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ふと気になってmixiにログインしてみたらレイバンゾンビだらけで怖かった

mixi

ふと気になって日本のSNSブームの先駆け的な存在だったmixiにログインしてみた。新着メッセージが20件以上届いていて無駄にときめいた。かつてはログインしたときに赤文字で「メッセージが届いてます」なんてあると妙に嬉しかったものだ。何のメッセージかと開いてみたら、かつてのマイミクたち(この言い方!)が、何かのせいで感染してレイバンのサングラスの広告メッセージを送信してきていたのだった。あの人もあの人もあの人もレイバンゾンビになっていた。ぞっとした。

 

前回ログインしたのがいつだったか覚えてないけれど、2016年から3回か4回くらいはログインした気がするので、だいたい1年1回ペースくらいではログインしているのだろうか。でもログインしてもメッセージの返事を書いたりしただけで、ろくに内容は見てなかったりする。だいたい今のmixiは画面が見づらくて、どこを押して良いのかもよくわからない。

 

思えばmixiの利用を始めたのは、2004年とかのかなり早い段階だったはずだ。会員番号も15000番台だからけっこう早いと思う。それからしばらくはmixiをやりまくっていた。いつまでやってたのか定かではないけれど、2009年の5月にTwitterを始めたようなので、そのあたりから次第にやらなくなっていったと思われる。そうすると熱心にやったのは5年くらいで、やらなくなって10年くらいは経つ感じか。mixiよりもTwitterを使っている時期の方が圧倒的に長い。

 

これは僕だけではなく、他の大半のユーザーもTwitterやFacebookに流れていった。なにしろそのあたりから、TwitterやFacebookの連動の書き込みが目に見えて増えていったから。

 

「マルチポストはすんなってお母さんに習わなかったのか!」と僕はひとりで憤慨していた。憤慨しつつ僕自身ログインしなくなっていったのだ。そして日記機能とネットラジオのサイトを連動させて、mixi内で何かを書くことはなくなってしまった。

 

後から考えると、mixiの衰退のターニング・ポイントは、TwitterやFacebookが本格上陸してきた2009年や2010年ではなく、2006年の株式上場だったと思う。この頃までのmixiは、日記とコミュニティー機能とメッセージに特化した、シンプルで使いやすいレイアウトのSNSだった。ぎりぎりニュース機能の追加までは良かったと思うが、上場後の機能の追加ラッシュは心底辟易した。

 

矢継ぎ早に追加される機能のせいで、mixi本来の使い慣れたレイアウトは失われていった。うどんの看板の横にトンカツだのお好み焼きだのと増やしていくうちに、けっきょく何屋さんなのかわからなくなってしまった食堂に似ていた。ごちゃごちゃとメニューの多い食堂はそれはそれで楽しかったりもするが、SNSとかネットサービス全般は、なんのかんのいってもシンプルなデザインと機能性が重視されると思う。

 

世界最大のネットサービスのひとつ、Googleのトップページを思い浮かべて欲しい。Amazonはショッピングサイトなので、食堂のメニューのようにごちゃごちゃと項目が並んでいてもまあ良いけど、日常何度も使うような機能性を競うサイトでシンプルでないのはいただけない。(その点においてはmixiにインスパイアを与えたであろうFacebookは、ありえないゴチャゴチャさで嫌いなのだが何故か流行っている。物事にも例外もあるという事だろう)

 

しまいにmixiは、ゲームというのを導入した。マイミクと一緒にゲームをしましょうと。それはそれで楽しいし、僕もいくつかのゲーム(『乾杯ほろ酔い部屋』とか)はそれなりに熱心にプレイしたけれど、その頃になるとmixiのホーム画面はゲームの通知ばっかりで、本来のmixiの売りである日記機能の存在はどんどん端っこに追いやられていった。

 

そうするとまわりでも目に見えて日記を書く人は減ってしまい、外部ブログへ回帰していく人が増えていた。だって、普通にやってると、マイミクの日記にたどり着けないんだもの。しまいに自分の日記に対するアクセス性も失われていった。これにはかなりうんざりした。日記交換的なものが楽しくてやっていたのに、いきなりモバゲーとかGREEに放り込まれたような気分だった。

 

僕自身も2008年にブログを開設していた。mixi日記がある世の中でわざわざブログ書く必要なんかある?くらい思ってたくらいなのに。そして2009年頃からは、携帯からの画像つきのブログ更新もけっこうやっていた。そういうのはそれまでmixiでやっていた行為だ。今でいうTwitter的な役割をかつてはmixiが担っていたのだが、mixiをネットの本拠にするという考え方は、次第に無くなっていっていたのだろう。

 

それからすっかりTwitterがホームのようになってしまう。mixiにログインしない日々が続いた。そのころふとmixiにログインしてみると、Twitterのつぶやき機能やタイムラインみたいなものが前面に押し出せれていて残念な気持ちでいっぱいになったりしてそっと閉じた。

 

思えば、mixiの運営会社(当初はミクシィ社という名前ではなくイー・マキュリーとか言ってたっけ)が株式上場したせいで、定期的に何かしらのコンテンツを無理にでも増やす必要性に迫られたのだと推測する。それでモバゲーやGREEやTwitterやFBがやってるような機能をあれこれとキメラのように増築していった末に、日記やコミュニティといった本来の持ち味は隅の方へ押しやられていった。

 

その後、モンストのヒットでミクシィ社の株価が凄いことになっていったのはご存知の通り。しかしだからといってダメになってしまったmixiはもう元には戻らない。結局、コンテンツなんか何が当たるのかはわからないのだから、もともとあったシンプルで人気のものは下手にいじらない方が良かったじゃないかと言いたいところだけど、結果論といえば結果論でしかないのだろう。正当に進化して今も人気のmixiという未来ももしかしたらどこかにあったかも。そしてモンストの人気のピークもとっくに過ぎているようだ。ミクシィ社はまた何かしらヒットするコンテンツを作る必要性に迫られてきている。

 

僕が2019年の現在のところ利用しているSNSは、Twitterと、LINEと、Slackと、Discordと、Facebookと、Instagramだ。熱心にやっているのはTwitterとLINEとSlack。FacebookとInstagramはどうにも性に合わない。とくにFacebookのシステムはmixiのイライラを彷彿とさせる。

 

現状のSNSライフには十分に満足しているので、mixiが主流だった時代が続いていれば…という思いは全くないが、mixiでしか繋がってない知り合いがいるのは残念だ。基本的にPS4買ってれば十分なんだけど、未だに初代XBOXでしか遊べないゲームもあるし…みたいなもどかしさがある。だからといって初代XBOXを買ったりはしないけど。数年前にわざわざマイミクにメッセージするためだけにmixiにログインした事を思い出したりした。

僕らがSNSに求める事は厳密なルールと法則性だったのに

Twitterのタイムラインがめちゃくちゃだ。フォローのイイネが表示されたり、フォローがフォローしているだけという理由だけで知らん奴のツイートが表示されたりするのは序の口だった。1時間前のツイートが表示されたかと思えば、18時間前のツイートが表示されたりもする。それ前に見たよと。そうかと思えば、僕とだれかのリプライの応酬の途中のところだけが、唐突に表示されたりもする。これ、どうしろと言うのだろうか。何個か前の発言のところからやり直せとでも?

 

全く理解を超えている。現在のTwitterの次元の混乱には呆れるばかり。フォロワーたちの本当のつぶやきというのは何処にいってしまったのだろうか。僕らは本来のタイムラインに戻りたいのだが戻れない漂流者にされてしまった。

 

僕がTwitterというかSNSというものに求めていることはたった1つだけだ。ルールに従って出来る限り精密に動いてくれということ。

 

つまり、タイムラインは、フォロワーのつぶやきを漏らさず、時系列に沿ってすべて表示するものであって欲しい。読めるか読めないかはこちらが決める。

 

フォロワー以外にも、フォローのツイートを読ませたい時の機能として、リツイートというものがある。これも時系列に従ってきちんと表示して欲しい。そしてリツイートや引用リツイートというユーザーの意思が働いた時以外では、同様の事は起きて欲しくない。そしてリツイートを表示しない設定にしている時は完璧にシャットアウトしてくれ。

 

そしてイイネ(ファボ)は、あくまでもイイネなんだから、勝手にリツイート機能を持たせないで欲しい。なぜTwitter社は、ユーザーの意思決定を奪う事に熱心なのか。誰かのツイートを備忘録的な意味あいでファボ入れただけなのに、フォロワーにも晒される可能性があるとかどういう冗談なのだろうか。そういう事をしたければ、勝手にスクリーンショットでもしておけという突き放した態度だ。そして、ファボを入れた一覧を表示させようとしても、完璧にすべて表示されるとは限らないという仰天する曖昧さ。じゃあファボ一覧表示機能って何のためにあるんだ。だったら自分がしたリツイート一覧表示機能も付けてくれてもバチ当たるまい。

 

一番理解不可能なのは、フォローがフォローしているというだけの理由で、ランダム(としか思えない)にそいつのツイートが表示されるという現象。何のためにフォロー機能や、リツイート機能があるのか理解できない。混乱した次元では色々な事が起こりうるが「100%それをやりたければリツート機能を使いなさい」的な意味合いしか無くなっている。こんなの最初にやりたかったTwitterではない。

 

僕が当初からTwitterに求めていたことは以下の4つだけだった。なぜこんな簡単なことを実現することが出来ないのか。余計なことすんなよ。

 

1.タイムラインはフォローのツイートとリツイートが時系列で漏らさず並ぶ。

2.イイネはフォロワーには影響しない。

3.ブロックや、非フォローミュートしてるアカウント以外からのリプライは完璧に表示してくれ。

4.ファボ一覧や、タグ機能も含むツイート検索は、出来る限り精度を高めて欲しい。

 

