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高校野球はドロドロしたものが見えてしまって全く楽しくない

僕は高校野球は嫌いだ。好きになれない。誤解しないで欲しいのだけど、高校野球の試合を楽しみに見ている人とか、母校の試合結果を気にしている人とかに文句をつけるつもりはない。僕自身だってプロ野球を観戦すること自体は嫌いじゃないけれど、高校生の野球大会にまでは興味が持てないということだ。

 

でも、それを言い出したら、ほとんどの人は野球観戦自体に、本来そこまで興味がないんじゃないかと思うのだ。「OPS」というのが、長打率と出塁率を足した指標であるということすら、知らない人が多いんじゃないか。

 

日本プロ野球の4000打席以上の選手の通算記録で、「OPSの数値が1を超えているのは王貞治だけ」ということも即答できないんじゃないか。

 

ちなみに日本時代だけのイチローの通算は0.943だ。大リーグ時代も入れると、当然ながらもっと低下する。

 

これくらいのことはちょっとでもプロ野球が好きなら即答して欲しい。僕もするようにする。あ、これだと、野球という競技が好きかどうかというより、プロ野球が好きかどうかの話になってしまっていた…。失礼…。

 

まあまあ、そんな感じで、みんな野球に対しての向き合い方は、ほどほどって人は多いはずだ。しかし高校野球だけはやたら興味がある人ってのがついていけない。みんなそれほど野球に強い母校をお持ちなのだろうか。それか、自分の家族が通ってる学校とか。それこそ出場者の身内とか。あと知り合いの息子さんとかが出場してるとか。でも高校野球を気にしている人の多くが、そういう関係者ばかりのような気はしない。

 

個人的な話をすると、僕の通っていた高校は、高校野球に出場してなかったのだった。卒業後に高校野球に出場するようになったとかいう噂はなんとなく聞いたが、それからしばらくして高校自体すらも閉校になってしまったそうだ。だから母校を応援しようというような発想自体が生まれなかったことになる。

 

あと、家族の中に高校球児とか高校野球の監督とかもいないし、そもそも親戚づきあいもしていないから、親類にそういった関係者がいるということもない。友達・知り合いの関係者にも今のところ高校野球に関わっている人がいるという話もないし、もし仮にいたとしても、しょせん友達・知り合いのさらに関係者とかいう間柄なので「ふーん」で終わってしまうと思う。

 

なのに、世間のこの盛り上がりようは「一体どういうことだ!?」とずっと思い続けてきて、疎外感すら覚えて数十年が経つ。みんなもそれほど関係者じゃないでしょうと。普段は野球の話なんかしないのに、高校野球というだけでやたら興奮するのはおかしくないですかと。

 

日本最高峰の試合が観れるとかなら、まだ理解出来るのだけど、しょせん高校生限定の試合じゃないかと思う。なんで16~18歳限定(例外はあれど)の、高校単位で区分けされた野球チームを応援したり、応援しなかったりしなきゃならないのか。

 

先にも書いたとおり、野球にすごく興味があるという人なら、最大規模のアマチュア大会という意味で、高校野球は外せないのだろう。プロ入り前の選手をチェック出来るというのもあると思う。野球ヲタであるなら、高校野球大会は注目度が高いということについては、僕にだって理解は出来る。

 

全国でいちばん野球の上手い高校生が集まっている可能性のある大会だ。ちょっとくらい気にかけてもバチは当たるまいと、頭ではわかっていても身体が拒否してしまう。

 

なんでかというと、いろいろな意味で「不純物」が多すぎるように思うのだ。特に下のような記事を見てしまうと、もう純粋に「高校野球」というものを楽しめない。(かつてリンクしていたものは、古い記事だったので消えてしまったので、2019年の新しい記事に差し替えたが、やはりこんな記事が今も…)

www.nikkansports.com

 

見た目も精神も小汚いおっさんが。恫喝するようにして子供を仕切ってドヤ顔。子供は強制坊主頭。非科学的なシゴキ練習。チームメイトによる陰湿なイジメ。バックネット裏占拠。才能のある選手を県外からスカウト。(ただし現在バックネット裏占拠は解消された。少しは前進だ!)

