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『ドラゴン桜』なんかで有名なやり手マンガ家の三田紀房のアシスタントをやっていたというカクイシシュンスケ氏(現在は連載漫画家らしい)のブログが話題になっていて読んだ。三田紀房のアシスタント待遇は業界水準からしたら信じられないレベルで高いのだけれど、それでも労働基準法に照らし合わせれば残業代未払いなどがあるじゃないのかと。それを請求していますという記事だ。
それだけなら限定された話題ではあるのだけど、カクイシシュンスケ氏がもうひとつ訴えているのは、業界のアシスタントに対する給与水準の低さだ。
漫画アシスタントというのはとにかく待遇が悪い。プロ漫画家の手伝いとか漫画家修行の一環くらいにとらえられていて、ひとつの独立した職業とはなかなか認められていない。だから労働環境も決して褒められたものではない。
それもこれも出版社が漫画家に対する報酬が低い事に起因するのは、カクイシシュンスケ氏の指摘する通りで、昨今は漫画家やイラストレイターが報酬の低さをSNSなどを中心に話題にしがちだ。しかし出版社に適正な報酬を求める漫画家側が、アシスタントには同じ事をしているとしたらなんとも業の深い話ではないか。
僕がこの話を読んだ時に真っ先に思い出したのは、どういうわけか佐藤秀峰のことだった。『海猿』『ブラックジャック』などで知られる佐藤秀峰だが、やり手漫画家という部分で、三田紀房と同じカテゴリーに入れてしまう。一方的な印象ではあるが。佐藤秀峰の漫画も、三田紀房の漫画も、あまりちゃんと読んでないというか、読む気がしないというところも個人的に印象が被ってしまうのかも。
佐藤秀峰は、漫画家の待遇改善と訴える急先鋒であるとともに、アシスタントの待遇改善も積極的に行ってきたと喧伝してるのも、やはり似た処がある。
とか思っていたら、さっそく佐藤秀峰もこの件に関してブログで言及しているし、自分の処のアシスタントの待遇と比較して、わりあいフェアな態度で感想を述べている。というか、いささかカクイシシュンスケ氏に同情的なくらいだ。やっぱり彼にとっても気になる記事だったんだなあと思った。
この記事の中でもチラリと触れているが、佐藤秀峰が福本伸行の下でおくったアシスタント体験は壮絶だ。そのへんは佐藤秀峰のまんが道ともいえる『漫画貧乏』を読むと詳しく書かれている。漫画家が儲からないからくりについても書いている。Kindle版だと、なんと0円!という太っ腹な本なので、ぜひ読んで欲しい。ぜんぜん好きじゃなかった佐藤秀峰がちょっと好きになった瞬間。海千山千の企業の手にかかれば、新人漫画家なんて簡単に言いくるめられてしまうんだねという実態がすごくわかる。
『ブラックジャックによろしく』は最初の方の巻で投げ出した僕でも、『漫画貧乏』は面白おかしく全部読めた。漫画家漫画に外れなし、ともいえる。プロ漫画家が生活していく大変さが具体的な事例で示されていてわかりやすい。ちょっとした漫画好き程度の人がこれを読んだら、プロ漫画家なんか目指したいとは思わなくなってしまうだろう。漫画が好きで好きで漫画さえ描ければハッピーとか思える人にしか無理だ。アシスタントなんかそれ以下の生活なわけで、どちらの大変さも知っている自分だからこそと、佐藤秀峰が今回の件にコメントする気持ちもよくわかる。
佐藤秀峰はこの漫画家人生を元にした『STAND BY ME 描クえもん』を自主連載中だが、そちらも1巻の内容は読んだ。それを読むにあたっても『漫画貧乏』を読んでおけば話がわかりやすい。というか、まんまかよと思う。
現在の出版社と漫画家の関係は、対等とは言い切れない。漫画家のほとんどが個人事業主で、出版社のような大手企業と契約を取り交わしたりするのに慣れていないので、仕事の価値をかなり安く見積もられている。これは手塚治虫以来の悪習だろうけれど、手塚治虫が原稿料などにとくに頓着せず、多作の人だったことも関係して、それが基本ベースになっている部分もある。
