人間がゾンビになって増え続ける」というイメージに基づく疫病的なものではないことが『死霊のえじき』では明確に描写されていた。つまり、生者がいる限り人類の敵はいなくならないという、あまりにも絶望的な状況が示される。ゾンビに対する武力対立は自らの首を絞める行為であったことがわかってくる。

 

ローガン博士は「ゾンビを飼いならし共存すること」を主張するが理解を得られなかった。軍人たちは博士を撃ち殺し、彼らもまた邦題の通りにゾンビのえじきになってしまう。

 

死霊のえじき』が描くのは、壮大な人類滅亡ストーリーだ。構想に対して予算が足りなかったとはいえ、冒頭で描かれる圧倒的なゾンビの群れが都市を行進するビジュアルは今もなお語り草になるほど素晴らしい。そして終盤の人間解体ショーは『ゾンビ』を完全に超えたスタイリッシュな悪夢の映像だった。

 

特殊メイクアップのトム・サヴィーニだけではなく『ゾンビ』から続投のスタッフやキャストも多く、『死霊のえじき』のメインキャストが『ゾンビ』にチョイ役で出ていたりするのが確認出来るのが面白い。『ゾンビ』のヒロインを演じていたゲイラン・ロスも『死霊のえじき』ではスタッフとして参加していたりする。

 

ロメロ監督にとって80年代はいちばんのっていた時期だったとも言える。『死霊のえじき』の前には『クリープショー』(82)というメジャーデビュー作品も似たようなスタッフ構成で制作している。『クリープショー』は日本の地上波でもおそらくいちばんたくさん放送されたロメロ監督作品じゃなかろうか。なにしろスティーブン・キングが脚本・俳優と全面協力したコラボ作品でもある。『クリープショー』のサウンドトラックで大活躍したジョン・ハリソンという人が、『死霊のえじき』でも実に良い仕事をしている。

 

以降のロメロ監督が、ゾンビシリーズの続編的なものを2005年までの20年間撮影しなかったのは、興行的にさほどということもあったかとは思うが、なにより『死霊のえじき』で世界観が完結しすぎていた事もある。僕自身も90年代のあいだは、4作目を一向に制作してくれないロメロ監督を不思議に思った(世界中のファンが次は『トワイライト・オブ・ザ・デッド』で決まりだと思ってた)ものだけど、今にして考えれてみればあの続きの世界から物語が始まるのは不可能というものだろう。それくらいまで三部作で綺麗にオチていた。だから90年には『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/死霊創世紀』といった一作目のリメイクや、「もしかしたらゾンビ事件の発端を描いているのかも?」ともとれるポーのSFを原作にした短編映画『ヴァルドナー事件の真相』のように、「前に戻る企画」しかしてないのかもしれない。

 

事実2005年の『ランド・オブ・ザ・デッド』は、皆が期待したトワイライト・オブ・ザ・デッド的な、続きの世界観のストーリーとは言いにくいものだった。少し時代が戻っているというか、外伝的作品というか、もしくは今風にいえばセルフ・リブート作品みたいなもんだった。『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』(07)や『サバイバル・オブ・ザ・デッド』(09)にしてもそうだった。

 

ただしこれら作品では「ゾンビに噛まれる意外でのことで死んでもゾンビとなって蘇る」というという設定がことさらに強調されていた。首吊り自殺してゾンビに変身して復讐するといった展開があったり、『ゾンビ』で撃ち殺されたトム・サヴィーニがゾンビ化して再登場したりするといったサービスカットもある。死ねばゾンビになるという設定は、ロメロ監督の世界観の構築には絶対に譲れないという意思が感じられる。

 

『ゾンビ』の登場人物が、ゾンビに噛まれる事によって、死んでゾンビに変身するという展開は、観客にものすごいインパクトを与えた。そのせいで、「ゾンビに噛まれるとゾンビになる」といったイメージが全世界に広まってしまった。だからロメロ以外のゾンビ映画は、ゾンビに噛まれるとゾンビになるという設定を取り入れているものがほとんどなので、本家の思惑を外れてすっかりそういうことになってしまった。

 

ゾンビに噛まれても死んでしまうが、死因はなんであれ死ねばゾンビ化してしまうという世界観をはっきり提示している「ゾンビ作品」は、ロメロ映画の他にはあまり見られない。ロメロ映画のオリジナルの世界観を大切にしているのは、相原コージの漫画『Z(ゼット)』くらいかと思う。『ゾンビ』のリメイク版の『ドーン・オブ・ザ・デッド』でさえ「噛まれて死んだのでなければ蘇らない」という逆の設定を強調するシーンがあるくらいだ。とはいえ、リメイク版のゾンビは全力疾走する無茶苦茶強いゾンビなので、ちょっと手加減した設定にしたのかもしれない。それでも絶望感は同じだったけれど。

 

以上、ゾンビ三部作を中心に、駆け足でざっと説明してきたが、ジョージ・A・ロメロ監督の偉大さを少しでも感じ取っていただければと思う。惜しい人を亡くしてしまった。 

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スティーブン・キングとがっちりタッグを組んだ名作映画。いちおうゾンビも登場する。 

『ゾンビ』のリメイクだけあってべらぼうに面白い『ドーン・オブ・ザ・デッド』。オブ・ザ・デッドブームの火付け役ともいえるかも。オリジナルに対するリスペクトも凄い。ただしゾンビが全力疾走するなどロメロの世界観とはぜんぜん違っている。 

 

Z?ゼット? 1

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 ロメロの世界観を元にいろいろやってる相原コージの名作。不遇な終わり方をしてしまったが短くて読みやすいともいう。みんなロメロ監督が大好きだった!

 

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ロメロゾンビ新三部作のほう。賛否あるが、つまらないわけじゃないくて面白い。

 

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90年代にロメロが制作した一作目リメイク。傑作。監督はトム・サヴィーニ

 

ゾンビ事件の発端を描いたような『ヴァルドナー事件の真相』が収録されている。あとはアルジェントの『黒猫』も。ロメロ&アルジェントであるし何にせよゾンビファンにはたまらない作品。

 


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