温玉ブログ

ブログで儲けるヒントは絶対に教えません。


スポンサードリンク

車椅子の搭乗拒否問題に見るマイノリティ軽視思想の危うさ

先程の記事に書いたTwitterヘイトスピーチ抗議運動叩きに関連して、すぐさま連想した話題があった。それはちょっと前にあったバニラ航空に搭乗拒否をされかけた車椅子男性のニュースだった。

www.news24.jp

ニュースそのものは、歩けない乗客に対して、あまりにも配慮のなかったバニラ航空が、謝罪と業務の改善をするという事で決着が付いていたので、特に何をいうこともないはずなのだが、やたら騒いでいる外野がいたことがTwitterヘイトスピーチ問題とすごく似ているところだった。といってもSNSなんて他人のニュースで騒いでなんぼというサービスともいえるので、当然といえば当然なんだが、アンチに回っている側には大義名分が一切ないにもかかわらず、やたら偉そうという点で相似点があるなと感じた。

 

端的にいうなら「車椅子にあまりにも冷たいバニラ航空はけしからんかったね」というのがこのニュースの通常の反応であって、多くの人もそのような感想をもったのではないだろうか。

 

しかしこれとは違う感想をもった人も大勢いて、「車椅子の方がけしからん、配慮せよ」という主張をしていたりしていて僕らの心胆を大いに寒からしめていた。

 

そういう人たちの意見を簡単に要約すると「車椅子男性はプロのバリアフリー思想活動家であるので、所謂クレーマーみたいなもので一般の障害者とはいえない」「車椅子が生意気なこというな」「嫌なら使うな」「安い航空会社を使っておいて偉そうに」という点だったりする。

 

Twitter社に抗議活動しているのは、抗議活動の専門家なので一般人の意見とはいえない」「抗議のやり方が気に入れない」「ヘイトスピーチが嫌とかいう価値観を押し付けるな」「ヘイトスピーチのあるTwitterが嫌なら使うな」「無料で使ってるくせに偉そうに」……なんというか、批判のポイントがあまりに似ていたのだ。デジャヴーを感じてしまった。

 

ヘイトスピーチにショックを受けたユーザーが「なんとかせい!」と運動を起こし、Twitter社も自ら「ヘイトスピーチは禁止します」と規定を設けている上で「善処します」といってるにも関わらず、第三者による運動に対する批難が止まないにも同じではないか。バニラエアが「配慮が足りませんでした改善します」といって決着した話題だったのに、なぜか第三者が車椅子の人を批難していたりした。

 

バニラエアの件で車椅子の人を「気に入らない」と言っていた人間は、Twitterヘイトスピーチの件でも反ヘイトスピーチを訴えていた人を「気に入らない」と言ってたんじゃなかろうか。両者の発想的なものは同じところから来ているように思うのだがどうか。

 

僕も立場の違いというのは理解する人間なんで「わしはヘイトスピーチが出来るSNSが好きなんや!」「もっと公共の場でヘイトスピーチをさせろ!」って人間が、反ヘイトスピーチ活動についてボロカスに叩きたいという事ならわかる。でもそんな清々しいくらいの主義者なら何もいうことは無かった。それよりも「自分はヘイトスピーチに賛同するわけじゃない。むしろ反対する立場にある。でもああいう運動は…」みたいな事をいう人間の気持ち悪さが気になって仕方が無かった。

 

これは車椅子の件でも同様で「バニラエアはわしの会社や!車椅子は儲からへんから乗せへんのじゃ!」とか、「車椅子の人間と同じ空気を吸いたくないから、バニラエアの方針変更には残念ですね」とか、「バリアフリーなんて吐き気がする!バリア社会にしろ!」とか、そういうわかりやすいクズなら良かったのだけど、「自分は差別心なんて微塵もありませんよ?でも車椅子の人が悪いと思うな…」みたいな事をのたまうわけである。

 

まあ、キーワードになるのは「意見をぶつけてくるやつは気に入らない」ってところだろうか。まともな理由として車椅子の人を批難している人はいなかったと思われる。というか、当事者同士の合意が出来ているものを、第三者が否定するなんてのはよほどの材料が無ければ不可能だろう。

 

バニラ航空、奄美路線での搭乗拒否「階段昇降のできない人は乗れません」 

http://www.kijikiji.com/self/vanilla.htm

上記が搭乗拒否されかけた車椅子の人のHPでの説明なのだけど、これをきっちりと読んだ上で批難している人はほとんど見かけなかった。僕の知る限りは一人もいなかった。というかいうほど興味が無いんだろうと思われる。バリアフリーに対しても、ヘイトスピーチに対しても興味がない。興味がないから「なんとなく気に入らない」だけで批難してみたりもする。その結果がどうなろうと知ったことじゃない。

 

上の説明のなかで恐ろしいのが、158ヶ国200以上の空港を利用したという経験の中で、搭乗拒否を食らったのはたった2回しかなく、どちらも日本の航空会社だったという事実。これは偶然なのだろうか。そりゃ本人は日本人だから、どこの国よりも日本の航空会社を使う機会が多いだろうけれど、そういう機会的なものではなく起きたトラブルをみると何か根本的な不備が原因ような気がする。

 

ヘイトスピーチ問題にしても、バリアフリー問題にしても、要するにマイノリティーとどう向き合っていくかという問題だ。日本人は「空気を読む」に代表されるように付和雷同するのが大好きだ。逆をかえせばメインストリームからはみ出たものに対しては、「臭いものには蓋」という感じで、ものすごく冷たい面があるのではないだろうか。弱者やマイノリティーに配慮するということに関しては後進国といえる。そういう不器用さが「なんだか気に入らない」「意見を言うやつは生意気だ」という感情を生み出しているのではないだろうか。

 

マイノリティ軽視の社会からは、多様性も生まれないので発展性もない。マイノリティを認めない人類からは、人間としての想像力みたいなものは全く感じ取れない。日本社会がそこから脱却できないとしたら残念と言わざるをえない。

 

最強のふたり (吹替版)
 

とりあえず『最強のふたり』でも観て欲しい。

スポンサードリンク