戦後まんが業界で手塚治虫が重宝された背景には、手塚治虫が出版社にとって「自由に搾取を許してくれる金の卵を生むガチョウ」だったという事も無視できない。手塚治虫は漫画を描いてりゃ幸せみたいな天才だったから、一枚の原稿にいくら費やしていくら貰うなんてことに拘泥した形跡があまりみられない。出版社としてこれほど美味しい存在は無いだろう。まさに神様だ。アニメについてもそんな調子だった。
そんなわけで手塚治虫に憧れて漫画家を目指した他の若者たちも、同じような待遇に甘んじる他になかった。その構造から脱却できたのは、さいとう・たかをなどを含めてもほんの少しだ。要するに戦後まんが界というのは、「商売をわかってない子供を騙して働かせて儲ける」という側面があった。
例えば漫画原稿料だが、一枚あたり一万円以下ということもザラらしい。であれば、まっとうな個人事業であれば、「原稿料が一万円であるなら、一人で毎日原稿を一枚描けば日給一万円ということになるのか。アシスタントを8時間雇った場合は、一日に2枚はあげるか、原稿料を倍にしてもらわないと赤字だぞ」などという計算をしてしまう。一枚あたり2万円の費用をかけて制作したものを1万円で納品せよと言われて、何の見返りも勝算もなく「はいそうですか」というバカは普通はいない。
しかし実際はどんぶり勘定になっていて、原稿料の交渉もないままに、出版社の言うままに週刊連載が始まってしまったりする。そこで一人ではとても描ききれないとならばアシスタントを雇わざるを得ず、しかも振り込まれた原稿料が想定外に低かったりしても今更文句も言えない。ここにめでたくブラック労働環境が完成する。
「うちの原稿料が8千円だから、一枚に8千円以上かけちゃダメだよ」なんて親切に忠告してくれる大人なんかどこにもいない。個人事業主なんだから自分で判断するしかない。始めてしまったもんは仕方がないから、こうなったら単行本の印税でなんとかしようみたいなギャンブル性を帯びてくる。出版社も「そんなもんだよ。みんなそうしてる」とか言う。しかも単行本というのは出版されるかされないかは出版社次第というから恐ろしい。連載時に「必ず単行本を出す」みたいな契約を結んでいないせいらしい。
雑誌では人気があって長期漫画なのに、単行本がぜんぜん出なかった漫画作品というのも存在する。僕の好きな『解体屋ゲン』とか。だから近年になって著者側がKindleなどで出版するに至っている。電子書籍の時代でまだマシだったと言わざるをえない。それでもひどいけど。
佐藤秀峰はそうした反省から、粘り強く原稿料アップの交渉を経て、作画スタッフにかなりの待遇を保証していたそうだ。業界としては破格なんではないかというレベルで。それはそれで偉いとは思うが(控えめにいっても、待遇を保証できていない他の作家の一万倍くらいは偉いだろう)、少しひっかかる点があって、「印税はあくまで作家のものだから、経営参加していないアシスタントが貰う資格はない」という立場を貫いているところ。
穿った見方をすると、交渉して原稿料を上げる事が出来たからアシスタントの待遇をアップする事が出来たけれど、もし原稿料が上がらなければアシスタントの待遇は低いままにしなければならなかったのかと受け取ってしまう。
アシスタントは印税を受け取る資格は無い。それはそうだろう。法的に言ってもそうだ。しかし同時に、法律を盾に取るならば、労働環境を守らなくてはならないということにもなってしまう。労働基準を守れない理由が「原稿料が安いから」というのは通らない。単純な経営者判断ミスだ。印税からでも、借金をしてでも、定めた待遇を実現する義務がある。実際にアシスタント代で借金が残ってしまう作家も多いみたいだが、それとて「双方納得する形で支払った結果」かどうかはわからない。そもそもの最初の取り決めが安い可能性はものすごくある。それで借金が残りましたというオチはあまりにも悲しい。
例えば、「原稿料が安いから」という理由で、原稿用紙の代金を半分しか払わないとかあるだろうか。もしくは家賃や光熱費を値切ったり。もちろん家賃が払えなくなることも実際にはあるだろうけれど、それはそのまま債務となっていく。しかし人件費に関しては簡単に値切られてしまう。漫画家だけに限らず、他の業界も同じなんだけど。経営者は、「利益が少ないから」と簡単に労働者の賃金を買い叩く。法律の定める基準以下にする。罰則がないからズルズルと。どうしようもないなと思う。
