リドリー・スコット監督の新作『エイリアン:コヴェナント』の評判がすこぶる悪い。この映画は『エイリアン』『エイリアン2』『エイリアン3』『エイリアン4』と続いてきたシリーズを一旦そのままにして、1作目(だけ)の監督であるリドリー・スコットが再登板して、あらためて最初の映画の前日譚を作ろうとしたシリーズ『プロメテウス』の続編である。
こう書くと立ち位置からして既に無茶苦茶ややこしい。エイリアンシリーズに馴染みの無い人間にはもう付いてこれない。本来はエイリアン未体験の人が観てはいけない映画だ。でも僕は全作観ているエイリアンおじなので大丈夫だった。(ただし『エイリアンvsプレデター2』以外!)
もう一度整理しておくと『プロメテウス』がエイリアンZEROであって、『エイリアン:コヴェナント』はさしずめエイリアンZERO2ということになる。スター・ウォーズで例えるならば『プロメテウス』が『エピソード1/ファントム・メナス』で、今回のが『エピソード2/クローンの攻撃』ということになるのか。最低でも三部作になるみたいなこと言ってたからまさにそんなもんなのだろう。真ん中の話なんだからこれだけ観てもぽかんとしてしまう可能性が非常に高いのも頷いてもらえるはずだ。
そやから、「エイリアンの新作や!」「ほぉ~…、これがエイリアンってやつかあ」というて、『エイリアン』も『プロメテウス』も観ずして、このコヴェナントを観るという行為は、軽率・不用意・粗忽・怠惰・無教養・ニワカの誹りを免れぬのであって、最低でも『プロメテウス』は観ておくというのが、この映画を鑑賞する上での礼儀というかシキタリだといえる。
しかしそんな不用意な観客のことを、一方的に責めるわけにもいかない。リドリー・スコットにも十分に罪がある。というかすごく罪がある。なぜなら『プロメテウス』というタイトルには、どこにも「エイリアン」の文字が入っていないのだった。そして『エイリアン:コヴェナント』のタイトルにはどこにも「プロメテウス」の文字が入って無かった!
だからよっぽどエイリアンを追いかけている熱心なファン以外には『プロメテウス』が「エイリアンZERO」だなんて絶対にわからないだろうし、ましてや『エイリアン:コヴェナント』が「ZERO2」であるなんてわかりようが無かったりする。
『プロメテウス』が公開されたときに「スペースジョッキーの秘密がわかる!」「ドーナツ形の宇宙船の謎!」とか騒いでいたのは、我々エイリアン・キモオタだけだったのだ。たぶん…。
せめて本作が『プロメテウス2』とかいうタイトルだったら、素人さんもある程度の覚悟が出来ただろうし、「話題のエイリアンとやらを観てみますかな?」なんて不用意な人を呼び込んだりしなかったはずだ。
しかし、前作が『エイリアンZERO』とか『エイリアン:プロメテウス』とかいうタイトルでなかったのにはきちんとした理由があって、所謂ところの『エイリアン』シリーズのエイリアンが本編中に一切出てこないからだ。それ以外のエイリアンはたくさん出てくるのだけど、「あのエイリアン」が出てこないのだ。律儀か。
しかし今回のはそれの続きであって、かつ「あのエイリアンが出て来る」という意味で、満を持してタイトルが「エイリアン」になっていたりする。それがゆえに今度は『プロメテウス』の続きというアピールが消えてしまっている。
昨今の映画業界の流行りとしては、シリーズものを印象付けない方向性のタイトルが増えている。「前作を観てないから観ても仕方ないかもw」と思われたくない気持ちがそうさせているのだろう。シリーズものの映画ってやつは、だいたいにおいて、とくに順番通り観なくても楽しめるものが多いので、続きのストーリーだと印象付けない方向性のタイトル戦略はある意味で正しい。古くは007シリーズとか、寅さんシリーズとか、とくにナンバリングされてないのも頷ける。
