自民党が圧倒的な大勝利。単独で3分の2をとってしまったのだから驚いた。何が驚いたかといって安倍総理自身が自公連立で過半数が目標ラインだと言っていたにも関わらず、彼にとっては嬉しい誤算ともいえる大勝利だったからだ。さんざん国民を舐め腐った総理からしても「まさか」の結果だった。僕も「まさか」と思った。森友や加計学園のような疑惑たっぷりの安倍に、無罪のお墨付きを与えるような大勝利をもたらす国民って一体……。
最初から自民勝利は確定していたとはいえ
誰の目からも最初から自民党が勝つのは見えていた。なぜならば立憲民主党がいかに盛り上がろうが78人しか立候補していないわけでどうしようもない。連合を組める野党は共産と社民しかなく、それぞれがいきなり50も60も議席を取るなんてことは常識的にいってあり得ないわけで、どうあがいても最初から自民党が勝利するのはわかっていた。しかしである。あれだけのスキャンダルがあって、税金の無駄遣いでしかない解散総選挙などという暴挙に出た安倍総理の信認という大テーマもありながら、それでもなお自民の圧倒的勝利というのは一体どう解釈すれば良いのだろうか。
勝利は勝利でもかなり議席を減らすのではと予測するのが普通だ。だからこそあの安倍自身をもってしても「自公連立で過半数」などといった弱気な発言が出てきたのだ。しかし多くの有権者にとって今回の選挙は「野党の受け皿がなさ過ぎた」ということに尽きるだろう。(小選挙区制の理不尽さはひとまず置いておく)
なにせ一番盛り上がっている立憲民主党の立候補者が少なすぎた。あまつさえ比例投票で票あまりまで出してしまい、みすみす自民に1議席を譲るという痛恨事まで引き起こしてしまったほどだ。ほとんどの選挙区では、立憲民主党の候補が不在であり、自民公明以外では希望、維新、無所属、共産、社民といった選択肢しか無かったのだ。このうちで希望と維新は明確に野党といえる存在ではなく、そうなってくると自民に物申すためには立憲民主とバッティングしない全ての選挙区に候補者を立てている共産党しかないのだが、有権者の共産党アレルギーは大変なものだったといえる。
「自民党の暴走を止めるために共産党に入れるくらいなら、自民党の自浄作用に期待して自民党に入れた方がマシ」
これくらい嫌われていたのじゃなかろうか。共産党がたとえ気にくわなくても政治の暴走を止めるにはあえて共産党に入れるくらいしか無いんだが、そんな高等テクニックを有権者の大半に求めるなんてそれこそ不可能事だろう。
いくら困ったとはいえ自民党に入れてしまうなんて選択は国民自身の首を締めるバカげた行為でしかないのが現実だとしても、ぼんやりと投票しにきただけの有権者に「けっきょく自民党しか無いんじゃない?」と錯覚させてしまうくらいに共産党のイメージが悪かったわけだ。ぼんやり投票した人には罪がないと言う気持ちはさらさら無いが、頼りがいのない共産党も反省点はいくらでもある。
共産党の限界と展望
僕の住んでいる選挙区なんて、現職自民、対抗馬維新、そして共産党の3人だけという典型的な選択肢の無い地区だった。僕自身は共産に入れ続けているので平気だけど、どう考えても他の有権者が「自民への不信感」くらいの理由で共産の候補に入れるとは思えなかった。なにせ現職自民の候補も、対抗馬維新の候補も共に地元出身者で支援も厚い。一方で共産の候補は何の基盤もない地域部外者。そんな有様で2割り近い得票があったのは、むしろ地域住民はかなり頑張った方だと思うが、残念ながら選挙に「がんばり賞」なんてのは存在しない。誰もが予想する通り自民と維新で綺麗に4割くらいづつの票を分け合って、ちょっとの差で現職自民が勝利していた。こんなことが各地の選挙区で起きていたことは安易に想像できる。
なぜここまで共産党が敬遠されるかは共産党自身が考えてもらう他にない。「たしかな野党」というのには嘘がなく、主義主張的にはたしかな野党なのだが、正直いって国民の方では野党とみなされてもない。あれだけ無茶苦茶やってて評判の悪い維新にすらも劣る地雷扱いである。自民が無茶苦茶してる代わりに評価が上がっていっても良さそうなものなのにそれすらもない。「他党によるプロパガンダが…」と言い訳するのは簡単だが、それに対抗する策を講じなかったのもまた事実なのだ。
それでも今回の選挙で共産党がした立憲民主へのアシストは評価できる。立憲民主の邪魔をしないためにバッティングする小選挙区から候補を降ろすというのは、おそらく共産党がした唯一にして最大の功績だろう。自民党政権に物申したい層からしたら、共産党よりも立憲民主の方が1000倍くらい投票し易いのは間違いない。今後もこの協力体制は続けてもらいたい。それがおそらく今の共産党に出来る唯一の正解ともいえる活動だろうから。党としては何も変えられないというのならばそれしかないだろう。
