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Twitterのヘイトスピーチに対する抗議活動に批判が起きる謎について

www.asahi.com

日本のTwitter社がヘイトスピーチを放置しすぎていたことが問題になっている。そのくせTwitter社の意味不明のアカウント凍結も問題になっていたりもする。普通に活動していただけのアカウントが突如として凍結されるという事例はたびたび報告されていて、しかも凍結理由は決して公開されないという不透明さだ。そういうTwitter社の誠意の無さに業を煮やしたということか、さる市民団体が、ヘイトスピーチツイートを印字して道に敷き詰めるというアピールで、Twitter社に対して抗議した様子がニュースになっていた。

 

これはドイツのTwitter社に対して行われた抗議活動が元ネタになっているようだ。さすがに路上にペイントするという過激な行為は日本で行うのはためらわれたようで、印刷物を敷き詰めるというソフトな形にアレンジされている。

www.itmedia.co.jp

 

さて、これでTwitter社が考えを改めてヘイトスピーチに対して適切な対応をとるようになるかわからないが、ひとつ気になったのは、この抗議活動自体を批難するような言説を唱える人間があちらこちらに現れたことだ。

 

ヘイトスピーチを放置するな!」とSNSの運営会社にせまる行為の一体どこに批難される要素があるのだろうか。ちょっと意味がわからない。

 

いつものことだけど、何か話題が立ち上がると、必ずものすごい論点がズレた人が湧いて出てきて話をややこしくする。そして憤怒にまみれた罵声が飛び交ったり、冷笑の応酬もはじまり、その結果として人々の認識がますます混乱、遅延、錯誤、錯覚していく。これをほっておけば社会が何ひとつ前進しないどころか、むしろその無知蒙昧度というのは上昇する恐れもある。だから今回も僭越ながら、僕が話を整理しようと思う。批判の種類ごとの項目を作っていちいち片付けていこう。

 

Twitterを利用させて貰っているのだから会社に文句言うな!嫌ならやめろ!」

この手の類の意見。「○○人は日本に文句あるなら黙って出て行け!」というヘイトスピーチまるままやないかと。なんで不当なものに対する意見をいうたらあかんねんと。こういう手合は差別主義者の理論を振りかざしているだけなので相手をしてはいけない。

そもそもTwitter社自身が「ヘイトスピーチをしてはいけない」というガイドラインを示しているわけで「Twitter社のルールが気に入らなければ出て行け!」と言われなくてはならないのは、本来ならばヘイトスピーカーの方なのだ。

 

もしそれに対して不満があるならば「ヘイトスピーチの出来るSNSにしろ!」とデモを起こさなければならないのは彼らの方だ。それが逆になっているから「Twitter社は仕事しろ!」となっているわけで。

 

www.buzzfeed.com

この記事は一年前のものだ。ヘイトスピーチTwitterのルール違反であるという認識は定着しただろうか。Twitterを使っている者ならば誰だってそんなふうには思わない。ヘイトスピーチやり放題。それが日本のTwitterの現状だ。だからTwitter社は努力しろということだ。

 

ヘイトスピーチとそうでないものの境目がわからない。勝手に決めるな」

mainichi.jp

頭のわるい人にもわかるように、法務省がわざわざヘイトスピーチの典型例を示してくれている。法律上は「表現の自由に配慮して」これらの発言に罰則というのは無いが、ヘイトスピーチかそうじゃないかといえばヘイトスピーチと認定されるのは間違いがない。Twitter社の規定したルール上では、これらの発言は制限されなければならないはずだ。

 

表現の自由を侵犯するな!」

今回のTwitter社のデモにしても、ヘイトスピーチをやめろと言っている人間も、表現の自由や思想の自由は一切侵犯していない事に注意するべきだ。先程もTwitter社が定めたルールを示した。Twitterヘイトスピーチをする場として相応しくないという事を、まったく知らない人に対して啓蒙していっているわけだ。そして何度もいうがTwitter社は仕事をしろと。

 

禁煙のレストランでタバコを注意されたとして「タバコを吸う権利を侵犯するな!」「タバコが嫌なら店から出て行け!」などと逆ギレする人間がいたとしたら、どう思うだろうか。ちょっと理論が飛躍しすぎていて怖くないだろうか。それだけの話である。

 

「抗議活動のやり方が気持ち悪い!センスが無い!」

知らんがな。あんたがそう思っただけだろいうだけの話だ。何度も言うとおり、Twitter社のルールではヘイトスピーチは認められてないのだから、どのような言い方であっても「Twitter社が規定を守る努力をしてない」という事実は何も変わらない。

 

たとえば禁煙の張り紙をしているレストランで、「店は喫煙者を野放しにしているやないか!」と店に抗議した事に対して、一部の人間がキモいと思ったとしたら、店はそいつを無視しちゃっても良いのだろうか。「うむ、その通り。キモい奴はダメ」とか思っちゃったらとしたら、それはもう理屈で物事を考えることの出来る種類の人間じゃないということになる。感覚の人だ。そういう人とは議論になりようがないし、話をあわせる事が不可能に近い。感覚を同じくする人同士で差別的に盛り上がるぶんには一向にかまわないことだが、さも社会的コンセンサスがあるようにふるまうのはやめて欲しい。

 

だから何度でも言っておく。キモい?知らんがな。

 

バトラーを引用してヘイトスピーチを取り締まるべきではないとする言説も見られるようだ。たしかにバトラーは「表現規制を政府に委ねるべきではない」と著作の中で主張している。しかし場所に応じたルールを決めるなとは言っていないはずだ。法律によってポルノ表現を禁止してしまうことと、あらゆるシーンにおいて無制限にポルノを発表する権利があるのとでは話が全く別だ。これを混同するのでは話にならない。

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