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Amazonプライムにお金さえ払えば観れるホラー映画『Eddie Glum』(エディ・グラム)の衝撃性

Amazonプライム・ビデオで『Eddie Glum』(日本語表記するなら『エディ・グラム』か)という映画を観た。日本語タイトルも無いし、簡易に字幕を付けただけみたいなコンテンツであって、ほとんど日本未公開といってしまって良いような作品だ。Amazonプライムに加入さえしていればこんなものまで無料で観れるようになったのかとびっくりした。

Eddie Glum - 日本語字幕

Eddie Glum - 日本語字幕

 

Amazonプライムに未加入の人でも予告編はYouTubeにあがっているので観れる。ご覧の通り、自主制作感全開の安っぽいムービーだ。実際の制作背景とかはわからない。なんでも、よくわからない映画フェスティバルで最優秀ホラー映画賞を取ったそうだ。近年の映画のポスターにおける「並んでいれば並んでいるほどその映画が面白いという期待が持てる月桂樹ぽいマーク」が一つ付いているのは、つまりそういう事らしい。ちょっとは期待できそうだ。

www.youtube.com

映画は大柄なおっさんの独白で始まる。始まるだけではなく、最後までだいたいおっさんの独白に終始する。他に登場人物は2人か3人くらい。それもちらっとしか出てこないやつとか、死体なんかも入れてだ。それなりに出番のあるのは1人だけだ。ほぼ、おっさんの一人芝居映画だと思ってもらってよい。

 

他にモンスターも出てくるので、それも入れればもっと登場人物はいることになるが、モンスターを登場人物に加算して良いかはわからない。モンスターといっても人間とほとんど変わらない姿だったりするのが、いかにも低予算映画だなあと思う。まあ、いってみればゾンビみたいなもんなのだ。ゾンビ映画が発明された背景にも、低予算で作れるから、というのがあったのでこの発想は正しい。

 

こういう前提をちらと説明しただけで「ああ、『アイ・アム・レジェンド』みたいなアレ?」と察した人は偉いと思う。天才か。ほとんどその通りだったりする。

 

モンスターと呼ばれる人間そっくりのミュータント的なもの(カッパを着込んだ人間にしか見えん。超安い。)が現れて、世界中の人間をほとんど食い殺してしまった世界が舞台になっている。

 

主人公のエディ(だと思う。タイトル的に)という大柄は、カタストロフィを免れモンスターの襲撃に耐えて、それ以来ずっと家に閉じこもって暮らしているようだ。なぜこの冴えない大柄だけが生き残れたのかの不思議は、劇中ではほとんど説明されない。この大柄は本当に冴えなくて、喋り方もたどたどしいし、近隣の仲の悪い住民が食い殺された時の話をして嬉しかったとか言うくらいの偏屈である。

 

大柄には、世界の数少ない生き残りであるという、ヒーロー性のようなものは微塵もない。『アイ・アム・レジェンド』の主人公はおろか、『アイアム・ア・ヒーロー』の主人公に比べたって、散弾銃を扱えるとかいう特殊能力も無いぶん劣ると思われる。性格的にも、能力的にも、最低の主人公だと思ってもらって構わない。そんなやつが主役の映画が面白いかと言われれば、面白くなさそうだけど、なんで?なんで?という好奇心でずっと見てしまう部分はある。とりあえず映画ってものは、謎に満ちた構成になっていると、それなりにそそられるもんだ。

 

食料はほとんど残っていないらしいが、大柄は鶏小屋を所有しており、飼育した鶏を日々の糧として大柄ボディを維持している。そして時折、家の前までモンスターが訪ねてくるが、焼いた鶏肉を渡すことで、お引取りを願っている事が判明する。どうも鶏小屋と、プロパンガスか何かを所有というのが、全滅した近隣住民に対して大柄のエッジになったっぽい。そんなバカな。意味わからん。

 

大柄の分析によれば、モンスターは焼いた肉しか食べないそうだ。だったら焼いてない人間は食料として認識されていないので大丈夫なの?というと、そんな甘い物ではなく、近隣住民は全滅している。実際に主人公の家に退避してきた生存者が、大柄の眼の前でモンスターに襲われて殺害されてしまうというシーンがある。彼はプレステ1のバイオハザードくらいのしょぼいエフェクトで殺されてから、モンスターが起こした焚き火で燃やされて喰われてしまった。

 

モンスターが生肉を食べないのは、食べたくないだけで、殺されてから焼いて喰われるというそれだけの話なのだ。つまり大柄が、モンスターたちに焼いた鶏肉を与えているのは、単なる親切心にほかならず、仮に生肉を渡したとしても、それはそれで調理して喰っただろうと思われる。

 

なぜ大柄の家が襲われないのかは全く語られないが、鶏肉を焼いて無料提供してくれる親切おじさんとして認識しているという可能性は否定しきれない。とすれば、定期的に肉を焼いて渡すという活動が、大柄流のサバイバル術だったという可能性はある。大柄の鶏肉の活用は、モンスター対策にとどまらず、何処からか定期的に訪ねてくる近隣で唯一っぽい女性生存者に、鶏肉をふるまう代わりに、性奴隷化しているという暗黒面も語られたりもする。

 

とはいえ、ちっぽけな鶏小屋で飼育している程度の鶏で、どれほど食いつないでいけるのかという疑問はある。しかし、どうもかなり長い間、鶏肉で暮らしているらしく、大柄自身も先行きを不安視している要素は全くないので、あんまり細かい理屈とか整合性とかを考えてはいけない映画なのかと了承する。