4については、当初のTwitterは、サーバーの負担やらなにやらがあったのか、かなり曖昧で、外部のサービスに依存していた部分が多かった。だから技術の進歩と共に改善していくべき問題だと理解はしていたのだが、何年経ってもぼんやりとしたままだったりする。そのかわりにTwitter社がしたことといえば1~3のルールを破壊し続けた事。何がしたいのかわからない。

 

今のTwitterのタイムラインの気持ち悪さ、自分がコントロールしきれてない雰囲気は、Facebookに非常によく似ている。Facebookのタイムラインの恣意的な表示には全く馴染めず、アカウントは作っているものの全く真面目に使わなくなってしまった。そのかわりにシンプルなルールの運用のTwitterを重視していたのだが、今やTwitterFacebookみたいな恣意的運用が介入するぼんやりした世界になりつつある。

 

思えばmixiも、余計な機能がどんどん付加されて、タイムラインが意味がわからなくなってしまったので見なくなっていった。それのモデルになったFacebookなんかも言わずもがな。きっとFacebookも良かった時代はあったのだと思う。そういうふわふわしたSNSから逃げ出して、シンプルな部分を突き詰めてくれると信じていたTwitterも、今やこういう有様になりつつある。なぜシステムはSNSのコミュニケーションに不必要に介入したがるのか。きっとその方が儲かるからなんだろうな。

 

Instagramについてはどうだかわからない。今の所タイムラインはまともに機能しているようには見えるのだけど。シンプルな機能性と信頼性の高いタイムラインがInstagram人気の理由なんじゃないのかとも思う。ただ、あんまり使い込んでないので、Instagramのタイムラインの問題点とかは知らないだけなのかもしれないけれど。

<追記>その後、ログインしてみてわかったが、やはり時系列をいじくられていた!フォロー数が極端に少ないからあまりに気なってなかっただけだ!有名人とかで表示しやすくしたり操作しているというコメントの指摘が。 余計なことすんなよな。

 

とにかく、Twitterを始めてから、今までで機能として良くなったところは、画像や動画の投稿が出来るようになったことと、RTが公式の機能になったところと、ミュートやリツイート非表示設定が可能になったところ。あとはグループDM機能か。けっこう多いな。

 

思うに、設定や機能が増える事はだいたい良い。選択が増えるのは良いこと。しかしタイムラインは世界の根幹となるものなんだからいじんなと言いたい。システムといえど、勝手に時間に介入すんなよと。せいぜい広告表示だけにとどめておくべき。

 

<追記>タイムラインを時系列に戻す方法だけはある。

設定>コンテンツ設定>重要な新着ツイートをトップに表示する。

ここの設定をオフにしてやれば時系列に戻る。根本解決にはならんが多少はストレスが軽減するはずだ。やってみよう。

車椅子の搭乗拒否問題に見るマイノリティ軽視思想の危うさ

先程の記事に書いたTwitterヘイトスピーチ抗議運動叩きに関連して、すぐさま連想した話題があった。それはちょっと前にあったバニラ航空に搭乗拒否をされかけた車椅子男性のニュースだった。

www.news24.jp

ニュースそのものは、歩けない乗客に対して、あまりにも配慮のなかったバニラ航空が、謝罪と業務の改善をするという事で決着が付いていたので、特に何をいうこともないはずなのだが、やたら騒いでいる外野がいたことがTwitterヘイトスピーチ問題とすごく似ているところだった。といってもSNSなんて他人のニュースで騒いでなんぼというサービスともいえるので、当然といえば当然なんだが、アンチに回っている側には大義名分が一切ないにもかかわらず、やたら偉そうという点で相似点があるなと感じた。

 

端的にいうなら「車椅子にあまりにも冷たいバニラ航空はけしからんかったね」というのがこのニュースの通常の反応であって、多くの人もそのような感想をもったのではないだろうか。

 

しかしこれとは違う感想をもった人も大勢いて、「車椅子の方がけしからん、配慮せよ」という主張をしていたりしていて僕らの心胆を大いに寒からしめていた。

 

そういう人たちの意見を簡単に要約すると「車椅子男性はプロのバリアフリー思想活動家であるので、所謂クレーマーみたいなもので一般の障害者とはいえない」「車椅子が生意気なこというな」「嫌なら使うな」「安い航空会社を使っておいて偉そうに」という点だったりする。

 

Twitter社に抗議活動しているのは、抗議活動の専門家なので一般人の意見とはいえない」「抗議のやり方が気に入れない」「ヘイトスピーチが嫌とかいう価値観を押し付けるな」「ヘイトスピーチのあるTwitterが嫌なら使うな」「無料で使ってるくせに偉そうに」……なんというか、批判のポイントがあまりに似ていたのだ。デジャヴーを感じてしまった。

 

ヘイトスピーチにショックを受けたユーザーが「なんとかせい!」と運動を起こし、Twitter社も自ら「ヘイトスピーチは禁止します」と規定を設けている上で「善処します」といってるにも関わらず、第三者による運動に対する批難が止まないにも同じではないか。バニラエアが「配慮が足りませんでした改善します」といって決着した話題だったのに、なぜか第三者が車椅子の人を批難していたりした。

 

バニラエアの件で車椅子の人を「気に入らない」と言っていた人間は、Twitterヘイトスピーチの件でも反ヘイトスピーチを訴えていた人を「気に入らない」と言ってたんじゃなかろうか。両者の発想的なものは同じところから来ているように思うのだがどうか。

 

僕も立場の違いというのは理解する人間なんで「わしはヘイトスピーチが出来るSNSが好きなんや!」「もっと公共の場でヘイトスピーチをさせろ!」って人間が、反ヘイトスピーチ活動についてボロカスに叩きたいという事ならわかる。でもそんな清々しいくらいの主義者なら何もいうことは無かった。それよりも「自分はヘイトスピーチに賛同するわけじゃない。むしろ反対する立場にある。でもああいう運動は…」みたいな事をいう人間の気持ち悪さが気になって仕方が無かった。

 

これは車椅子の件でも同様で「バニラエアはわしの会社や!車椅子は儲からへんから乗せへんのじゃ!」とか、「車椅子の人間と同じ空気を吸いたくないから、バニラエアの方針変更には残念ですね」とか、「バリアフリーなんて吐き気がする!バリア社会にしろ!」とか、そういうわかりやすいクズなら良かったのだけど、「自分は差別心なんて微塵もありませんよ?でも車椅子の人が悪いと思うな…」みたいな事をのたまうわけである。

 

まあ、キーワードになるのは「意見をぶつけてくるやつは気に入らない」ってところだろうか。まともな理由として車椅子の人を批難している人はいなかったと思われる。というか、当事者同士の合意が出来ているものを、第三者が否定するなんてのはよほどの材料が無ければ不可能だろう。

 

バニラ航空、奄美路線での搭乗拒否「階段昇降のできない人は乗れません」 

http://www.kijikiji.com/self/vanilla.htm

上記が搭乗拒否されかけた車椅子の人のHPでの説明なのだけど、これをきっちりと読んだ上で批難している人はほとんど見かけなかった。僕の知る限りは一人もいなかった。というかいうほど興味が無いんだろうと思われる。バリアフリーに対しても、ヘイトスピーチに対しても興味がない。興味がないから「なんとなく気に入らない」だけで批難してみたりもする。その結果がどうなろうと知ったことじゃない。

 

上の説明のなかで恐ろしいのが、158ヶ国200以上の空港を利用したという経験の中で、搭乗拒否を食らったのはたった2回しかなく、どちらも日本の航空会社だったという事実。これは偶然なのだろうか。そりゃ本人は日本人だから、どこの国よりも日本の航空会社を使う機会が多いだろうけれど、そういう機会的なものではなく起きたトラブルをみると何か根本的な不備が原因ような気がする。

 

ヘイトスピーチ問題にしても、バリアフリー問題にしても、要するにマイノリティーとどう向き合っていくかという問題だ。日本人は「空気を読む」に代表されるように付和雷同するのが大好きだ。逆をかえせばメインストリームからはみ出たものに対しては、「臭いものには蓋」という感じで、ものすごく冷たい面があるのではないだろうか。弱者やマイノリティーに配慮するということに関しては後進国といえる。そういう不器用さが「なんだか気に入らない」「意見を言うやつは生意気だ」という感情を生み出しているのではないだろうか。

 

マイノリティ軽視の社会からは、多様性も生まれないので発展性もない。マイノリティを認めない人類からは、人間としての想像力みたいなものは全く感じ取れない。日本社会がそこから脱却できないとしたら残念と言わざるをえない。

 

最強のふたり (吹替版)
 

とりあえず『最強のふたり』でも観て欲しい。

Twitterのヘイトスピーチに対する抗議活動に批判が起きる謎について

www.asahi.com

日本のTwitter社がヘイトスピーチを放置しすぎていたことが問題になっている。そのくせTwitter社の意味不明のアカウント凍結も問題になっていたりもする。普通に活動していただけのアカウントが突如として凍結されるという事例はたびたび報告されていて、しかも凍結理由は決して公開されないという不透明さだ。そういうTwitter社の誠意の無さに業を煮やしたということか、さる市民団体が、ヘイトスピーチツイートを印字して道に敷き詰めるというアピールで、Twitter社に対して抗議した様子がニュースになっていた。

 

これはドイツのTwitter社に対して行われた抗議活動が元ネタになっているようだ。さすがに路上にペイントするという過激な行為は日本で行うのはためらわれたようで、印刷物を敷き詰めるというソフトな形にアレンジされている。

www.itmedia.co.jp

 

さて、これでTwitter社が考えを改めてヘイトスピーチに対して適切な対応をとるようになるかわからないが、ひとつ気になったのは、この抗議活動自体を批難するような言説を唱える人間があちらこちらに現れたことだ。

 

ヘイトスピーチを放置するな!」とSNSの運営会社にせまる行為の一体どこに批難される要素があるのだろうか。ちょっと意味がわからない。

 