 

僕が高校野球に感じているイメージは、いずれもダーティーでネガティブなものだったりする。もちろん。あくまで昔からの漠然としたイメージなんで、今の高校野球が正確にはどうなのかは知らない。髪型の強制なんかしてる高校とかは少なくなっているのかもしれない。イジメやシゴキなんていうものとは無縁で、ナイスガイな監督の元にハツラツと野球をやっている部も中にはあるとは思う。しかしだ。上のような記事を読むと「やっぱり…」とか思ってしまう。こういうのがもてはやされる世界なんやと。

bunshun.jp

(2018年の記事があった。やはり坊主ばっかりらしい。なんでや。)

 

あくまでもイメージだが、いまだに高校野球はやたらバントを多用し、一塁にヘッスラ敢行している高校が多いのではないか。こちらは詳しくないので「そんな高校は減っているよ!」とデータと共に反論されたら、いつでも撤回する用意はある。

 

しかしだ。たまにテレビでやっている試合をチラチラ見てると、そんな時にかぎってバントしまくり。ヘッスラしまくりだったりして萎える。なにもバントや一塁ヘッスラがあかんと言っているのではなくて、戦術のひとつではあるとは思うのだが、あくまでも戦術のひとつであって最適解ではないはずだ。なのにやたらこれが好まれる風土に虫唾が走る。

 

いわゆる、アリバイバントや、アリバイヘッスラなんじゃないかという疑惑だ。スポーツの試合に、確実なものなんか何一つないけれど、バントは練習しまくればかなり成功率は高められるし、1点を取るより走者を進めるほうがはるかに簡単だ。だから「仕事した」「責任を果たした」感がすごくある。最悪バントに失敗しても「不運だったね」「作戦に従ったのだから仕方ないね」とか言って貰える。

 

ヘッスラなんか言わずもがな。駆け抜けた方が早いか、ヘッスラの方が早いかは、個々人の資質や状況にもよるというただそれだけの話なのに、とりあえずヘッスラしとけば「ひたむき感」はすごい演出できる。

 

「思いが強いとヘッスラするんだよ」「ヘッスラは早いんだよ」「やったことないやつが偉そうに言うな!」とかいうけれど、そら様々な検証によってはヘッスラが功を奏する場合もあるという話は知っているけれど、プロ選手でも手から突っ込むな!と批判している人がいるやんかと。そもそも「思いが…」とかいう認識が、当たり前のように共有されてしまっている。つまり、ことごとく視線が内向きなのだ。周りにどう思われるかを、すごく気にしている雰囲気が伝わってくる。

 

きわめつけが、負けた後の子供のコメントだ。「期待に応えられなくて申し訳ございません」「すいませんでした」だったりするあれだ。なんで自分たちが負けたのに、誰かに謝らなければならないのだろうか。たとえば、自分のミスのために、チームが負けてしまった。そしてチームメートに「ごめん」というなら、それはまだ少しは理解できる。しかし外野で応援してくれた人に謝る道理がわからない。

 

外野の人であっても、練習や何かを支えてくれたとか、差し入れしてくれたとか、活動費を援助してくれたとか、いろいろあるとは思うけれど、だからといってそういう人らは、勝利に対する投資と思って支援をしていたのだろうか。普通は「子供に好きな野球をやってほしい」という気持ちからそういう行為が生まれるのではないだろうか。

 

でも現実は「とにかくひとつでも勝って欲しい」という周囲の大人たちの気持ちが、重いプレッシャーとなって子供にのしかかっているからこそ「くやしいです」より先に「すんませんでしたぁ」なんて言葉がナチュラルに出るのだと思われる。そんな馬鹿なと思うけれど。

 

そもそも高校野球で名を挙げたい高校が、選手のスカウトや監督の招聘などといった行為にお金を使うわけだから、やはり高校野球の推進というのは投資なのだ。そういう無言のプレッシャーが、子供たちに謝罪の言葉を強要するのだと思う。「おまえらにナンボかかったと思ってんねん」みたいな。野球の試合を見ていたはずなのに、いつのまにか日本社会の縮図を見てるような暗い気持ちになってくる。そうするともうスポーツを純粋に楽しむ事ができなくなってしまうのだ。

 

そこには様々な思惑があるにせよ、良い歳をした大人が子供をダシにして、儲けようとか楽しもうという趣旨がどうにも気に食わない。まわりで「母校の誇り」「おらが村(町でも市でも県でも)の代表」「意地を見せてくれ!」とかいうて囃し立てる。何度もいうけれど、子供が野球出来るように支援したり、頑張っている選手を応援してやることは何も悪くない。でも「勝ってくれ!」みたいなプレッシャーかけるのは何なんだろうと思う。

