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首都圏一極集中を良しとする論調にイライラ

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この写真は富山県の繁華街である総曲輪(そうがわ)のアーケードである。1月7日に訪ねたときはあまりにも閑散としていて驚いた。まだお正月休みだったかなと思ったくらい。かといってシャッター街というほどでもなさそうだけど、とくに賑わってはいなかった。一日だけの訪問なので実際のところはわからないけど、地方の繁華街のアーケードで賑わっているところというのは実に少ない。アーケードが取り壊されるところもある。僕の住んでいる大阪なんかは、アーケード商店街が賑わっているところが多いので羨ましがられる方だ。

 

今年の3月15日に長野から金沢までの北陸新幹線が開業する。これによって富山にも東京の客足が増えて賑わうのじゃないかという期待はあるらしい。けど、駅前の居酒屋で話を聞いても、それほど楽観視はしてないようだ。

 

「どうせ東京の人は何度も来てくれないしね。常連客を大切にしたいよ」

 

そりゃそうだ。東京の人にとったら富山の街なんて、いくら綺麗に整備してみたところで、一生に一回くらい行けば良い方。新幹線が開通したとしても何度も通うなんてあるわけがない。通勤に使うとか、仕事の取引先があるとかならば別だけど。新幹線を走らせることによってストロー現象が発生して、さらなる人口減少に繋がるということだってありうる。

 

地方が生き残るには行政による何らかのテコ入れが必要なのは明白だ。それは新幹線の整備による観光地化とかでは無いはずだ。観光地化ってよく考えれば、完全に都市部の人間の考え方だ。特に東京目線じゃないか。地方は暮らすところではなくて観光する場所。たまに遊びに行く風光明媚の地としてしか意識していない。そこで暮らす人の視点というのを著しく欠いている。

 

「地方にももっと配慮してはどうか…」なんていう話をすると決まって「地方は甘えている」「東京にぶら下がっている」「嫌なら東京に出てくれば良い」「なんでそんなところに住むのか」などという東京目線ミサイル釣瓶撃ちでもって迎撃される。なんでなのか。

 

現在の首都圏の人口比率は26%を超えているという。終戦直後は13%無かったというから倍以上になっている。全国民の4人に1人以上が首都圏民ということだ。そしてマスコミ出版関係なんてほぼ首都圏にある。そりゃ首都圏目線の言論がほとんどを占めてしまう。そうした中でまともな議論なんて出来ないのではないか。そんな奴らの言い分を聞いていても埒が明かないというのがある。

 

いまちょっとだけ話題になってたのが、通勤手当を出さなければみんながもっとゆとりのある生活が出来るという話。

 

「わざわざ遠くから通勤してくるとかアホなん?どいつもこいつも東京都内の会社の近くに住めば便利やん」と。誰とは言わないけど、そういう事を言い出すどっかの回し者みたいな奴がいる。

 

つまり東京一極集中を肯定したい前提の視点から、すべての話をしているのだ。アホも休み休みに言って欲しい。

 

誰も彼もが近所に住めば便利。移動したくない。そうした場合、会社もすべて東京にあったら便利やないかと。

 

それをしたらどうなるか。今より余計に東京は過密していき、地価の高騰は留まるところを知らないことになり、人々は狭い住宅に押し込められる。人間関係も最悪にギスギスになる。それを広い邸宅に住むごく一部の富裕層が眺めている。そんな世界だ。

 


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こんなんで幸せなんかお前らと言いたい。でも「東京一極集中で良いじゃん」とか言ってる人らは都内の高層マンションかなんかで暮らしながら貧乏人を見下ろしつつ言っていたりする。もしくは石神井公園あたりの大邸宅とか。

 

そもそも日本は国土が狭いとか、リソースに乏しいとか言われているけど、本当にそうなのか?

 

世界の国土を244位でランキングすると日本は62位だ。日本より広い国は61カ国もある。その中にはロシアとかカナダとかアメリカや中国みたいなスケールのデカイ国も含まれている。しかし日本より国土が狭い国なんか182カ国もあるのだ。そんな国はみんな東京みたいな狭苦しい暮らしを強いられているのだろうか。

 

「便利ぢゃから。。。」とかいう理由で狭いところにひしめき合うのが本当の意味で合理的といえるのだろうか。狭い国土といいながら、自分で狭い地域だけに国のすべてを限定してしまって、あまりにもアホすぎないか。

 

世界的には広いとは言えない日本国土かもしれん。でも決して狭いとも言えない。しかし日本人にとって日本の国土というのは広すぎるといえるのかもしれない。だって東京一極集中を肯定するってことは「わたしらにはこの広い土地を有効利用する手立てがありません」と無能を晒しているということだ。

 

そんな無能だったら、中国の国土があったって、カナダの国土があったって、「そんな田舎にいたら不便じゃなかいか」「何百キロも移動するなんて馬鹿げている」とばかりに、どこか一地方に引きこもってしまうんじゃないか。そして「住宅が狭いのは仕方がない」とか言いそうだ。

 

「通勤なんてバカのすること。社員は会社の近くに住め」なんて言う前に、会社が労働者の近くに来い。そういう工夫は何もなくて、ひたすら個人の選択の余地を奪い、生活のゆとりも奪い、会社間の利便性だけを追求する。

 


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個人よりも企業を優先する市民サービスの話を書いたけど、けっきょく日本を貫いている精神はそれなのかもしれない。これはどうにもならないのか。前の戦争にしたって、日本軍の輸送船における兵卒への扱いは奴隷船なみだったようだ。水木しげるなんて「日本軍は兵隊をねこか何か程度にしか考えていなかった」と証言している。下っ端はとにかく上の横着のために我慢を強いられるのが日本流なのだ。

 

だから「平民はわがままなんか言わずにお国のために都内に住め!」とか平気で言う人間が幅を聞かせる。それをもっともだと思って聞いちゃう。だって4人に1人以上は東京のせせこましい暮らしが普通だと思っている人たちだし。

 

都市一極集中というのは、発展途上など、経済のよろしくない無為無策な政府がやりがちな政策だ。つまり日本政府は無能なのである。

 

いずれこの過激な一極集中政策も破綻する時がくるはずだ。

 

そうなった時は地方の逆襲が始まる?それとも日本自体が沈没しているのか?

 

沖縄なんかへのいじめを見ると、みんな独立した方が良いんじゃないかとさえ思ってしまう。「東京の奴らの声なんかに耳を貸すな!」とか言ったら、余計にギスギスしてしまうのでやめるべきかもしれない。だけど、たとえばネットスラングで、震災の前くらいから「トンキン」なんていう逆差別語が流行ってきたのは、こういう不公平に対する鬱憤のひとつの噴出だったと思われる。

 

しかし今のところは民間レベルでは解決策なんか見いだせない。政府が変らないと何も変らない。度を過ぎた効率主義なんて、精神論と同じくらい害悪だと思うのだが。もっとも効率を重視するなら、あらゆる文化的活動どころか、あらゆる生命活動だって意味ないということになる。

 

金持ちだけ優遇して、貧乏人は踏みつけにしても良い。そんな虫の良い経済活動が長続きするわけないのはちょっと頭の回る人間ならすぐわかるけど、ヒステリックになっている共同体では吟味されることすらないのだろう。

 

少なくともこれを読んでいる皆さんは、そんなアホなまやかしに騙されるような人間ではないと思いたいけど。たとえ日本の経済が退化したとしても、みんなの頭の中まで退化しないで欲しい。

 

 

そんじゃーね!

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