いつものことだけど、何か話題が立ち上がると、必ずものすごい論点がズレた人が湧いて出てきて話をややこしくする。そして憤怒にまみれた罵声が飛び交ったり、冷笑の応酬もはじまり、その結果として人々の認識がますます混乱、遅延、錯誤、錯覚していく。これをほっておけば社会が何ひとつ前進しないどころか、むしろその無知蒙昧度というのは上昇する恐れもある。だから今回も僭越ながら、僕が話を整理しようと思う。批判の種類ごとの項目を作っていちいち片付けていこう。

 

Twitterを利用させて貰っているのだから会社に文句言うな!嫌ならやめろ!」

この手の類の意見。「○○人は日本に文句あるなら黙って出て行け!」というヘイトスピーチまるままやないかと。なんで不当なものに対する意見をいうたらあかんねんと。こういう手合は差別主義者の理論を振りかざしているだけなので相手をしてはいけない。

そもそもTwitter社自身が「ヘイトスピーチをしてはいけない」というガイドラインを示しているわけで「Twitter社のルールが気に入らなければ出て行け!」と言われなくてはならないのは、本来ならばヘイトスピーカーの方なのだ。

 

もしそれに対して不満があるならば「ヘイトスピーチの出来るSNSにしろ!」とデモを起こさなければならないのは彼らの方だ。それが逆になっているから「Twitter社は仕事しろ!」となっているわけで。

 

www.buzzfeed.com

この記事は一年前のものだ。ヘイトスピーチTwitterのルール違反であるという認識は定着しただろうか。Twitterを使っている者ならば誰だってそんなふうには思わない。ヘイトスピーチやり放題。それが日本のTwitterの現状だ。だからTwitter社は努力しろということだ。

 

ヘイトスピーチとそうでないものの境目がわからない。勝手に決めるな」

mainichi.jp

頭のわるい人にもわかるように、法務省がわざわざヘイトスピーチの典型例を示してくれている。法律上は「表現の自由に配慮して」これらの発言に罰則というのは無いが、ヘイトスピーチかそうじゃないかといえばヘイトスピーチと認定されるのは間違いがない。Twitter社の規定したルール上では、これらの発言は制限されなければならないはずだ。

 

表現の自由を侵犯するな!」

今回のTwitter社のデモにしても、ヘイトスピーチをやめろと言っている人間も、表現の自由や思想の自由は一切侵犯していない事に注意するべきだ。先程もTwitter社が定めたルールを示した。Twitterヘイトスピーチをする場として相応しくないという事を、まったく知らない人に対して啓蒙していっているわけだ。そして何度もいうがTwitter社は仕事をしろと。

 

禁煙のレストランでタバコを注意されたとして「タバコを吸う権利を侵犯するな!」「タバコが嫌なら店から出て行け!」などと逆ギレする人間がいたとしたら、どう思うだろうか。ちょっと理論が飛躍しすぎていて怖くないだろうか。それだけの話である。

 

「抗議活動のやり方が気持ち悪い!センスが無い!」

知らんがな。あんたがそう思っただけだろいうだけの話だ。何度も言うとおり、Twitter社のルールではヘイトスピーチは認められてないのだから、どのような言い方であっても「Twitter社が規定を守る努力をしてない」という事実は何も変わらない。

 

たとえば禁煙の張り紙をしているレストランで、「店は喫煙者を野放しにしているやないか!」と店に抗議した事に対して、一部の人間がキモいと思ったとしたら、店はそいつを無視しちゃっても良いのだろうか。「うむ、その通り。キモい奴はダメ」とか思っちゃったらとしたら、それはもう理屈で物事を考えることの出来る種類の人間じゃないということになる。感覚の人だ。そういう人とは議論になりようがないし、話をあわせる事が不可能に近い。感覚を同じくする人同士で差別的に盛り上がるぶんには一向にかまわないことだが、さも社会的コンセンサスがあるようにふるまうのはやめて欲しい。

 

だから何度でも言っておく。キモい?知らんがな。

 

バトラーを引用してヘイトスピーチを取り締まるべきではないとする言説も見られるようだ。たしかにバトラーは「表現規制を政府に委ねるべきではない」と著作の中で主張している。しかし場所に応じたルールを決めるなとは言っていないはずだ。法律によってポルノ表現を禁止してしまうことと、あらゆるシーンにおいて無制限にポルノを発表する権利があるのとでは話が全く別だ。これを混同するのでは話にならない。

いまさら『キングコング西野絵本無料事件』を蒸し返して総括してみる

ちょっと前、キングコング西野が自分がプロデュースした絵本を、無料公開したことでものすごく叩かれていた。本屋さんでは2000円で販売している絵本だけど、買えない人のために、ネット上では内容を無料で読めるようにしますと。言ってみればただそれだけのことだけだ。マクドナルドがコーヒーの無料券を配るみたいなありふれた話である。ところがネット民(の一部)からは「キングコング西野は絵描きの仕事を奪う気か!」などと火の手があがる。はては、声優の某との直接の言い合いにまで発展したりした。(和解したんだろうか?)

 

僕はキングコング西野については全く興味の無い人間で、彼のプロデュースした絵本についても「無料でも読みたくない」というスタンスだ。なにしろネット空間には「無料のコンテンツ」が無限といっても良いほど転がっている。言ってみればこういったブログだって「無料のコンテンツ」のひとつだし、YouTubeなんか時間がいくらあっても全部みるなんか不可能だ。そんなかで、全く興味のないキングコング西野の絵本に割けるリソースは一切ない。なんか面白そうなニュースだなあと、彼の無料宣言のブログ記事だけを読ませていただいたが、それだけでもかなり付き合った方だといえる。アクセスにも貢献したはずで、なんぼかお礼を言ってもらいたいくらいのもんだ。いや、これは嘘だけど。

 

それでもわざわざ自分のブログで記事にしている理由は、キングコング西野という存在に興味があるわけではなくて、彼を叩く界隈についてものすごく興味を惹かれたからだ。というか、以前からそういう界隈について、感じる事があったという方が正確か。

 

キングコング西野を叩いている界隈というのは、いわゆる絵師と呼ばれるイラストレーターやら、マンガやら、アニメやら、そういった方面に携わっているか、またはそれらプロ・アマ問わずのクリエイターを信奉している人たちを示している。そういう人たちがすごく怒っていた。なんでそんなに怒るんだというほどに。

 

彼らの最初の主張は「無料公開したら、キングコング西野の絵本制作に携わったクリエイターたちの取り分はどうなるんだ。無責任だ」というのと、「絵本を無料にされたら、他のマンガとか、イラストとか、絵本とかが売れなくなる。自分勝手だ」というものだった。

 

なるほどと一瞬そう思わないでもないけど、ちょっと立ち止まって考えてみればおかしなところがある。

 

キングコング西野は多くのクリエーターを動員して絵本を制作したようだ。映画監督みたいな立場でクオリティの高い絵本を作ったとかなんとかそういう趣旨らしい。クオリティが高いかどうかはこの際はどうでもよくて、動員されたクリエイターたちのギャラはきちんと支払っていると思われる。思うだけでもしかしたら支払っていない可能性もそりゃある。だから「西野が絵本を無料にしたせいで俺のギャラが未払いになった!」とスタッフの誰かが怒っているという話なら「なるほど酷い話だ」となるけれど、今のところはそのような話は漏れ伝わっていない。つまり部外者が「クリエイターの取り分が!」とかいうのは完全に憶測である。「Googleを無料で使わせてGoogle社員の給料はどうするんだ!」とか怒るのと同じくらいトンチンカンな言いがかり。Google社員の給料なんて世界的にみても、かなり優遇されているのは誰だって知っている。

 

絵本が売れないとかイラストが売れないという話にしても根拠がない。キングコング西野の絵本を無料公開して、売れなくなる可能性のものがあるとすれば、それはキングコング西野の絵本そのものに他ならない。「おっ、キングコング西野の絵本が無料公開されているのか!じゃあ、お金を出して『三匹やぎのがらがらどん』を買うのはやめておくか…」なんてことになるわけがない。絶対にない。「キングコング西野の絵本が無料公開されているなら、キングコング西野の絵本を買うのはよそう…」これが普通の思考だろう。「『三匹やぎのがらがらどん』とキングコング西野の絵本どちらを買うか迷ってたけど、キングコング西野の本は無料で読めるなら、『三匹やぎのがらがらどん』を全力で購入しよう」こういうケースもあるだろう。しかし無料公開したら、宣伝効果かなんか知らんが余計に売れたそうだ。良かったねとしか言いようがない。(売れなくなったら面白かったんだけど)

 

三びきのやぎのがらがらどん (世界傑作絵本シリーズ)

三びきのやぎのがらがらどん (世界傑作絵本シリーズ)

 

 そもそもおかしいのが、叩いている側の人たちのうちのかなりの人たちが、自分のイラストだのマンガだのを、ネット上で無料公開していたりするのだ。この矛盾を突っ込まれるのを事前に予測して予防線をはっていたのか「創作物をネットで無料公開している人も多いが、あれは一見無料だけど、アフィリエイト広告などで別の方法でお金を得るモデルがあるから良いんだよ」などといけしゃあしゃあと言っている人もいた。何かの冗談かと思った。さすがにこれは釣りの可能性もある。ちなみに、キングコング西野の絵本の無料公開のページは、アフィリエイトの広告バナーまみれである。そらそうだろう。

 

かように、キングコング西野に対する最初の批判は、かぎりなく根拠の薄いものだった。だから僕も「なんでこんなわけわからん言いがかりで他人を叩くのかなー」と全く賛同できなかったわけだけど、叩かれた当人であるキングコング西野自信もブログ上で反論を展開。もともと根拠のない話だっただけに、理屈勝負になると完全に否定派の分が悪くなってしまった。そうすると彼らが次に展開したのは感情論だった。曰く「キングコング西野はクリエイターの仕事を馬鹿にしている」という。「2000円出さないと読まさないのはお金の奴隷である(とブログで彼は自分自身のことについて表現していた)という発言は、それで商売しているクリエイターを馬鹿にしとる」というわけだ。「汗水たらして働く人を馬鹿にしている」とまで言って、人々の情に訴えかける人までいた。