仮にの話だが、もし売上に応じてアシスタントの給金が上がったり下がったりするのならば(実際に手塚プロではボーナスが大幅に減ったという証言あり)、ほとんど経営に参加してるのと変わらんような気もする。だったらインセンティブやストックオプション的なものあげても別にバチはあたらないんじゃないかと思う。現行法的には義務がないにしろ。必ずしもやらなあかんとも言わないが。そういう未来があっても良い。
佐藤秀峰が満足な待遇を実現するまでアシスタントをどういう扱いをしていたかは実際には知らないが、印税からは払いたくなかった気持ちはビシビシと伝わってくるし、それが原稿料アップ交渉の原動力になったのなら偉いのかもしれないし、原稿料という継続可能なところから人件費に充てるというのも経営者判断として間違っていないと思うが、それでも「経営者目線」になってるなあと感じる。そらまぁ仕方がないんだけど。経営者だし。原稿描いてなかったときの「持ち出し」は当然あったろうし。
現在の佐藤秀峰は執筆ペースを自分でコントロールすることによって、作画スタッフことアシスタントを減らしていって、自分一人で描ける体制を構築しつつあるらしい。経営者と労働者という関係をそもそも作らないというのは一つの解答ではあると思う。それが出来れば揉め事は起きない。出来ないケースがほとんどだからドロドロしてるのだけど。ちなみに、佐藤秀峰のところから独り立ちした作家は多いらしい。でもほとんどがホワイトな労働環境は作り出せないでいるらしい。なんてこった。
カクイシシュンスケ氏の訴えるような「ゆがみ」が生じる背景には、出版社と作家の間の関係は雇用関係のない「商取引」なのに、作家とアシスタントは「雇用関係」であるというややこしい点にある。これを理解していない人たちが、出版社と作家の関係性を作家とアシスタントの間にも持ち込んで、「作家修行なんだから我慢しろ」とか「しょせん独り立ち出来ない身分で一人前の給料を貰おうとするな」「漫画家とはそういうもの」とかいう心無い罵声を浴びせたり、そういう感覚で人を雇ってしまう側になってしまったりするのだろう。
ドライな言い方をしてしまえば、作家にとってアシスタントという存在は、原稿用紙とかインクとかスクリーントーンとか光熱費とか家賃といったのと同じような必要資材だ。高級な紙を使いたいのであれば、高級な紙の代金を支払わねばならないのと同じことで、納得のいく技術をもった人間には、それなりの対価を支払わなければならない。でも、なかなかそうならないわけで。
繰り返すが、これは漫画家業界に限った事ではない。そのへんの工場なんかでも、技術をもった労働者が買い叩かれている現実がある。コンビニ店員なんかにしたって、本来は誰でも務まる仕事ではないかもしれないのに、誰でも務まるみたいな意見に押し流されて安い給料のままだったり。漫画家アシスタントもそういう事だ。いつ潰れるか知らないコンビニで店員をするのも、いつ解散するかわからない漫画家アシスタントを仕事にするのも、それ自体は個人の勝手だ。でも、どうせ腰掛け程度の仕事でしょと言われて、労働力を買い叩かれる筋合いは無いんじゃないかと。
「そんな待遇で人を雇っていたら漫画家なんて成り立たない!」「そんな待遇で店員を雇っていたらコンビニなんて成り立たない!」…どこが違うというのだろうか。成り立たない商売ならやめとけよというのが経済の大原則というものじゃないのか。
佐藤秀峰が時折「こんな業界滅んだら良いんだろな」と漏らすのもそういうことだと思う。なんかカクイシシュンスケ氏のアシスタント待遇改善の話だったはずなのに、いつしか佐藤秀峰の話みたいになってしまった。
ちなみに、その後、カクイシシュンスケ氏は、三田紀房氏から、満額の残業代を貰ったそうだ。彼に「生意気だ」「漫画家を舐めている」などと罵声を浴びせていた人たちはどう思っただろうか。中には現役の漫画家も混じっていたようだが。反対に三田紀房氏は有言実行を貫いた形だ。
日本社会において、立場の弱い人間が声を上げるのは本当に大変なものなのだ。それに真摯に耳を傾けるのも勇気の要ることだと思う。だってゴリ押しすれば通ってしまうもの。