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『シュガー・ラッシュ:オンライン』の歌って踊るヴァネロペだけは観たくなかった!?

シュガー・ラッシュ:オンライン』の感想を書こうと思ってたら、たまたま感想募集キャンペーンをやっていたので便乗しとこうと思う。

 

前作『シュガー・ラッシュ』はディズニー映画の中でも飛び抜けて超好きな映画であって、「ディズニーはPIXARに完全に食われているよね」という認識を改めるきっかけになった程の作品だった。続く『アナと雪の女王』もとんでもなく良く出来ていて、「こりゃあディズニー復権の時代か!?」と思って、『ベイマックス』や『ズートピア』も続け様に劇場に観に行ったもんだ。どちらも面白かったけれど、自分的には『シュガー・ラッシュ』『アナと雪の女王』ほどのインパクトは無かった。

 

シュガー・ラッシュ』が好きな理由は、なんといってもアーケードゲーム文化がテーマになっていること。80年台のアーケードゲームに完全に取り付けれた子供時代を過ごした人間として、パックマンとかルートビアタッパーやQバートなんかがリスペクトされまくった舞台設定は最高だった。

 

「こんなマニアックなこだわりをディズニー映画でやるなんて!」と思ったし、冒頭で主人公の相談に乗るのがなんとザンギエフスト2に狂った人間としちゃ目が離せなくなって当然だろう。重要なシーンにザンギエフを持ってくるスタッフのセンスは信用するしかなかった。決して「ゲームをテーマにしたら面白いんじゃない?」という軽い気持ちで作った映画じゃない深い造詣と愛情を感じたのだ。その熱意でエンドロールまでノンストップ!エンドロールがまた最高だった!ラストにも泣けたけれどエンドロールの小ネタでまたひと泣き。しっぽまでアンコの詰まった鯛焼きみたいなもんだ。これほどまでに捨てるところの無いような映画はそうあるもんではない。

 

あと、『ベイマックス』などもそうなんだけど、『シュガー・ラッシュ』にはミュージカル要素が無いのも好きだった。つまり、『シュガー・ラッシュ』におけるヒロインにあたるヴァネロペは、自分の感情の高ぶりを歌にしたり、それに合わせて他人と踊ったりはしない。そういったシーンは無い。

 

ディズニー映画におけるお約束として、歌とダンスを踊る=セックスを意味している。セックスを露骨に表現するのは憚られるので、ディズニー世界では男女が歌とダンスを踊る事によって仲良くなるのがお約束。感情の高ぶり=歌、一緒に踊る=男女の肉体的な営み、ということだ。そしてセックスした男女は永遠の愛を誓って裏切らないのがディズニー世界。『アナと雪の女王』が新しかったのは、「そうとは限らなくない?」という視点を持ち込んだ事だ。

 

歌と踊りがない『シュガー・ラッシュ』は、これが恋愛をテーマにした物語ではない事を指し示している。ラルフもヴァネロペも、誰にも歌いかけたりはしないし、二人で一緒に踊ったりもしない。お互いを性の対象とは見てはいない。『ベイマックス』でベイマックスとヒロがダンスしたりしないのと同じだ。これは重要だ。

 

おっさんのラルフと、幼女にしか見えないヴァネロペがそうすることは、絵面的にヤバイのもあるけど、打算のない友情の話だからこそ、結末に納得がいくし大きな感動があった。

 

ところが今回の『シュガー・ラッシュ:オンライン』では、ラルフがやたらヴァネロペにベタベタしている様子から始まる。前作の結末に感動した身としては「ラルフお前、そうだったか?そんな感じか?依存か?」と不安が募る。

 

そのあと色々あって、物語はゲームの世界の話から、一気にインターネットの世界の話に。小さいゲーセンから、広大なインターネットの世界が開ける瞬間は、否応なしに盛り上がる瞬間だ。前作でいえばシュガー・ラッシュのゲーム世界で、はじめてレースが開催されるシーンに匹敵する高揚感あるシーン。

 

しかし興奮はそこまでだった。

 