 

ここまでしてキングコング西野に対して怒りたい集団というのは、一体なんなんだろうと考えてしまった。キングコング西野は本当に労働者を馬鹿にしているのだろうか。「俺は才能でむちゃくちゃ儲けてるのに、小銭拾ってあくせく働いてる奴らは頭足りへんなー」とか裏で言ってるんだろうか。あるいは言ってるのかもしれないが、そんなことは第三者には知りようがないことだ。少なくとも性格が良い人ではないだろうとは思う。あんまりよく知らん僕でも「絶対に友達になれへん奴やな」くらいはオーラとして感じる。しかしキングコング西野は僕の雇い主とかではない。キングコング西野と取引しているわけでもない。キングコング西野の商品を買う気は今後も無い。ましてや、キングコング西野が都道府県の最低時給を決める立場にあるわけでもない。だからキングコング西野と僕との利害関係というのは完全にゼロだ。「自分とは無関係の、単なる嫌味な人間」でしかない。

 

キングコング西野に馬鹿にされた!」と怒っている人のなかには、キングコング西野の絵本を買ってしまった人間も含まれる可能性も高い。だったら自分が買った本の価値が下がった(ように思った)事に対しては怒る権利はあると思う。キングコング西野というブランドが気に食わなくなったのなら、本を破り捨てて二度と付き合わないようにするなり、返金要求するなり(認められるかどうかはさておき)、顧客という立場の範囲内で好きにしたら良いと思う。

 

でも怒っている人らが振りかざしていた理由を考えると、どうもそうではない。本を買って損したとか言ってる人はほとんどいなくて、あくまで「社会の道義に反した」みたいなことが重要のようだ。「クリエイター道にも悖る」というわけだ。

 

この「道」ってのは怖い。日本人はスポーツや文化など、なにかにつけて「道」とか言い出しがちだ。ベースボールと書くと単なるスポーツだけど、野球道などというとたちまち息苦しい何かに変化してしまう。審議委員会が出てきて「品格が足りない…」などと言われて、実力や成績は申し分ないにもかかわらず横綱昇格を見送られそうな恐怖がある。

 

 キングコング西野の絵本が売れているというなら、つまりスポーツに例えるならばそれなりに好成績を残した名選手みたいなことになるのかもしれない。だったら名選手でも良いのだけど「品格が足りない」とかいう話にもっていけば、動かしがたいはずの成績にだってケチをつけられる。クリエイターを「道」にしたい勢はこれがやりたかったのだろうか。

 

自分がやっている競技で、自分よりはるか上の成績を挙げた奴がいたとしたら、悔しいけど名選手と認めざるを得ない。でもあいつは嫌な奴だ。できるならば認めたくない。じゃああいつがズルというかルール違反したという事にすればどうだろうか。

 

それが最初の批判の動機だろう。しかしそれが通らないとわかると、「道」的なものを持ち出して品格が足りないと言ってみる。そういうことだと解釈すれば怒っていた人の言い分にも納得がいく。

 

でも、そんな回りくどいやり方が必要だったのだろうか。自分より良い成績を挙げた人の性格が気に入らないからと、いちいち理由をつけて叩くというのはあまりにも浅ましい。絶対にかかわらない他人の性格なんて、本来はどうでも良いことだったりする。

 

それに、ここまで、成績=売上という例え話を展開してきて、誠に申し訳ないのだけど、文化的行為とスポーツの試合というのは当たり前だけどぜんぜん別物である。ある文化的行為から発生した売上を、スポーツのスコアに例えるのは、なるほどひとつの考え方ではあるけれど、それは同じ価値観を有している人の間だけで通じるものだ。だいたいスポーツ同士にしたって、野球とバスケットボールでは1点の意味が違う。野球同士であっても大リーグとプロ野球と草野球の成績を混ぜて比較することなど不可能だ。同一ルールの同一リーグという価値観の共有が絶対に必要なのだ。

 

例えばキングコング西野の絵本がいくら売れたとて、僕はキングコング西野の絵本には全く興味がもてない。売上なんてものはしょせん売上にすぎないもので、文化的行為の優劣を決めるものではないという事実を知っているからだ。

 

だけどビジネスとしてその分野に関わっている人間からしたら、悔しくて腸が煮えくり返る思いがあるかもしれない。僕が売れない絵描きかなんかで、それも絵を描いてるだけで満足というような人間でもなくて、絵の分野で人気になりたいとかいう野心があったとしたら、キングコング西野の小賢しいやり方には相当の嫉妬心をもつと思う。

 

「なんであんなアイデアだけの糞絵本が売れて、俺が一生懸命描いた絵が全く見向きされないんだ!」しかも涼しい顔で「お金には興味ありませんよ~」みたいな事まで言ってのける。イラストの仕事をお金や人気に換えたくて仕方なくて泥臭く立ち回っている自分が本当にバカなんじゃないかなと思えてくるかもしれない。涼しい顔の下にドヤ顔が見え隠れするようなキングコング西野みたいなのは、どうしようもなくイラつく存在だ。

 

「俺の出来ない事を簡単そうにやりやがって!ムカつく!お前なんか死んでまえ!」

これが素直にいえたら話は簡単だった。

 

「俺は俺以外の成功してる奴がにくい。いつかぶっ潰してやるからな!」

穏やかではないが、屈託なくこう発言出来る方がまだ健全ということもあるのだ。

 

「俺にはあんな真似は出来ないよ。だから勝負する気は最初から無いから」

これでも良い。穏やかである。

 

「俺が認められないのはあいつのような奴がいるからでは?」

だけどこれは危険。実にダメな考えだ。

 

キングコング西野が雇い主かなんかで、自分が描いた絵のギャラを未払いとかだったら、たしかに悪いのはキングコング西野だから激しく怒らないといかんわけだが、キングコング西野と自分の活動とは全くつながってないのは明白なのに、「あいつが俺の足を引っ張っている」とナチュラルに思えちゃうとしたら、相当ヤバイところにはまり込んでいるといえる。

 

そもそも絵描きとか物書きとか、楽器演奏や各種スポーツなど、なんでも良いけれど、文化的行為というのはお金にならないのが前提としてある。どこかの企業の社員としてそれらの行為をする場合も多いから、そういった時は規定の賃金が支払われなくてはならないのだけれども、フリーでやっている限りは単なる個人事業主である。依頼や契約がなければ1円にもならないのが個人事業主というものだ。こんなこと当たり前の話なのに、なんかわかってない人をよく見かけるのが不思議だ。

 

どんな手間隙かけた商品でも、どんな名人芸だったとしても、そこに需要が無ければ売れないのだ。2017年の時代にどれほど品質が良くても、VHS規格のテープなんかたいして売れないのと同じで、売れないのは製作者の頑張りが足りないのでも、誰かが足を引っ張っているわけでもない。商売というのは単純に需要と供給でしかないのだ。

 

100時間かけて制作した絵に1000円の値段をつけられたらどうするのか。時給に換算すれば10円である。でも0円にしかならないこともあると考えればたいしたもんだという考えもあるし、「そんな値段じゃ絶対に売らない!」という自由も保証されている。もちろん依頼された仕事をこなしたのに、ギャラ未払いなんていう事件は有りうることで、そういうのはどんどん怒った方が良い。単なる契約違反だから。

 

だけど自分が好きで制作している商品は好きで勝手に作っているわけだから、売れても売れなくてもしょうがないのである。売れようと思って作ったとしても売れないこともある。それだけだ。作ったものが悪かったかどうかとは関係がない。

 

じゃあ作ったものの良し悪しというのを誰が決めるのかというと、厳しいことをいうようだけど自分で決めるしか無い。全世界の全員が悪いといっても、自分が素晴らしいものを作ったという自負のある人なら、それで終わり。なにも問題がない。

 

でもなかなかこのような強固な意志力の持ち主というのは少ないと思うので、いくらかは他人の評価を頼りに自信を深めていくという方向性に持っていくのことが多いと思う。問題は、それがどれくらいの評価なら満足かということで、10人くらいに褒められたら満足な人もいれば、100人1000人でも物足りないという人もいるだろう。反対に尊敬する(または愛する)「あの人」にさえ認めて貰えれば…というセカイ系っぽい人もいる。

 

ところがお金だけが評価の尺度である人というのはやっかいだ。金銭的成功を達成するまで満たされないということになる。前述したとおり、文化的行為はお金にならない。それを成し遂げるためには創作的なスキルよりも、何らかの商売的な才能または時流に乗っているかなどの運といった要素が求められてくるわけだ。キングコング西野は傍から見ていても悔しいくらいに商売の才能と運を持っているように思える。金銭的成功を達成する要件を満たしまくっているわけだ。

 

もし商才や運に恵まれない人が金銭的成功を夢見ていたとしたら悲劇という他にない。商才や運というものは少しずつ培って行くことも可能だけど、そういう人に限ってあまりそっち方面には興味のない職人気質だったりするから余計に哀しい。「俺が評価されないのは世界が間違っているからでは?」とか思ってしまいがちだ。

 

そのようなわけで、キングコング西野の無料絵本事件は、意識と現実の歯車のズレが生み出した一瞬の花火だったのかなという結論になった。今はまったく誰も騒いでいないのがまた余計に虚しい。僕に出来るのはこうして蒸し返してみることくらいだ。

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SNSのプロフィール画像をコロコロ変える意義

Twitterとかのプロフィール画像は気分でコロコロと変えるな!