『エイリアン2』とか『エイリアン3』とか『エイリアン4』とかは、案外どれから観ても不都合が無いようには出来ている。いずれも難しい事抜きにした、即物的なアクションホラーだし。僕は『エイリアン2』が劇場公開された当時、「前作は観てないけど『エイリアン』って有名だから観たい!」って気持ちだけで観に行ってしまった。だからコヴェナントから観てしまった人の気持もわからないではない。ご存知の通り『エイリアン2』は物凄く面白い映画なので、僕がそれから超のめり込んで、前作もVHSで何度も何度も観るようになったし、時が流れて「『エイリアン』シリーズの新作とかいわれたら気になって仕方のないおじ」として完成されていったのも無理もない事であった。
当時の僕が『エイリアン2』を観に行ったのと同じ感覚で『エイリアン:コヴェナント』を観に行った人がには愁傷様としか言いようがない。何の予備知識もない人がこの映画を観たとしたら、どういう感想をもつだろうか。そこいらの小学生に、企業の決算書を読めとかいうのと同じかもしれない。考えただけで目眩がしてくるようだ。「エイリアンって初めて観たけど、なんや、ようわからん…」ってなもんではなかろうか。
そしたら『プロメテウス』をちゃんと観ていて、『エイリアン』の事にも超詳しいおじである僕からしたら、『エイリアン:コヴェナント』についてどんな感想をもてるのかという事を、まず述べておきたいと思う。
「なんや、ようわからん…」
同じだった!しかし『プロメテウス』から続いているストーリーは理解しているし、『エイリアン』でさんざん語られてきた設定とかはちゃんと知っている。そのエイリアンおじからしてもこの映画は「ようわからん…」の連続だったりする。なんでだ!
それは『プロメテウス』がそもそも「なんや、ようわからん…」部分の多い映画だったから。その「ようわからん」箇所は、きっと続編で明らかになっていくんやろな、と思ってたのだけど裏切られてしまった。『プロメテウス』で10個くらい謎が残ってたとしたら、『エイリアン:コヴェナント』でそれの回答があったのは、贔屓目に見ても1個か2個くらいだったりする。そのうえで新たな謎が10個くらい追加された感じ。つまり、2作目の映画としても、ひたすら釈然としない映画だった。
思えば初代『エイリアン』で残されていた疑問。「エイリアンってそもそもなんなん?」「スペースジョッキーはなにもの?」という2つの謎が、30年ぶりくらいに解明される映画として『プロメテウス』はあると思ってのだけど、そのへんの謎は全く解明されることなく「スペースジョッキーはすごく寝起きが悪い」「スペースジョッキーは粗暴」「スペースジョッキーは馬鹿」「スペースジョッキーはハゲ」「エイリアン以外にも、色々のエイリアンがいた!」とかいう要らん情報ばっかりが与えられてしまった。そして「粗暴で寝起きの悪いどっかの馬鹿ハゲの気まぐれで、人類は創られたのかもしれない?」というのが『プロメテウス』という映画のテーマだった。そして何のために人類を作ったのかは、今のところ説明がまったく無い。
肝心のエイリアンの話はどこへいった?と思ったけれど、前述の通りタイトルに「エイリアン」って入ってないからまあ良いか、という感じだった。これがエイリアンの前日譚だと思うと、思ってたのとぜんぜん違うくて腹が立つけれど、「エイリアンの世界観を流用した奇妙なSFホラー馬鹿映画」という観点からだと、むしろ珍妙すぎて面白いといえるのかもしれない。『プロメテウス』はそんな映画だった。下手に『エイリアン』なんか知らない方が、フラットな気持ちで観れるのだ。リドリー・スコットはエイリアンの世界観には興味があっても、エイリアンというキャラクターにはさほど思い入れが無さそうだった。それがすごく理解できた。
『プロメテウス』に出てきた、ヘビみたいなエイリアンだとか、イカみたいなエイリアンだとか、それ自体がエイリアンというキャラクターの存在意義を軽くぶち壊していた。こういうクリーチャーを軽々しく作り出せるような設定だったら、「あのエイリアン」の意味なんて特になさそうに思える。一作目で完全生命体だとか言っていたのは何だったのかと。(厳密には、アッシュが勝手に言ってただけだけど)
