まさに我田引水なんだけど、釈然としないことなので温玉ブログでもこの事について触れたい。そもそも辺野古基地とジュゴンについての話は何度もこちらで取り上げていることでもあるし。
Twitterだの見なければ良いのだけど、どうしたって目についてしまうことがある。なかでも「宮崎駿は子供たちの未来よりジュゴンや自然を守れというのか?」なんて批判をうっかり読んでしまった日には頭がくらくらして倒れそうになる。
子供たちの未来のために、自然とか、ジュゴンとか残してやろうていうのがこの運動の主旨だし、子供たちの未来のためにろくでもない戦争に関わることは反対していこうというのは当たり前のことじゃなかったのか。
「子供たちの未来のために集団的自衛権と米軍基地をプレゼントしてやろう。」
かなり……狂ってるような気がするのは僕だけだろうか。
しかし日本では狂って無いのかもしれない。日本人的な感覚でいえば当たり前のことなのかも。
沖縄戦といえば未曾有の戦死者を出した戦いとしてご存知かと思う。県民の多くが死んでしまって死にすぎたせいで何人死んだかわからないくらいだ。
海軍の守備隊の大田実指令が自決する前の最後の電信は有名だ。
沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ
かくして、日本政府(ひいては天皇陛下)から「後世特別の御高配」として県民にプレゼントされたのが現在の米軍基地である。
米軍基地は良いものという認識。ただし自分たちの近所にあってもらっては困る。こういう日本感覚がずっと養われてしまっていたのでは。それだったらとんちんかんな宮崎駿批判も納得できないけど理解はできる。米軍基地を原発に置き換えても同じことになるようだ。
「原発はぜったいに必要だけど都内に作って貰っては困る。でも君たちも原発で利益を得ているんでしょ。どうせこんな田舎ではろくな商売もないでしょ。」
うううむ。まったく米軍基地と同じロジックである。
米軍基地のまわりでレイプ事件や墜落事故が起きても知らん振り。
米軍基地が無ければ中国がたちまち襲ってくるというならば、それこそ皇居のそばに設置してもらって防衛して貰えば良いのだし、都内で電気が足りないとか本気で思ってるなら原発かって都内にいっぱい作れば良いのだけど。
それを指摘すると「わかってない」みたいにしたり顔で言う輩たち。僕は本当に、心底、そういう人たちが嫌いである。顔も嫌いだ。
そういえば宮崎駿が原発批判をしたときも「じゃあ電気を使ってアニメとか作るなよ!」と口汚く罵ったりした人たちがいたっけか。じゃあ原発止まっている現在はお前らが電気を使うなよって正論で返したいところだけど。そもそも原発の発電量なんて公式発表でさえ三割程度だったんだから、原発推進するならその三割で生きろよと。そして沖縄には原発は無いってことは無視したりする。
こういう感覚を狂っているって思わないようでは、日本人の民度というも地に落ちてると言わざるを得ないんじゃないか。そもそも民度が高かった時代があったのかと疑問にさえ思えてきた。
マッカーサーが「日本人の精神年齢は12歳」と言ったのは正しかった。歴史と伝統文化だけは無駄に長いけど、そもそも民衆として成熟する期間なんて、それこそ明治維新からこっちしか無かったのじゃないか。
海外の情報なんかにも、なんとかかんとかアクセスできるようになったのも戦後の何十年かでしかないのでは。とくにインターネットの普及が大きい。そういう歴史経緯や環境面などを考慮すると、自分たちが国内で教えられている「信頼できる情報」てやつは、実はかなり偏ったものなのだと、もっと謙虚かつ慎重になったほうが良い。