 

ただ、映画としては、そんなマンネリな日常ばかり写していても埒があかないので、事件が起きる。大柄の頼みの綱の鶏小屋が襲撃されて、鶏が一羽残らずモンスターに食い殺されてしまったのだ。まあ、チンケな鶏小屋ですもの。今までそうならなかったのが不思議なくらいなので、そらそうかとしか思わないが、大柄の悲嘆と焦りは相当なもので、鶏肉を提供して貰いにやってくる性奴隷状態の女性と共に、食料探しのクエストに出発することになる。

 

ちなみに大柄は、ちょくちょく気軽に外にでかけたりする。ゾンビ的な世界観だと、建物の外は危険みたいな設定になってたりするが、モンスターと呼ばれる連中はそんなに数が多くないっぽくてあまり遭遇しない。そして夜はあまりうろつかないらしく、大柄もバットひとつだけ持って自信満々に山道を歩いていたりする。

 

ちなみにモンスターに銃とかは効かないっぽいような事が匂わされているが、かといってバットが有効的という設定もとくになさそう。絶対に死なないゾンビの群れと戦う映画『バタリアン』でも、主人公たちは木製バットひとつで渡り合っていたから、最後に頼りになるのはバットというのは、アメリカ映画のお約束としてあるのかもしれない。さすが野球の国だ。殴れば怯んだりすることはあるのかも。ただ残念なことに、この映画ではバットが活躍するシーンはひとつもない。大柄にヒーロー性は微塵もないので。

 

大柄は山道まででかけていって、何をするのかといえば、モンスターが現れた元凶を紹介してくれようとしていたのだ。説明するのを忘れていたが、この映画は大柄がカメラに向かって語りかけるというスタイルになっており、最初から物言わぬカメラマンの存在は示唆されていた。フェイク・ドキュメンタリーならではという雰囲気もない。

 

大柄が示したモンスターの元凶とは、山奥に寝そべり叫び声を上げ続ける超巨大なキズだらけの女であった。大柄が説明するには、ある日この女が降ってきて、女の皮膚をやぶってモンスターが次々と出てきたそうな。だから山道をたどってそこに近づくと、ものすごい叫び声が聞こえてくる。意味不明すぎるが、かなり怖いイメージだ。

 

さて、そんな無能だがやけに自信満々に外を歩き回る大柄と、彼に性奴隷状態にされた女性による食料探しクエストが一応のクライマックスになっている。無為無策な大柄が指揮をとっているだけあって、この冒険は実に無様な結末に終わる。不用意に入ったゲーセンで、突如出現したモンスターに襲われてしまうのだ。(なんのドラマ性もない)

 

この最大のピンチに、大柄のとった対処方法は、女性を犠牲にして自分(とカメラマン)だけが逃げるというどうしようもないもの。怯えてひたすらどん詰まりの部屋(この辺も無能そのもの)に閉じこもっていると、都合よくモンスターはどこかに去っており、女性の腕だけが転がっていた。隠されていた大柄のサバイバル能力は「モンスターが手心を加えてくれる」というものなのかもしれない。親切に焼いた鶏肉を配っていたのが効いた?

 

大柄は「モンスターが食い残していった女性の腕」を唯一の収穫として家に帰る。女性の腕の肉を焼いて食いつなぐことにしたようだ。ほんとうに最低である。こんなふうに書くとコメディーみたいだがコメディーテイストは微塵もなく、ひたすら憂鬱で暗く陰気なトーンで進んでいく。そして画面は安い。

 

タイトルのGLUMは陰気とか憂鬱とかいう意味だが、あえて日本語に訳すならば、陰気なエディー?エディーの憂鬱?ニュアンスはよくわからないが、まあ暗いホラー映画であるのは間違いない。

 

このあともひたすら整合性のとりにくい悪夢みたいな展開が続いていく。一種の悪夢とか精神世界を描いた映画なんだろうとは思うがよくわからない。ただし、かなり独特の世界観は安っぽいわりにインパクトがある。そのあたりがホラー映画賞を取ったポイントか。主役の大柄の不快感も含めてなかなかのものだ。

 

チャールズ・ディビス監督は、『Solus』というホラー映画も撮っていて、これもそれなりに評価されておりAmazonプライム・ビデオで観れる。こちらは観ていないが、『Eddie Glum』の雰囲気を体験するとちょっと興味が出てしまう。んで、よく観れば、主人公の大柄を演じているのは、ディビス監督自身だったようだ。自作自演!たしかにこんなやつが作ってそうな映画だと思ったし深い納得しかなかった。

 

いろんな意味でぼんやりした映画で、悪夢みたいな世界観が嫌いじゃない人は観てみると良いかもしれない。夢の世界を描いていると考えれば、かなり完成度が高いんじゃないかと思えてくるし、ぼんやりしてはっきりしない内容の割に、画面の動きは多くて退屈しない。しょぼさも含めて笑える部分もある。月桂樹マークひとつ分の価値はたしかにあった気がする。

 

変な映画って妙に心に残る。今まで生きてきて「あれは何だったんだ?」といった映画をいくつも観てきた気がする。たまに妙なものを見たりするのは大切なんじゃないか。

Solus - 日本語字幕

Solus - 日本語字幕

 
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