 

プロフィール画像なんてのはなあ、好きな画像にしたら良い。そのときそのときの気分で変えたら良い。それは個人の勝手だ。

 

僕の中で二つの相反する主張が戦っている。答えは出そうにない。マンガにして描くとしたら天使と悪魔が殴りあっている絵がずっと続く。ページのおしまいになっても殴りあっている。そして最後のコマのあとに、来週に続くと書いてある。来週の雑誌を読んでもまだ殴り合っている。それが何年も続く。

 

さて、TwitterFacebookなどでは、プロフィールの画像というのは、発言の横にアイコンみたいにして表示されるものだ。マンガの人物と吹き出しみたいな関係に似ている。本来はここに自分の写真を使う事を想定して作られている。それぞれの写真が登録されているのだったら問題ない。写真の人物がしゃべっている。実写マンガだ。

 

けど、近年では、自分の写真を使う人は少ない。特に日本人は顔出しにリスクを感じる人が多いようで、僕のTwitterのタイムラインも写真のプロフィールの人はあんまりいない。かわりに絵とか別の写真を使うことになる。僕もネコのドット絵を使っている。

 

僕はもう何年もこの絵を使っている。何年か前は別の絵を使っていたけどやはり白黒のドット絵のネコであった。両者は類似性があるし、なによりそれぞれ長いこと使っていたから、この絵をみたらだいたい僕の発言だと一目でわかるようになっている。そういう意味では、僕のプロフィール画像というのは、僕というアイコンの役目をきっちりと果たしている。

 

対して、プロフィール画像を気分でコロコロと変えたりする派の人。いわゆるアニメアイコン勢なんてのは、そのときそのときで好きなアニメが違っていたりするので、わりと気安くコロコロ変える傾向にあるように思う。他にもアイオタ勢はアイドルの画像を転々としたり。鉄オタ勢は様々な鉄道に変えたり。

 

こういうのは、個人としての識別度はぐぐっと下がるけれど、その人が所属するクラスタはなんとなく一目で把握出来るので、それはそれでアイコンの役割は果たしているといえるのかもしれない。

 

「このアニメアイコン勢め!」なんて十把一絡げに表現するのも、それなりの法則性があって活動している集団という認識とある種の信頼感からくる言葉なのかもしれない。

 

では、電車の画像から、ネコの画像に変わって、アニメアイコンになって、今度は壺の写真になる、とかいう人はどうだろうか。傍目からはまったく脈絡がない。もしかしたら本人的には「今、いちばん気になっていること」をプロフィール画像として提示しているのかもしれんけど、かなり深い付き合いでもなければ理解できない。それどころか、電車からネコになってアニメになって壺になった、なんていう履歴すら、普通の人はまず覚えてないだろう。ただただ、発言とキャラクタービジュアルが一向に結びつかないだけである。アイコンの役割としては最低といえる。

 

まあ、それだけだったら「ちょっと印象の薄い人」というだけなので構わないのだけど、こうやって脈絡なくプロフィールの画像を変える人は、得てして名前の方も脈絡なくガンガン変えるのが好きだったりするのでやっかいだ。

 

その変え方ってのは「ぶたお」が「ぶたおちゃん」になったり「ぶたお@ビール」とかなんとか、そういう連続性や関連性があるような生易しいものではない。本当に何の脈絡もない。

 

昨日までの「ぶたお」がある日「山田長政」になっていたりする。いきなり海外進出したくなるような発想の飛躍。そして二週間後には「ドストエフスキー妙子」だったりする。

 

そしてそれにともなってアイコンもネコの絵から、電柱の写真、そしてカリフォルニア在住のさる南米系白人弾誓電気技師の顔写真に変更されていく。

 

カリフォルニア在住のさる南米系白人男性電気技師の顔写真の「ドストエフスキー妙子」さんが、元「ぶたお」だったと分かる人がいったい何人いるというのか。

 

ある日、自分のタイムラインに、ずっと前からそうやって居るみたいな顔で「ドストエフスキー妙子」がつぶやいていた時の衝撃。実のところは正体はずっと前からいた「ぶたお」だからずっといたんだけど、誰だって少なからずびっくりするはずだ。

 

「こ、こいつ誰やったっけ……」

 

そんな時はプロフィールを確認したら良いと思う人も多いと思う。僕もそうした。

 

そしたらプロフィールには「カリフォルニア在住です…」とかしか書いてない!

 

前はちゃんと「ネットラジオをしている大阪在住の男性です。サイトのURLは…」とかいろいろ書いてあったのに、だ。どういうことやねん。

 

縁を切りたいのか!?みんなと縁を切りたいのだろうか!?

 

それだったらTwitterを辞めれば良いだけである。簡単である。もしくはメンヘラ得意の複垢とか。しかしそういうつもりもないらしくて普通に会話していたりする。

 

Twitterだったら@から続く文字列でわかるやん」

 

たしかに!

 

でもそれほど皆の文字列をイチイチ覚えているものだろうか。たとえば「@butao」みたいな連想の容易いものだったらすぐに「あ、元ぶたおか」等とわかるかもしれないけど、フォローが増えてくるとけっこう似通った文字列があったりする。他の人の名前ぽいものが、別のひとのIDの文字列に含まれていたり含まれなかったりややこしい。

 

そもそも、そこまでして、苦労して誰か調べないとアカンという方がおかしい。なぜこんな嫌がらせみたいなことをするのか。そこには深い事情があるのかもしれないけど知りたくは無い。

 

でもその反面「しょせんTwitterとか遊びなんだから意味なんか無くて気分で適当にやっても良いだろ」という気持ちはある。そういう気持ちに理解はあるけど、あんまり真面目に交流とかはしたくないのかなという寂しさは残る。

 

Twitterは真面目に交流する目的でしか使っちゃいかんのか!」とかつっこまれると「うむむ」と考えてしまう。そして「そんなことはないけど……」というあいまいな返事しか出来ない。ただ、僕自身は、他者との交流とか交信を目的に、わりと真剣に利用しているということだけしか言えない。日頃はバカみたいなことをつぶやいたりしてたにしても、だ。

 

そうこうしているうちに「ドストエフスキー妙子」が「奔走する猪」となりアイコンがデフォルトの卵になっていたりする。プロフィールには「ピギー」とだけ書いている。

 

タイムラインを疾走する猪を見て僕は途方にくれる。そして電撃的にひらめく。

 

もしかしたらこういう一連の行動の裏には「どんなに名前や画像やプロフィールをいじくっても、ずっとやりとりしている人にはわかるでしょ!」という意味があったのかも。

 

たしかにリプライを頻繁にしている人なら、履歴を見れば一発だ。考えたものだ。

 

一種の心理的バリアーみたいなもんか。フォローされながら巧妙に姿を消す。そこまでみんなに見られるのが苦痛だったのか。そうか。

 

もしかしたらぜんぜん的外れかもしれないけど、これ以上いくと超能力バトルに突入しそうなのであまり考えたくない。


Twitterのお気に入り機能が引き起こしている超能力戦争の悲劇 - 温玉ブログ

 

結論としては「SNSなんてものはそれぞれ好きにやれば良し!」である。交流するもしないも自由。そんなバリアで弾かれるなら、君はきっとその人にはあんまり好かれてないのだろうね。食い下がっても揉めるだけだからよしなよ。

 

まあ、そんな感じで。

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三大ネット悪行のひとつ『マルチポスト』を無意識にマスターしてませんか?

今回もネットコミュニケーション悪行シリーズだ。

 

このシリーズは大変に怖い。なぜなら何度も書いているように実際に僕もネットコミュニケーションツールであるところのSNSとかにべったりだから。だから実際に交流を行っている誰かの文句を言ってるみたいにとられると非常に辛いものがある。

 

しかし、少しでも皆さんのコミュニケーションが良くなるように、風通しの良い社会になっていくように、ギスギスがなくなるように、自らのギスギスを顧みずに語っていこうと思う。

 

怒る奴は怒れ!たぶんあんたのことじゃない。たぶん。。。

 

数あるネット悪行でも最大級のもの。

 

マルチポスト

 

マルチポストが何故コミュニケーションにおいて悪行なのかを説明していく。

 

A掲示板

投稿者:ぶたお

ニコンのカメラのシャッターの押し方ってどうなんですかね?

知っている方がいたらアドバイスよろ。


B掲示板

投稿者:ぶたお

ニコンのカメラのシャッターの押し方ってどうなんですかね?

知っている方がいたらアドバイスよろ。


C掲示板

投稿者:ぶたお

ニコンのカメラのシャッターの押し方ってどうなんですかね?

知っている方がいたらアドバイスよろ。

 

これが一般的に言われるマルチポストの典型的な例だ。

見てるだけでイライラしてきて思わずバイオゴリラになって叩き潰したくなる気持ちがおわかりだろうか。

 

 投稿者ぶたおは「ニコンのカメラのシャッターの押し方」なるものを知りたいようだ。で、そういうのに詳しい人が集まるであろう掲示板に質問を投稿する。それだけなら良かったのだけど、別の似たような人が集まるであろう掲示板にもコピペで投稿する。で、さらに、似たような掲示板を見つけてみて、そちらにもコピペ爆弾。

 

投稿者ぶたおの気持ちとしちゃ「ひとつの掲示板よりも複数の掲示板に投稿しといた方が回答者も現れやすいだろう。こりゃ合理的。ヒヒヒ…。」などと考えている。

 

たしかに同じカメラに詳しい人間でも、A掲示板しか見てない人もいれば、B掲示板しか見てない人もいる。似たような掲示板なら全部に投稿しといたほうが目につくのは全く正しい。

 

けど投稿者ぶたおは大切なことを失念している。「A掲示板を使っている人すべてがA掲示板だけを見てる人ではない」という極めて基本的な事項だ。

 

そりゃ投稿者ぶたお自体が3つの掲示板を見てるのだから、同じような人が他にたくさんいるのは当然だ。3つとも見てなくて、2つは見てるって人ならもっと多い。

 

そういう人が投稿者ぶたおの書き込みを見たら、どう考えるか想像したことはおますのかね?