『エイリアン2』なんかでも、一作目に完全生命体として登場したエイリアンを、単なるデカイ蟻みたいな設定にしてしまって(『放射能X』というデカイ蟻と米軍が戦うSF映画が元ネタになっているからしょうがないんだけど)エイリアン好きからしたら「ちょっと改変しすぎでは?」「エイリアン弱すぎでは?」と思わんでもなかったけれど、『プロメテウス』に比べればエイリアンというキャラクターをすごく大切にしている映画だった。だから今でも世界中のオタに愛されているのだと思う。
何度も書くけど『プロメテウス』はエイリアンシリーズだと思わなければ目くじらを立てる部分はあんまりない。だから頭を切り替えて、リドリー・スコットが描く妙なSF映画として楽しむのが正解かと思われる。エイリアンも出てこないんだし。
しかし困ったことに『エイリアン:コヴェナント』ではエイリアンが出て来てしまうのだ。あんだけ『プロメテウス』でエイリアンの存在意義を無くしておいて、今更どの面を下げてエイリアンを出すの?と思って観てたけど、エイリアンは「ただ出てただけ」だった。「そらそうなるわな」と納得するしかなかった。そしてリドリー・スコットが興味があったのは、エイリアンというよりアンドロイドのアッシュだったのもよくわかった。今作の主役は完全にアンドロイド。エイリアンは添え物。
『プロメテウス』でもヘビエイリアンとかイカエイリアンが出てきてて、エイリアンシリーズに出てきたエイリアンの存在意義が思い切り失われていたが、今作では新たに「黒い粉から人体感染して生まれてくる白いフルフルしたエイリアン」まで登場する。卵からフェイスハガーが飛び出してきて人間に寄生して、腹をぶち破って生まれるエイリアンというキャラクターは強烈なモンスターだったが、知らないうちに粉が入ってきて寄生される白いフルフルモンスターの方が断然強そうに思える。知らん内にミクロな粉から寄生されて殺されるとか、もうなんでもありやんかと。
もし一作目の『エイリアン』の船内に持ち込まれたのがこいつの素になる粉を撒き散らすキノコだったり、『エイリアン2』で戦わなければならなかったのが白いフルフルモンスターだったら、わけもわからないうちに登場人物は全滅してただろう。だから映画の後半にフェイスハガーが登場して顔に貼り付いて来た時に「なんという出来損ないだろう」という感想しかなかった。はっきりいって観客の心は白いフルフルモンスターに全部もってかれている。
自由闊達に生命創造を楽しんでいた悪のアンドロイドのデヴィッド。なぜか彼は白いフルフルモンスターのことを、エイリアンの前座程度にしか考えて無かったみたいだが、人に寄生して殺戮してまわるモンスターという意味では目的は200%達成しているとしか思えない。なんで白いフルフルじゃ未完成で「あのエイリアン」を創り出さないとダメだったのかは「映画の『エイリアン』のファンだから」とでも解釈するしかなかった。
そういえばリドリー・スコットが監督をした第一作目も、悪いアンドロイドのアッシュは、エイリアンを完全生命体だとか言い出して勝手に興奮して、人間をぶっ殺してもエイリアンを守ろうとしていた。もしかしたらエイリアンというやつのデザインは、アンドロイドの心をつかむサムシングがあるという設定かもしれない。けれど観客には何にも伝わってこないので、「弱っちいのが今更出たなあ」としか思えない。
終盤のエイリアンとの攻防も、1作目と2作目の焼き直しでしかなくて、ファンサービスといえば聞こえがいいけれど、観ているこちらとしては茶番としか思えなかった。「おまえらこんなん入れとけば許してくれるやろ?」リドリー・スコット監督のニヤニヤ顔が浮かんでくるようだった。そんなん良いから、完全生命体っぷりを発揮していた一作目のエイリアンを返せよ!