 

プロ選手やプロ球団なら良い。だって勝つのが仕事だし。プロは金払ってくれるお客さんを気持ちよくさせてなんぼみたいなところもあるから仕方がない。もちろんプロ選手は絶対にお客さんの顔色をうかがえといっているわけではなくて、そういったリスクも込みの商売だよということだ。しかし高校生の野球に対しては、そんなプレッシャーはゼロで良いんじゃないかと思うのだ。部活はアマチュアスポーツだ。アマチュアってのは自分のためにやるからアマチュアなんだし。

 

他にもエースピッチャーの連投とか、大会日程とか、いろいろ言い尽くされていることがあるけど、どれもこれも勝利至上主義に起因する問題点としか思えない。

 

もちろんスポーツでもゲームでも、勝負事で勝利することは大切だ。皆が勝利に向かって努力するからこそ、スポーツやらゲームの純度が保たれているという面はある。しかしだ。それは個々が自主的に取り組むことであって、他人にプレッシャーかけられてやることではないのではなかろうか。

 

なんとなくブラック企業問題との共通点が見えてきた。たとえばブラック労働問題でよく言われるのは、「お金のために頑張るのは間違い」「採算度外視で取り組む姿勢こそ美しい」みたいな主張に対する批判だ。野球に当てはめると、勝利に突き進むために弱音を吐かず野球漬けの毎日を送るという、いわゆるスポ根のことである。この取り組み自体は実は間違っていない。

 

あんまりムキになって全力を出さず、エンジョイ的な努力だけで結果を残す。そんな恵まれた事例も無いとはいえないが、やっぱり凡人といわれる人が、何か突き抜けた結果を残すためには、破天荒なまでの取り組みが求められる瞬間がある。

 

しかしだ。それはあくまで自己満足として行う行為であって、決して他人に強制されてやるもんじゃないのだ。ましてや、その頑張りの上前をはねることで利益をせしめようとしている企業家なんかに、偉そうに言われる筋合いは微塵も無いのである。

 

高校野球も腹立たしいのは、一部の監督なんかは、選手が結果を残す事によって利益を得ているのが明白なこと。学校にしてもそうだ。そういう人らが「ひたむきにやれ!」とか言っても全く面白くもない。髪型を強制するのも外見的に頑張らせいているのがわかりやすいからだろう。あるいは、心の底から親切心で、「ひたむきにやること」の素晴らしさを体験してもらおうと指導をしている人もいるかもしれないが、そういうパターナリズム(父権主義)もかえって恐ろしい。体罰なんかも親心から発生したりする。

 

長々と書いたが、かくいうわけで、日本の高校野球道という世界観がすごく嫌いなのだ。その悪影響は、プロ野球の世界でも垣間見えたりもするので根が深い。出来たらば、もっとゲームに集中出来るような世界になって欲しいのだけど、日本のスポーツ界は、どうかするとすぐに人格形成みたいな方向性に傾きがちだ。たぶんスポーツやゲームに興じる事に対する、後ろめたさみたいなものがあるのだろうと思う。だから「人格形成」とか付加価値をつけたがるのだろう。余計な話だ。

 

なんども書くけれど、単純に高校野球を観戦して楽しんでいる人は良いと思う。でも度外れて高校野球の勝ち負けにこだわっている人はどうかと思う。高校球児がどういう取り組みでやっているかは関係ない。アマチュアに対して外野はプレッシャーかけるなと。

 

昔は一部の大学野球を除けば、大半の球児にとって高校野球が野球人生の最後だった。だから燃え尽きても良かった面もあったかもしれないが、今はプロ野球もあれば独立リーグもある。

 

スポーツを楽しみたい精神が、たかが高校の野球で消費され尽くされるのはあまりにももったいない。時代も変わったのだから、高校の大会だけを必要以上に熱狂したり神聖化するのはそろそろ止めにしないかと思う。立場の弱い子供が関わっている活動だけに、さすがにみてらんない。

 

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その後に読んだ本。ずっと思ってた事が書かれていた。子供にかけられるプレッシャーが怖い。

 

 

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