 

「うわ、こいつコピペで複数の掲示板に質問コピペ貼りまくってる!質問の答えさえ得られたらそれで良いだけの、コミュニケーションしようなんて気持ちは端からゼロのサイコパスなんや!」

 

これである。結果的にめちゃくちゃ嫌われる。

 

例としてコピペとして説明したが、文面を変えたら良いという問題でもないのでその辺はお間違えなきよう。

 

例えば、

 

A掲示板

投稿者:ぶたお

ニコンのカメラのシャッターの押し方ってどうなんですかね?

知っている方がいたらアドバイスよろ。


B掲示板

投稿者:ぶたお

ニコンのカメラのシャッターに詳しい人を探しています。 押し方など教えてください。

これでも同じだから!これなら大丈夫と思ったとしたらよりサイコパス度が高いし業が深い!

あ、あと、掲示板と書いたけど、2ちゃんねる複数スレッドに質問コピペを投稿しても同じことだし、FacebookTwitterに同じ内容の質問を書くとかもアウトだ。

 

なんでこれが人を気分悪くさせるかというと、2つほど理由がある。

 

まずひとつは、それぞれの掲示板、またはスレッド、またはSNSに、深くコミットしてない感じがするから。

 

マルチポストの投稿というのは、普段からそこの掲示板やスレッドやSNSで盛り上がってるわけでもないのに、特に仲良くもないのに、困った時だけやってきて人を便利に使おうとしている印象が強い。そうなってくるとタダの荒らしにしか見られなくなる。

 

「いや、そんなことない、俺はここの掲示板を前から使ってて…」と反論しても無駄だろう。他所にマルチポストしているのをみられるというのは、恋人に浮気現場を抑えられたみたいなものだ。「お前が本命なんだ!」といくら謝ってももう二度と信頼されない。

 

ネットコミュニケーションにおけるマルチポストはいわば浮気である。それも愛人を80人くらい作ってたみたいな。そうなると「信用できない奴」の烙印を押されるのは仕方がないことだ。

 

もうひとつは、「一生懸命回答してもスルーされる可能性を予測されている」から。

 

なぜならこういう奴は、質問ぶつける時こそはあちこちにばらまくけど、それぞれに対して深い思い入れなんかないから、どことどこに質問を書いたのか何て忘れてしまうことがある。事実、忘れている。

 

ネットユーザーはそうした奴らにスルーされた経験が何度もある。だからマルチポストなんかするやつは全く信頼されないし、自分だけ良ければという強烈なサイコパスとしか見られない。

 

これが何かの宣伝だったとしたら、それほど他人に不快感を与えないから不思議である。

 

投稿者ぶたお

2月14日にBS@もてもてラジ袋というネットラジオを更新しました。聞いてね。

http://moteradi.com/

 こういうのが複数の掲示板やSNSに投稿されていたとしても「ああ、宣伝したいんだな」くらいにしか思われない。「また宣伝かよ目障りだな」くらいは思われるかもしれないが、「あの人サイコパスよ!」までは思われていない。たぶん。

 

これは何故かというと、この手の宣伝はその場での返信を期待していないというのが大きい。あくまで目的のURLに誘導するのが目的というのが誰の目にも明確だ。そして目的のURLはまさに投稿者のホームなので、そこにコミットしていないということは考えにくい。

 

だから、もし前述の「ニコンのカメラ云々」という問題を、どうしても大多数に広めたいと考えているなら、「ニコンのカメラの押し方を知りたいHP」みたいなものを立ち上げて、そちらのURLを告知するという形式にするべきだ。そこまでみんなに聞いて欲しいというのなら、という話だけど。

 

そうはいっても、ぜんぜん関係のない掲示板にまで無差別に投稿しだしたり、無差別にリプライとばすようなことをしてはいけない。それはもう立派なスパム投稿なので控えなければいけない。それをやると叩かれたり出入り禁止になってもおかしくない。SNSなら退会処分になったりもするだろう。

 

その辺は各自で気をつけていただきたい。

 

まあ、このように、マルチポストというのは実に恐ろしい悪行である。時には重大な結果をネットコミュニケーション上に引き起こす。

 

ところがこの極悪行為を、最近では、ごくごく一般人でも、しかも無意識的にやらかしてしまえるようになってきているのだ。

 

SNSの連携機能である。

 

たとえばTwitterFacebookを連携させる。そしてmixiなんかも連携させる。

 

するとどうなるかというと「ぶたお@今日もビールを飲みたいな。最近美味しいビールはありますか?」てな書き込みをTwitterにしようものなら、Facebookにも!mixiにも!なんなら他に連携しているSNSがあるならそちらにも!全く同じ文章がポストされることになる。

 

オート・マルチポスト・システムの完成である。

 

こういう機能を、何も考えずに、いやむしろ「多くの人にいちどに見てもらえるから便利♪」(まさにマルチポスト思想!)とばかりに、気軽にONしてしまう人類がいる。

 

するとどうなるだろう。

 

やはりSNSというものは複数を利用している人が多い。そんな人ばかりといっても良い。

 

そんな人が、Facebookでも!mixiでも!Twitterでも!あなたの「今日もビールを飲みたいな。最近美味しいビールはありますか?」てな投稿を見たらどう思うだろうか。

 

「うわあ…」である。

 

そして、

 

「この人、人の心がないサイコパスだわ」

 

と思うこと間違いなし!

 

「まあ、別に誰と深く交流したいわけでもないし…、ただみんなに投稿を見せつけたいだけだし…、なんと思われても構わないよ……」とあなたが思ったならおめでとう。サイコパス確定。

 

中には、TwitterFacebookの投稿を連動させているものの「それぞれのレスには全力で返事を返すことで信用を得ている!」派の人もいるにはいるが、たいていの人は何も考えずに連携機能をオンにしているだけだから、そういう人は自動的に、マルチポスト野郎サイコパス派になってしまっているわけだ。

 

特に酷いのはそれぞれのSNSの固有の機能までお構いなしに連動させてるのがまるわかりの投稿。

 

例えば、mixiや、Facebookなのに、Twitterの「#タグ」がついたままになっているのとか。あからさまにマルチポストまる出し。両方見てなくてもわかってしまう仕組み。こいつは酷い。

 

「でも僕は、Twitterがメインで、Facebookとかmixiは、ほとんど使ってないから適当に連動させてるだけだから。あんまり気にしないで良いよ」

 

それが一番あかんちゅーねん!!!

 

つまりFacebookとかmixiで反応があっても、そっちは放置する可能性が高いということである。そういう無頓着さが他人にどう映るのか。はっきりって不利益しかない。

 

あまり使ってないなら、それこそ今すぐ連動投稿をオフにしておくべき。

 

ほとんどログインすらしないSNSのせいで、あなたの評判がどんどん下がっているという理不尽な事態を分かっているのだろうか。恐ろしいことである。

 

最近のSNSの連動機能でつかって良いのは、サイトやブログの更新のことをポストする機能くらいではないか。この機能なら積極的につかっても良い。これは先に説明した、宣伝や告知の投稿と同じ類だ。告知はある程度は需要される要素がある。ただし、一時間おきに告知100連打とかしたら知らん。

 

「ネットの人間関係からの評価なんていちいち気にしたくないよ。他人にどう思われるとかあれこれ気にするのとか病気っぽいよ。神経が細かいよ。」

 

だったらなぜあなたはSNSなんかやってるのだろう。

 

SNSをやることで明確な「これ」という個人目的を達成しているなら僕はとやかく言わない。

 

でも誰とも仲良くしたくないし、なんとなくやってるだけというならSNS自体をやめたほうが賢明だと考える。

 

わざわざ自分を「嫌な性格のやつです」「サイコパスです」と広めるためにインターネットを利用するなんて馬鹿げたことだ。まわりも嫌な思いをするだけだし。

 

無自覚なマルチポストがやめられないならネットコミュニケーションは諦めよう。そのほうが時間も節約できるしオススメである。。。

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TwitterやSNSで横行している『空気読め裁判』とはなんぞや!?

前回、エアリプについて書いたら、恐れていたことが起きてしまった。

 

現行で使っているSNSを話題にしたら絶対に面倒なことになるのである。

 

わかっていたけど書かずにはいられなかった。だってそれで嫌な思いをしている人もいるだろうから。予防と対策も兼ねて何らかのアドヴァイスが出来たら……と思い、ある程度の波乱も覚悟してこの記事を書いたのだ。


最大のネット悪行のひとつ「エアリプ」への対処とその歴史 - 温玉ブログ

 

さて、これを書いたことによって起こるであろう恐るべきこと。それは何か。

 

謝罪がいっぱいきてしまったことだ。

 

『私はエアリプしてしまっていたかも!?ぶたおさん気を悪くしていたんですね…すんません…』

 

「チ、チガウ……オデ…ソンナツモリジャ……コロスツモリジャ……」

 

またパワー系池沼になってしまった。

 

つまり、僕が普段から、Twitter上でのエアリプに悩まされていて、そのエアリプ大好きっ子たちを懲らしめる目的で、ブログに記事を書いたのだと。だから心当たりのある奴は謝ってきなさいと。先生怒らないから、と。

 

んなわけがない!断じてない!