投票率について
投票率は伸び悩んだ。というよりも53%もあるというのは高い方じゃないだろうか。だれだって自民党が勝つのが目に見えている選挙には馬鹿らしくて行く気がしない。前述の僕の選挙区だって、小選挙区の投票については虚しさしかなかった。そして比例区のために行ったようなもんだが、それだってやはり共産党が躍進するという可能性はほとんど無く、立憲民主に頑張ってくれと願いつつ共産に入れるというよくわからない行為になってしまった。ほとんど祈りにも似た自己満足での投票だったといえる。
その結果が立憲民主党の躍進と自民党圧倒的的勝利だ。立憲民主党に関しては今後の希望ではあるが、僕自身の選挙としては何の関与もしていない。そして自民党圧勝には虚しさしか残らない。これで選挙に行こうというモチベーションが保てる方がマゾなんじゃないだろうか。逆に自民党などに投票した人はわけもわからない勝利感と達成感を味わったんじゃないだろうか。これではやれんよ。やりきれんと思う。
だからせめて立憲民主党の盛り上がりみたいな期待感を、今後も継続させていくのが大切かと思う。「投票すれば勝てそう?」というのが無ければ、「歯を食いしばって投票しましょう」なんて言っても誰もついてこない。「投票しなかった人が共産党に投票していたら勝ってた(立憲民主は物理的に候補がいないので)」なんて絵空事は聞きたくない。
わざわざ共産党に投票するような意思を持った人が、選挙を棄権する可能性がそんなに高いだろうか。それは共産党に入れ続けるというマゾ行為をし続けた僕だからはっきり言える。選挙に来なかった人というのは「浮動層」といわれるくらいあやふやな意思で投票している人間たちだ。だから「どうせ自民党が勝つでしょ」というムードに従って選挙を棄権しているのだ。
「もうなんかよくわからないから自民でいいや」と思っている人間の多くが、実際に投票しているなんて考えないで欲しい。「なんとなく自民」という人間のうち、実際に投票所に足を運んだのなんか半分以下だろう。だってほっといたって勝てる選挙にわざわざ足を運ぶだろうか。だから仮の話、来なかった有権者を無理矢理投票所に立たせたらどうなるかというと、自民の票が増えるだけというのがどうしょうもない現実なのだ。
じゃあ同じ理屈として、「どうせ勝てないから」という理由で選挙に行かなかった人間もいるんじゃないかという人もいるかもしれないが、こう言っちゃなんだが共産党に投票しようなんてのは、かなり意識の高い人間にしか無理な事だ。前述したとおり、「ふわふわした意識」の人からしたら、悲しいかな共産党は「たしかな野党」とは見なされてない。だから共産党に投票する人間なんて、現時点でわざわざ投票所に足を運んでいる僕のようなマゾがほとんど全てと言って良いのじゃないか。行かなかった人をあわせても倍になればまだマシな方。たぶんそんなにもいない。
だからこそ浮動票の人らの何割かが、ついうっかり投票したくなるような期待感のある野党が出てこないとダメだし、そういう世論作りがなされていない以上、「選挙行きましょう!」なんて呼びかけても、むしろ自民の票が伸びるだけになってしまうのだ。冷静になって思いかえしてみて欲しいのだけど、「選挙に行きましょう!」と呼びかけている自民党支持者をたくさん見なかっただろうか。今回だけではなく前回の選挙なんかでも。その前も。
彼らが何をしてたかというと「選挙には足を運ぶのは面倒だけど、なんとなく自民かなあ」という層を動員していたわけですよ。30代までの若い層にそうした人たちは大勢いる。はっきりいって現時点でも完敗しているのに、さらに増援されるのだからたまったものではない。彼らはそういうことをわかっているから呼びかけるのである。「自民党に入れる人は家で寝ていてください」と呼びかけた人は批難されたものだが、よほどリアリストだったのだ。
投票しなかった浮遊層は自分らの味方に違いない、というのはリベラル派の現実逃避でしかない。統計額のサンプル調査の理屈で考えればそんなハズが無いのは明白だ。ただ、決定的に違うのは、浮遊層が現時点で「自民かなあ」と考えている事は、いくらでもコロコロと変わりうるということだ。なにせ投票所に足を運ぶほどの明確な意思は持ち合わせていないのだ。だからこそ世論で勝たないとどうしようもない。メディアのモラルが重視されるのはそういうことだ。