てっちゃぎのブログがまた怖いマンガばっかり取り上げているのでこわい。ホラーマンガよりこわいホラーマンガだ。あ、ホラーマンガなんだな、このマンガは。やっぱり。内容はどこに出しても恥ずかしくないくらいホラー。
アル中の母親に育てられ、養父にボコボコにされてきた過去をもつヒロインが、やがて大人の女になり、1人の男性と出会い結婚する。暗い過去をもつ女だけど、やっと幸せになるんだわー!
というのは勘違いだって、そういう暗い過去をもってしまった女が選んでしまう理想の男性というのは、得てしてろくでなしだったりするのである。そう、結ばれた旦那は自分の養父に輪をかけたようなアル中の暴力人間だった。
そして子供の頃の数倍パワーアップした虐待を受ける。やっと幸せになるんだわー!っていう気持ちは一体なんだったのか。地獄から一瞬天国、そして超地獄に再突入する人生だった。まるでダイエットのリバウンドみたいだ。ダイエットの失敗のパターンとして、大柄が一瞬小柄になるんだが、超大柄になって帰ってくるみたいな。一瞬、収縮して、再爆発というのは、あらゆることに通じる真理なのかもしれない。株価とか。
で、超暴力旦那から超虐待を受ける嫁が選んだストレス解消は酒。アルコール。たちまちアル中になるヒロイン。あれほど忌み嫌っていたアル中主婦に。気がついたら自分がなってしまっていたなんて。
そして成長した息子にまでアル中母としてボコボコにされる。
なんでこんな超地獄になってしまったのか。何が悪かったんや。
そんな酷い旦那と別れてしまえばいいのに。なんで我慢するんや。アホなのかこいつは。
人々は好きなことをいうが、そいつらはアル中の母に育てられて、養父にボコボコにされ、学校でいじめられまくるというような生き地獄のような人生を送ったことがない。同じ人生を送ったら誰だってこうなってしまうかもしれないということは考えない。
よしんば旦那と離婚して、超地獄から一瞬開放されたとしよう。そんな女性が、次に選ぶのは、きっとまた暴力人間なのだ。
なんで!?
なんでってあんた、そう生まれてきた。あるいは、そういう生き方をずっとしてきたから、という他に説明のしようがない。そういう人間なんだ。
逃げ場のない恐怖。恐怖の連鎖だ。この恐怖はその人が生きている間はずっと続くかもしれない。多くのケースでそのようである。連鎖を断ち切って逃げられる人は稀。ダイエットとか禁煙に似ているかもしれない。一時的には痩せるのに成功したり、数年くらいの禁煙は出来るもんだ。しかし長くは続かない。またタバコを吸い出す人は吸いだすし、忘れていた恐怖は立ち上がってくるのだ。
しかも恐ろしいのは親がアルコール依存症(アダルトチルドレン)だったとか、虐待を受けて育ったみたいな、自分ではコントロールしようのない理不尽な事情がきっかけだったりする。どうしたらよかったのか。どうしようもないのか。運が悪かったとしか言えないのか。人間の指向性というのは何をきっかけに決定されていくのだろうか。アダルトチルドレンの子供はアダルトチルドレンなのか。
人は環境からいろんなものを受け継いで成長していくものとされている。その中でもアダルトチルドレンに代表されるような要素は社会的に不利しかない。こういう特性をもってしまうと、暴力人間と付き合ってしまったり、自分も社会とうまく付き合っていくことが出来ずに破滅に陥りやすい。逃げ場のない恐怖がそこにはまっている。なにしろ自分という人間の特性が社会においては破滅を呼びこむのだ。
まさにホラー映画である。自分の特性と社会との関わりがただひたすら不利益しか生み出さず、やがてほうきで掃き出されるゴミのように社会から除去されていく。そういう恐怖を描いた作品カテゴリーというのは確かにある。
例えばエミール・ゾラの『居酒屋』なんかがそうである。映画でいえば『何がジェーンに起こったか?』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』なんかもそうだ。
僕はこういうのをソーシャルホラーというジャンルとしてカテゴリーしている。目の前で展開している身近な恐怖だけにとにかく怖い。幽霊やゾンビなんてお目にかかったことがないけど、ソーシャルホラーの主人公は、目の前にバンバン登場する。身震いが止まらないとはこのことだ。
これがゾンビだったら脳を破壊するとか(それでもダメなやつもいるけど)吸血鬼だったらニンニクや太陽や心臓に杭か流れる川とかヘルシング教授とか弱点がある。吸血鬼ってなんとも弱点が多いモンスターだ。
しかし社会とか環境には弱点がない。自分を変えていくしか対応策がない。ところがその社会とか環境によって対応力を奪われている状態だったら?
お手上げだ。将棋でいえば詰んでいる。逃げることすら出来ない。これは極限の恐怖ではないだろうか。
もしくはソーシャルホラーにおいては、主人公それ自身がモンスターといえるのかもしれない。社会にとってモンスターとして認定された自分。倒すべき、いや、倒されるべきは自分だったことがわかる絶望。
思えば『地球最後の男』はそんな小説だった。(デンゼル・ワシントン主演の『アイ・アム・レジェンド』はそれの映画化だけど、ちょっとばかりテーマが違ってた。)
ソーシャルホラーは目の前の恐怖だ。たまらない嫌悪感と恐怖。人によってはあまりの恐怖に観てみぬふりをするくらいだ。コワすぎて認識すら出来ないともいえる。
とにもかくにも、本当にあった悲惨な話系のものがソーシャルホラーであるのは間違いない。またそのような作品があればぼちぼち紹介していきたい。誰が得をするのかは知らんけど。