もしこれの続きの映画があれば「ヘビエイリアンでも、イカエイリアンでも、白いフルフルモンスターでもダメで、あのエイリアンを創り出さねばならなかった理由」みたいなことが我々観客にもきちんと示されるのだろうか?
全く期待は出来無さそうだけど、制作されたら観に行くだろうとは思う。
それにしても、コヴェナントはエイリアンシリーズとしては残念なうえに、単純に『プロメテウス』の続編としても全く納得できない内容だというのは書いたが、いちばん気分が悪いのが、前作のヒロインが知らん間に惨殺されていたという展開。
『エイリアン2』でせっかく生き残ったヒックス伍長とニュートが、『エイリアン3』の冒頭であっさり死んでる事にされたのもかなり気分が悪かったし、『エイリアン3』の事が大嫌いな人の大半はそこんところで嫌いになってると思う。
映画の観客が観てないところで重大な展開があるのは、よほど面白い展開でもない限りかなり気持ちが悪いものだ。というか観客に対する裏切り行為とすら思う。
これを例えに出して適切なのかどうかは少し迷うが、あの大ヒット作『ジョーズ』のシリーズ4作目にして最終作となってしまった『ジョーズ’87復讐篇』も、主人公のロイ・シャイダーを観客の観てないところで勝手に殺したのが最大の失敗だと思わなくもない。そういう無茶な事をされたら、よっぽど面白くなってない限りは観客の気持ちが離れていくのは当然だ。「ロイ・シャイダーが出てくれなかったんだからしょうがないだろ!」とかいう制作陣の泣き言は観客には通じない。出ないなら出ないでやりようはいくらでもあったはず。
話が逸れまくった。
個人的に『プロメテウス』のヒロインにはそこまで思いれは無いが、それでも『エイリアン:コヴェナント』の酷い設定は、前作を熱心に観てた人を馬鹿にしとるという気持ちにさせるには十分だった。この納得のいかなさについても、三作目があるならば、それなりに必然性のある大河ドラマとしてまとまるのだろうか。今の時点では『エイリアン:コヴェナント』は、前作の謎の補完も何もなくて、むしろ無い方が良かった続編という印象しか受けない。
たぶん行き当たりばったりなんやろなあと思っている。しかし二作目のオチでこのお話は終わりと言われてはあまりにもあまりだ。ハン・ソロが窒素冷凍されたところで終わるスター・ウォーズに誰が納得するだろうか。それがたとえ帝国軍がクマのぬいぐるみと戦う話であっても続きを観たいのが人情だ。だから三作目がもし公開されたら自動的に観に行く。少なくとも『ジェダイの復讐』はダースベイダーの素顔を拝ませてくれた。だからせめて、次の話ではエイリアンが何なのかくらいは語ってもらいたい。エイリアンがリプリーの親父であっても別に驚かないし。
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『エイリアン:コヴェナント』を観ない前提ならオススメかもしれない『プロメテウス』。続編のせいでよくわからんポジションの映画になってしまった。
エイリアンをちゃんと描けるのはリドリー・スコット監督だけや!と思ってたけれど、脚本のダン・オバノンの功績が偉大過ぎたのかもと考えを改めはじめている大傑作の初代『エイリアン』。今でも最高傑作。
ダン・オバノン監督の大傑作『バタリアン』。そして『エイリアン』と同じく脚本を書いたSFホラーの『スペース・バンパイア』『スクリーマーズ』。なんだ、やっぱり普通に天才やん。
駄作といってしまうのは簡単だけど、あんがい味わい深い奇妙な映画。
この映画をこんなに熱く語る放送もあっただろうか?