 

エアリプのことについても書いたけど、それだったら直接そいつに言えば良いわけである。まあ、エアリプやってる奴に注意しても、知らぬ存ぜぬでかわされて余計に腹が立つというもちゃんと書いたが。だから何も言わずにフォローを外せば良いとも書いた。

 

そもそもですな、特定の誰かのエアリプに腹立つって事を、特に相手も指定せずにブログにしたためて、思い当たる奴は思い当たれば良いって考え自体がエアリプの思想やん。

 

エアリプを批判しておいて、ブログを使ったエアリプみたいなことするわけがないのである。

 

でも、僕に謝罪してこられた方々はきっと気の良い人なんでしょうな。だって本気のエアリプ大好きっ子ってやつは、自分がエアリプ常習犯で、誰かに嫌な思いさせてるって意識すらないのだもの。わざとエアリプ攻撃してるのに、エアリプを認めないって凄い意識改革だけど、本気でそう認識しているのか、言い逃れを繰り返しているうちに自分まで洗脳してしまったのか。

 

まさに取り付く島もないってやつなのだ。

 

で、謝罪してこられたような気の良い人達は、きっと普段からのネットなり実社会なりで、はっきりと言わない批判みたいな恐怖に何度もさらされてきたのだと推測する。いわゆる日本的な「空気読まない奴は悪」なコミュニケーション方法に何度も傷ついてきたのだ。

 

僕も覚えがあるからわかる。

 

実社会だと裏でヒソヒソ言われて知らないところで悪にされていたりするくらいだけど(それはそれで大変キビシイが)、遠慮会釈のない無慈悲なネット上コミュニケーションでは突然断罪を受けてしまったりする。

 

昔からSNSでよくあるパターンを紹介しよう。これは現在のTwitterでも頻繁に行われている。

 

魔女裁判ならぬ、『空気読め裁判』だ。

 

@メンヘラ ほんと、デリカシーの無い人が多すぎる。ただでさえ忙しいのに何でTwitterで消耗しなければならないんだ。面倒なので非常識な人はブロックしていこう。

@コミュ障A @メンヘラ ごめんなさい。たまにふざけたこと言っちゃう事があります。。。そんなつもりじゃ。。。

@メンヘラ @コミュ障A コミュ障Aさんのことじゃありませんよお^^

@コミュ障B @メンヘラ ブロックされちゃうかな?

@メンヘラ @コミュ障B 普段絡んでる人は大丈夫ですよお^^

@コミュ障C @メンヘラ そんな酷い奴がいるのか。誰だそいつ。晒そう。

@メンヘラ @コミュ障C いえいえ、きっとみんな知らない人なんです。お気になさらずに^^

 

何が「お気になさらずに^^」だ!自分で書いていて体温があがりかけた!

 

こういう不毛なやりとりSNSで見たことないだろうか。あったとしたらあなたは重度のメンヘラか何かの厄介者をフォローしているのだ。そんな関係は今直ぐに切った方が良い。

 

名指しで誰かを非難するわけでもなく、フォロワーたちに、それぞれ痛くもない腹を探らせようという邪悪な行為。逆エアリプともいうべき悪行。

 

つまりこれ、自分のフォロワーに対する「忠誠度」を計る行為だったりする。

 

忠誠度とか……信長の野望か!!!」って思うかもしれないが、こういう奴はホンマに大名か姫気分。だからフォロワーを家臣か中間か小者くらいにしか思ってない。だから殿が嫌な思いをしていたら進んで懺悔してきなさいと。それで、次からはもっと気を引き締めて仕えなさいよ、と。

 

こんなのに付き合ってたら精神がいくらあっても消耗を避けられない。なんで茶器も俸禄も貰ってないのに、忠誠心をあげていかねばならんのか。せめて、「コミュ障守を名乗るが良い!」くらいは言って欲しい。

 

いわゆる世間でいわれる「空気読め」ってやつの正体がわかってきたかと思う。

 

ただでさえ実社会では、こういうふんぞり返った糞野郎がのさばっている。しかしそれはまだ、給料が貰えるとか、何某かの優遇があるからとか、家族が人質にとられているとか、そういった理由から「ぐぬぬ…」となりながらも耐えれないこともない。

 

しかしなんでたがだかネットコミュニケーションでそないなこと言われなあかんねん?

 

でも、普段からの人間関係の悲しい習性。こういう関係性に慣れてしまうと、ついついそういう奴の言動に振り回されてしまう。

 

そして、いつしか、「コミュニケーションってそういうものか」「そんなもんだよね」「俺もやったろ」とか考えてしまうようになる。

 

そうなると僕がずっと警戒し続けている、コミュ障サイキッカーの誕生だ。

 

威嚇ファボやエアリプなどの超能力を駆使して、人知れずサイキックバトルを繰り広げるのだ。

 

自ら望みあえて世間の裏道を歩くことを選択した男たち!死して屍拾う者なし!

 

@メンヘラ 面倒な人が多いので鍵垢にします。フォロー残す人は限定するつもり。

@コミュ障A @メンヘラ 切られちゃうかな?

@コミュ障B @メンヘラ 寂しいよ

@コミュ障C @メンヘラ しょうがないよね…

@メンヘラ リプくれた人は大丈夫だよー^^

 

何様!?

 

一生鍵アカウントから出てくんな!!!

 

…と思うのだけど、こういう人は定期的に鍵を外してみたりするんですな。

 

そしてあとはお決まりのアカウント消し。そして三日後くらいに復活。

 

戦国大名の次はキリストか。

 

あれか、切支丹か!切支丹大名か!!!

 

@糖質 名前違うけどメンヘラです。帰ってきましたー^^

 

すっこんでろ!!!

 

思えば、mixiやら、2ちゃんねるやら、その前のパソコン通信。そんな時代からこういう輩はずっといた気がする。やはり人類は進化しないのか。

 

僕はこういう輩は大嫌いなのだ。というよりも警戒しているといった方が正解か。

 

だから、皆さんにも警戒して欲しいと思っている。空気読めを押し付けてくる人類の危険性を。こういうのとの付き合いに慣れてしまうとコミュニケーション能力がどんどん低下していき、サイキッカーに目覚めてしまう。サイキッカーの世界はサイキッカーの世界で、どっぷりつかってしまうとぬるま湯のように感じて抜け出せないそうである。でも実際は灼熱地獄だったりする。身も心も死んでしまうと、我が身が焼かれていても気がつかないのかもしれない。

 

僕の話を聞いてくれている皆さんだけでも、そんな酷い目に合わないためにも、危険や誤解やお叱りを受けるのを承知で、こうしてブログに書いているのである。

 

けっして「普段からそういう事してる奴は申告せえや!わかってんのやぞ!はよ謝れ!この僕に!!」ていうつもりで書いているのではない。ホンマに。

 

奥さんにはそこんとこをわかって欲しいなあー。。。

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最大のネット悪行のひとつ「エアリプ」への対処とその歴史

今の流行のSNSといえば短文投稿サイトTwitterであって、僕も皆さんも頻繁に利用しているが、そのTwitter上での悪行というといろいろあって、そのうちで最もポピュラーなものとしては「エアリプ」という行為が挙げられるだろう。

 

今さら「エアリプ」の説明をするのも何なんであるけど、誰かに返事を飛ばすべき話題は普通は「@ぶたお」みたいな形でリプライにするわけだけど、何の機能も使わずに平のタイムラインに返事を書く、みたいな行為が「エアリプ」である。

 

@ぶたお 『刀剣乱舞』面白そうだなー。

@てっちゃん @ぶたお 俺はドハマりしているよ。

@コミュ障 刀剣乱舞とかいう文字を見るのも嫌だわ。

 

 

この例でいうと、てっちゃんは僕に直接の返事機能で返事をしている。これは普通のリプライ。何の問題もない。しかしコミュ障は単にタイムラインにツイートしただけ。

 

どう見てもTLの流れ的に、僕に対する返事に見える。でも違うかもしれない。

 

これこそがエアリプの醍醐味なのだ。

 

ここで僕がコミュ障ユーザーにカチンときて、

 

@ぶたお @コミュ障 おい喧嘩うってんのか

 

なんて突っかかろうものなら完全に相手の思うつぼなのだ。

 

@コミュ障 @ぶたお ぶたおさんに言ったんじゃないですよw友達が刀剣乱舞やれやれってしつこく言ってきて煩かったんですよw勘違いさせてすんませんwww

 

 

なんて返してくるのが目に見えている。ほんとうに見えている。シナリオ通りというやつだ。

 

だから、この場合でいうと、僕はエアリプに対しては、見て見ぬふりをしなくてはならない。

 

いくら「こいつ死ね!」とか思っても「ぐぬぬぬ」と耐えるのだ。

 

エアリプに対応する方法としては今のところそれしかない。そしてエアリプを仕掛けてくるユーザーはフォローを外してしまうのが一番よい。絶対に良い。僕の経験上、エアリプ大好きっ子にろくなやつはいないので、付き合っているだけ無駄というものだ。

 

エアリプに対しては、実はもう一つの対応方法がある。

 

これを対応方法といって良いのかどうか。

 

禁断の方法だ。

 

所謂、「エアリプに対するエアリプ返し」である。

 

@ぶたお 刀剣乱舞面白いわー。

@てっちゃん @ぶたお 面白いよねー。

@コミュ障 刀剣乱舞とかやっている男ってキモいわ。

@ぶたお 刀剣乱舞を叩くやつって腐女子に相手されたいキモオタなんだよねw

@コミュ障 腐女子とか興味ねえしwww

@コミュ障 腐女子とお話したくてゲームやってるやつって哀れだわwww

@ぶたお 絶賛、童貞につっかかられていますwww

@コミュ障 必死に考えた煽り言葉がそれですかwwwwwwwww

 

書いてて悲しくなってきた。

 

ご覧のとおり、空中リプライ合戦は、障害児のつかみ合いのごとき見苦しい展開である。この例文だと、普通にリプ飛ばしあっているように見えるが、当然のことながら、それぞれの発言の間には、お互いのフォローの発言が挟まるので、どれがどれに対応している返事なのかというのは、めっちゃわかりにくいことになっている。第三者にはほとんどわからないだろう。

 

ふぁぼやリツイートにより超能力合戦について書いたがエアリプ合戦も一種の超能力バトルといえる。テレパシーを持った二人にしかわからない方法で悪口の応酬をするのだ!人知れず戦いを繰り広げるサイキッカーたち!かっこよ……くはない。


Twitterのお気に入り機能が引き起こしている超能力戦争の悲劇 - 温玉ブログ

 

しかし、エアリプ合戦は、解決方法というよりも、イラツキすぎて相手と同じレベルまで自分を貶めてしまっただけであった。

 