前作のゲームネタという「わかるやつにはわかる濃厚なこだわり」に対して、インターネットネタは「みんなわかる」がゆえに誰でもやるベタなネタしか無い。映画で描かれている通りインターネットはあまりにも広大すぎるのだ。そこには「80年台アーケードゲーム」「失われていくゲームセンター」みたいな集中したこだわりは生まれようがない。ひたすらに散漫。ネットを舞台にしたらそりゃそうなるだろくらいのもので、この作品ならではの独自性というのはなかなか難しかったと思う。設定を広げ過ぎだと言いたくなる。それを埋め合わせるがごとく、例のディズニープリンセス大集合をはじめとしたセルフパロディの連打。これも予告編では楽しかったが、実際に本編で見たらちょっと恥ずかしくなってしまった。

 

そして悲劇はディズニープリンセスたちによってもたらされてしまう。あれほど恋愛要素には無縁だったヴァネロペに対して、ディズニープリンセスなら歌うもんよとか言ってしまう。よりにもよってあのヴァネロペに歌って踊るようにそそのかしたのは、かのディズニープリンセスたちだった。

 

そりゃあんたらは恋愛テーマの物語の人らかもしれんけども…。図式として後輩にセックス勧める先輩女子やん。それで性の目覚めを自覚するヴァネロペとか見たくなかったし、ディズニープリンセスたちのイメージもなんか悪くなってしまった。もちろんそういうのは「人間の成長としてごく自然なこと」かもしれないが、続編を立ち上げてまでいちいち語らねばないことなのかという気持ちが強い。

 

ラルフもラルフで、異様に執着を募らせて、めんどくさいオヤジと化したりする。前作のラストで達観したように見えて、またこじらせとるやんけと。

 

そりゃ人間ってのはそんな簡単に成長できるもんじゃないし、縦に伸びたぶん、横がもろくなったりするもんだし、「一足飛びに成長しないのが自然なこと。そんな簡単なことじゃない」…のかもしれないが、やはり続編のためにわざわざそうした感が強い。なんつうか、同じことを二回言われた気持ちになる。「大事なことだから何回も言いました!」って言われたそうなんだろうけど…。

 

救いがあるとすれば、ラルフがヴァネロペに歌いかけたりしなかったところか。あくまでも友達としての執着なんだという形は崩していない。ディズニー的には。

 

そしてヴァネロペがお熱になるのが年上のかっこいいお姉さんなところも、まあ、なかなか良い設定かもしれない。現代のディズニー世界では歌って踊る相手は異性とは限らない。

 

でもまあ、本編中に意外な展開は何もなかった。わざわざ収まっていた問題をぶりかえして、元の終着点に戻ってくるというよくあるパターンの続編。悪くないといえば悪くないのだけど、要らないといえば要らない。エンドロールも、前作と比べたら実に凡庸だったし。ミルクセーキとパンケーキは良かった。あそこが一番かも。

 

もしさらに続編があるならば、今回の状況の変化は大いに使えると思う。前作はパズルの最後の1ピースがかっちりはまるように完璧に収まった内容だったから、これ以上続けるならばもう一回ぶっ壊すしかなかったのはわかる。まさに「ぶっ壊せラルフ」だ。幸か不幸か、新しい傑作絵を描く余地が十分に生まれてしまった。

 

かように、続編としては前作の熱量にはるか及ばない部分があるけれど、クリスマス映画として、多くのカップルがこの作品を観るのを前提で作ったと考えれば、なかなか痛快とはいえるかもしれない。なんだかんだいって現代ディズニーは一筋縄ではいかないところが面白い。

 

今年の冬に公開されるらしい『アナと雪の女王』の続編はどうなるのか。現代ディズニーのアンサーはどんなものか。不安はありつつも期待してしまう部分もある。「エルサに男性のパートナーは用意しないで!」問題はすごく気になる。下手したらアベンジャーズの続きレベルで。

 

↓音声でも熱く語ってます。

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シュガー・ラッシュ (吹替版)

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アナと雪の女王 (吹替版)
 

 

 

 

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