アメリカのピッツバーグの映画監督であるジョージ・A・ロメロ監督が亡くなってしまった!僕がもっとも影響を受けたアメリカの映画監督といえると思う!ショッキングなニュースだった!
77歳という高齢でいつ亡くなってもおかしくなかったからさほど驚かなかったというのは嘘で、やはり少なからず驚いてしまった。多くのファンも同じ気持ちだろう。ジョン・カーペンター(69)や、ダリオ・アルジェント(76)なんかが亡くなってもやっぱりショックだと思う。かつてルチオ・フルチ監督やブルーノ・マッティ監督が亡くなったというニュースを見た時は「へえ…」ってなもんだったけど、やはり現代ホラー映画界隈でも、ロメロ、カーペンター、アルジェントなんかのクラスになってくると影響を受けた人間の数は桁違いだ。
特にロメロ監督といえば、2017年現在もとどまるところを知らないゾンビブームをそもそも作り出した根源であって、宇宙の出発点みたいな人であるから「最も影響を受けた映画監督」に挙げる人は日本人でも死ぬほどいる。ゾンビが好きすぎて気がついたらクリエイターになっちゃったなんて人も枚挙にいとまがない。ロメロの盟友ともいえるスティーブン・キングも嘆き悲しんでいたし、それよりも下の世代のハリウッド監督たちも追悼のコメントを次々と寄せている。
よくロメロ監督を「ゾンビ映画を作り出した人」なんて紹介をされるけれど、ロメロファンなら常にネタにするところだけど、半分は正解で半分は不正解だ。
ゾンビが出て来る映画とか、ゾンビというモンスターがテーマになった映画というのは、ロメロ監督が作る前から存在した。じゃあロメロ監督は「そういったゾンビの映画を流行らせた人」なのかというと、それも半分は違っていて、「ゾンビが出て来る映画」しか無かったそれまでの世界に、「ゾンビ映画」というジャンルを創造してしまったという方が正確なところだ。iPhoneを世に送り出してスマホブームを出現させたスティーブ・ジョブズよりも、もしかしたら創造的で偉大なことをやったのかもしれない。(だってiPhoneが世に出たのは2007年だから、スマホブームなんてまだ10年くらいのものだ。この先は知らないけど)
ジョージ・A・ロメロ監督(外国人はAを抜かしてジョージ・ロメロと呼ぶが、日本人はどういうわけか律儀にミドルネームを大切にする。もちろん僕もかならずAを入れていしまう)が「ゾンビ映画」を創造したのは1969年の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』によってである。この白黒の自主制作映画が作らて以降、48年間もゾンビ映画ブームが継続中なのだからとんでもない話だ。しかもこのブームは明らかに拡大している。今やゲームやドラマやマンガなんかにも飛び火しているのはご存知かと思う。
さて、ロメロが創造した「ゾンビ映画」とは何なのか。それは『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のストーリーと設定を知って貰えれば理解できる。この映画では主人公たちが「いきなりそこら中の死人が蘇ってきて、生きている人間を襲いはじめた」という不条理な状況に立たされるところから始まる。そして否応なしに「動く死体」から身を守るというサバイバルが始まるのである。主人公たちは田舎の一軒家に立て籠もって、集まってくるゾンビたちとの攻防に終始する。
設定としてはSF要素が高いし、不気味な死体が蘇ってきて殺しに来るという点ではホラーなんだけど、映画の展開としてはアクション映画に近かったりする。だから基本的に『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』という映画は、2017年の今見てもかったるいところが少なくて、ものすごく面白く観れると思う。観てない人は騙されたと思ってぜひ観て欲しい。カラーのリメイク版もあるので注意して欲しい。あくまでも白黒の方をまず観て欲しい。
この作品の極めつけのところは「蘇った死体たちが人肉を貪り食う」というグロテスク極まりないシーンがクライマックスとして存在するということ。60年代の映画なんて、ピストルや刃物で切られても、ウッとかいって倒れていたのが大半だ。今のアクション映画みたいに、やたら手足がちょん切れたり頭が粉々になるなんて描写は、たとえホラー映画でもほとんどしなかった。そんな時代に、人間死体から腸を引っ張り出して食べるとか、ありえない描写をしまくっていた。そりゃ話題になって当然である。しかも内容としては先程も述べた通り、アクション性の高いハラハラするサスペンスドラマになっていたりする。こうして『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』は伝説の映画になった。若干28歳のロメロ監督はデビュー作で伝説の監督になってしまったのだ。
その後は『死体と遊ぶな子供たち』(1972)や『悪魔の墓場』(1974)に代表されるように、この映画の模倣が数多く作られるようになる。
模倣作品の特徴としては、「とにかく死体が蘇る(理由は様々)」「生きている死体たちは、人間に噛み付いてきたり人肉を食べたりする」「死んだ仲間や主人公たちも、うごく死体として蘇ったりしがち」「基本的には主人公たちのサバイバルがテーマ」というものだった。そういうストーリーや設定になっている映画を指して「ゾンビ映画」と呼ぶようになった。ここに完璧にジャンルが創造されてしまったのだ。
それまでの「ゾンビが出て来る映画」は、ブゥードゥー教の世界観のモンスターであるゾンビの出て来る話だった。ロメロが創造した「ゾンビ映画」というのは、蘇った死体という属性上、「ゾンビ」という名称で呼ばれているだけで、ブゥードゥー教のゾンビ的なものが出て来るような映画や、同じ蘇る死体である吸血鬼映画なんかとは全く違っていた。どちかといえばリチャード・マシスン原作のSF小説『アイ・アム・レジェンド』の方が内容的に近かったりする。(後年にウィル・スミス主演でも映画化されたあれ)
実際、ロメロ監督は、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を制作するにあたって、『アイ・アム・レジェンド』の最初の映画版である『地球最後の男』(1964)をイメージしていた。もしくはSF小説『トリフィド時代』を原作とする『人類SOS!』(1962)も参考にしている。だから現代的な目線として、ロメロ監督が『ナイト~』を撮影する前に「ゾンビ映画」が存在するとすれば、『ホワイトゾンビ』や『吸血ゾンビ』のようなゾンビが出て来る映画じゃなくて、『地球最後の男』や『人類SOS!』ということになる。ややこしいけれど、付いてこれる人だけ付いてきたら良いと思う。
さて、こうして始まった第一次ゾンビブームは次第に終焉していくかに思われたが、1977年にロメロ監督自身の手によってセルフリメイクされた『ゾンビ』(原題『デイ・オブ・ザ・デッド』)によって第2段階めの爆発が起きる。
追悼にロメロ監督の偉業をざっと説明しようとしたけど、どうしたって長くなってしまった。だからブログは前編として、ひとまずここで区切っておく。続きはすぐ書くので、付いてこれる人はちょっとだけ待ってて欲しい。今夜は追悼で『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』も良いかもしれない。諸般の事情によって、著作権切れした映画なので、どっかに動画とかも転がっているかもしれない。
<中編>
<後編>
TSUTAYAさんとかにも必ず置いていると思われる。
ゾンビ映画のルーツが狙ったようにパックになっているのは心憎いばかり。
第一次ソンビ映画ブームにおける先進的?フォロワーたち。
動画サービスでも『ゾンビ』が観られるのは多い。『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』もあるのかな。著作権切れだからって投げやりな扱いかも?
いちおうYouTubeの動画もはっておく。著作権切れだから。デジタルリマスターの高画質で観たい場合はブルーレイディスクなりなんなりで買ってください。古ぼけた画質も味がある。