禁断の方法などとかっこ良く書いたけど、絶対にしてはならない行為である。

 

パワー系池沼に対抗するために自分もパワー系池沼になる。

 

「おで……本気になって…いいの?」

 

とか言ってみたりしちゃう。分別ある大人としてあまりに悲しすぎる。やめて欲しい。誰も得をしない。

 

敵を倒すときに一時的にパワー系池沼に変身するヒーローとかいたら面白そうだな、と思ったけど、そういえば『超人ハルク』がいた。なんだ、昔からいた。

 

さて、なんでコミュ障勢は、エアリプなんて行為にはしるのか。

 

理由は簡単である。

 

二つある。

 

1.相手にネガティブな事を言いたいけど直接反論されたら怖いから。

 

「怖いならネガティブなことなんか他人に言おうとするなや!仲良くせんか!」っていうのは真っ当な分別のある大人の意見であって、池沼系池沼には通用しない。

 

エアリプならば、相手に怒られても「ぶたおさんの事じゃありませんよ~www」という究極ディフェンスが保障されているので安心感がある。だから安心して嫌言がかけるのだ。なんだ、最低か。

 

2.無視されたり、否定されるのが怖いから。

 

コミュ障勢はとにかく相手にネガティブな返事をされたり話しかけたのに無視されることに恐怖がある。「そんな気持ちがわかるならお前は他人にネガティブな態度とんなや!」ってのは真っ当な分別のある大人の意見なので無視。とにかく嫌なのだ。だからエアリプなら相手に拒絶されることがないから思う存分つっかかれる。

 

ネガティブじゃないことでも例えば、

 

@ぶたお うどん美味いよな。

@てっちゃん @ぶたお 俺は沖縄そばが好き。

@コミュ障 日本そばだな。

 

 

こんなエアリプを飛ばしてきたりする。「日本そばが好きなら好きで普通にぶたおに直接返事をしたらいいだろ!」ってのは真っ当な分別のある大人の意見なので無視。

 

なんでこんなことでさえエアリプで対処するのかってのは「直接リプライして返事もらえなかった時のダメージがデカイ」からである。コミュ障勢は無視されるのが大嫌いなのだ。

 

だから、誰かの発言に対して、何か答えたい気持ちがあっても、「わざわざ相手に直接返事をしなくても…エアリプでいっか♪」という真っ当な分別のある大人からは理解不能な思考回路が働く。

 

わざわざ…って思うならもう黙ってろよな!いや、いいけど。いいよ。無視するけど。あ、でも無視されるってのを防ぐためのエアリプだった。自分で書いていてわけがわからなくなった。

 

 

以上、かようにエアリプというのは業が深いのである。

 

しかし思い返せば、二十数年前のパソコン通信の時代。電子掲示板とかいう代物を使っていた頃から、このようなエアリプ行為というのはあった。たしかにあった。

 

当時の掲示板も、書き込み番号を指定してレスポンスするという機能があったのだ。こういうものの基本的なシステムは、二十年くらいあまり変わってないともいえる。いくらかのグラフィカルさと、容量の巨大さと、スピードを得たくらいだ。

 

その頃も、レスポンス機能を使わずに、新規投稿という形で、誰かの発言に対する反論とか嫌言を投稿するっていう行為が繰り返されていたんですな。

 

で、それに対して「私の書き込みに対するあてつけですか?」とか言うと「あ、違いますよ。勘違いさせてごめんなさい(^_^)」とかって…。

 

人類って進化しないのか!!!?

 

 

まあ、そんなわけだから、僕はこの手のことに対処することには、今ではすっかり慣れてしまった。

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Twitterのお気に入り機能が引き起こしている超能力戦争の悲劇

Twitterにおける「お気に入り」機能ってみなさん使っているだろうか。

特定のTweetに対して星マークを付けるあれだ。

これはブラウザーにおけるお気に入りとかブックマークみたいなもんで、後でお気に入りのTweetだけを抽出することが出来るので、役に立つ情報とか、後でゆっくり見たいURLなんかが含まれているTweetには、とりあえず星マークをつけとくことで探しやすくなる。自分のメモ代わりのTweetにも星をつけておくと便利だ。リツイートと違って、自分のTweetにも星を付けれるようになっているのは、そういうわけ。

そんなことは誰でも知っているに違いない。何を今更と言われそうだ。

でもこうした単純な機能面とは違う文脈でこの「お気に入り」を使っている人がいるのは意識しているだろうか。

「お気に入り」機能を使うと、TwitterからTweetを書いた人に「○○さんがお気に入りに登録しました」という通知がいく。これをFacebookの「イイね!」機能みたいに使う人もいる。特に返事はないけど「その発言は良かった」みたいなことを伝えているのだ。もしくは返事したうえで「お気に入り」に入れるというのもある。最大級の賛同を示したいという意味だろう。

では、両者を見分ける方法はあるのか?ということが問題になってくる。いゃ、問題か?みんな問題にしてるのか?正直わからんけど、今は問題にしておくから聞いて欲しい。

あなたが情報的なTweet。たとえば「○○のお店は美味しいよ。」などというTweetをお店のURL付きでつぶやいたとしよう。これが「お気に入り」に入れられた。

この場合はその人の有益情報として後で探しやすいようにチェックされたという推測が成り立つ。

でもそうではないかも。

「○○の店は美味しいよ。」って意見に「激しい賛同します!」って意味で星をつけたって場合かて、あるんではないか。そう、これがあるのである。

もしくは「○○の店が美味しいよ。」って発言自体が面白かったので座布団……いや星をあげよう、って意味かもしれぬ。これもあり得るのである。

つまり、星を貰っても、その真意というのは、結局はわかりかねる。その人のキャラクターを知っていればかなりの精度で意図がわかるだろうけど、知らん人にされた場合は真意なんてわかりっこない。お手上げなのだ。それで困ることは何も無いにせよ。

つまり「お気に入り」機能は、たいへんに文脈的なアクションといえる。いやわゆるハイコンテクストってやつだ。

それを言えばそもそもリツイート機能にしたって、かなり真意が伝わりにくいアクションである。

普通に、素直に考えれば、「このTweetはとても有益だったので、フォロワーの皆にも知らしめたい」もしくは「この人の宣伝に協力してる」どっちかの意味だ。

しかし別の意味でリツイートを使うこともある。

「この発言が面白かったからみんな見て!」という意味でのリツイート。これも「有益だから見て」に近いといえば近いのだけど、特に有益でもないけど「フォロワーのみんなにも面白さを問うてみる」という点ではいささか挑戦的なアプローチである。

さらにこれが講じて「こんな間抜けがいるけどみんなどう思う!?」という晒しあげの意味でリツイートが使われることもある。

これはむつかしい。

同意のリツイートなのか、晒しあげリツイートなのか。

実際に晒しあげリツイートを使う人間なんか少数だと思っているので、あんまり考慮しなくて良いといえば良いのだけど、それだけに見分ける術というのはほとんどない。

見分けることが出来るとすれば、リツイートされた発言者とリツイートしたフォロワーの関係性、そして発言の文脈、リツイート者の人間性、これらを十分に理解している場合においてだけだろう。それだって確実ではないけど。

通常のリツイートの他に晒しあげリツイートを用意しておかなかったTwitter側の不備なのか。いやいや、さすがにそんな捻くれ者のために機能を用意するなんてどうかしている。Facebookのイイねボタンの他にヨクナイネボタンを用意しろといった意見と同じだ。そんなことしたいのは一部の人間だけなのだ。

そしてもっとやっかいな話をする。晒しあげリツイートという文脈からさらに一歩踏み込んでいくと「威嚇ふぁぼ」という世界観が生まれてくるのだ。

威嚇ふぁぼ!!?

「お気に入り」機能のアクションを、最初に説明した「メモ」でも「イイね」の意味でもなく、「この発言はしっかり読ませてもらったからな!ふざけんなコンチクショー!」という意味で使う人類がいるということだ。

なにそれ!だって「お気に入り」だよ!なんでわざわざ……。しかしFacebookの「イイね」じゃ物足りない!という人間がいる世の中であることを思い出してもらいたい。

しかし、そんなことを考えもしなかった層にとっては驚愕の事実ではある。これは本当にいるのだ。実際にこの文脈でコミニケーションをとっているクラスタは確実にいる。基本的にそれはコミュ障勢だけど。

そらそうだ。誰がすきこのんでこんな誤解と疑心暗鬼をシェイカーにぶち込んでマティーニ作るようなコミニケーションをとりたいのだ。

でもそういうのはあると知っておくのは有益かもしれない。恐るべき世界である。コミニケーションの深淵を伺い知った気分だ。

言いたいことがあるなら、ちゃんと言葉で喋れよ!わかりやすい言い方で!

いや、この場合は文字か。

文字でちゃんとコミニケーションできればどんなに楽か。

でもSNSなどのツールは、出来るだけ言葉を使わないでコミニケーションが取れるという事に挑戦しているフシもある。LINEのスタンプ機能にしてもそうだ。しかしそれを突き詰めていくと、高度な空気の読み合いしか発生しなくなる。ハイコンテクストなんて生易しいものではなく、いつしか言語すら失って、テレパシーでコミニケーションをとるようになる。

なんだ?人類の革新なんてすぐそこだ?

そんな世界で、常人に気付かれることなく、棘のあるコミニケーションの応酬をする人々。それはもうサイキックウォーズといって良いだろう。

SNSのコミュ障勢とは、テレパシーや読心術を要求するサイキッカーだったのだ。

そしてSNSサイキッカー養成装置だ。

ちなみに僕は、言いたいことがあるときは、かならず言葉で伝えているし、「お気に入り」機能はメモとしてしか使ってないし、晒しあげリツイートや威嚇ふぁぼは絶対にしていないので!サイキッカーではないので!

……とは言えないのが悲しい。たまにしてしまっているかも……晒しリツイートとか……。超能力に目覚めそう。

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