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日本が階級社会であることの不利益を考えてみた

電車の運転士が携帯見てただの消防士がうどん屋に行っただのなんだのというクレームがすぐに話題になる社会。このようなTwitterがあったが、まことにもっともな話であって、日本人が仕事や職務に厳しいだけの気質であるならば、国会で政治家が居眠りなんてのは言語道断であって批判集中しなければおかしい。しかし国会での居眠りで罷免された議員などの話は聞いたことがないし、怒られたという話もクレームが殺到しているといった話すらもない。だからこそのテレビで中継されている前での堂々たる昼寝っぷりなのだろう。ここまで開き直られると議員というのは「国会での居眠り権」が保証されているのではと錯覚してしまう。

 

「国会なんて形式的なものだから寝てようが起きてようが影響ないから大丈夫」「議員は多忙なんだから寝させてあげよう」「ちょっとくらいミスがあったとして目くじら立てるのではなく良いところを見るべき」「マスコミが寝ているところばかり映し出すのは悪意がある」などという擁護意見がどんどん出てくる。はっきりいってめちゃくちゃに甘い。

 

たとえば電車の運転士なんかが居眠りしたらそりゃ大事故になる可能性があるから指摘されるのも無理もないが、連日の勤務で疲れが溜まっていてウトウトしてしまうこともあるだろうし、つい携帯を見てしまうこともあると思う。それで大事に至らなければ「ちょっとくらいのミスは大目にみてあげよう」となるかというとそうじゃない。もし運転士の中継番組なんかがあったとしたら非難轟々だろう。鉄道会社にはクレームが殺到すると思う。

 

現場業務は「職務の安全上、寝ないのが仕事」だとしても、じゃあ一般企業の会議で、社員は興味がなければ寝てても携帯いじっていても良いのかといったら、そんな自由すぎる企業はほとんど聞いたことがない。堂々とそんなことしていたら下手したら馘首になる。「寝ても良い」という仕事があったとしても、新薬の臨床とか、何かの実験であるとか、かなり特殊な状況のものに限られる。つまりどんなつまらない仕事であれ、たいていは「寝ないこと」が求められているのであり、「労働契約」とはつまり「睡眠権」の放棄を第一条とする様々な権利の放棄と引き換えに賃金を得ることを意味するといってよい。

 

つまらない仕事にもそれだけの「義務」が科せられる反面、国家の最高機関に挙げられる国会での職務には「睡眠権」が堂々と持ち込まれる。それだけではなく「スマホ」なども持ち込み自由のようだ。たとえばコンビニのバイトがレジで「睡眠権」の行使をしたり、「スマホ」をいじっていたりしたらどう思うのか。たとえ自分が雇い主でなくともカッカして本部にクレームを入れたりする輩が続出するはずだ。電車の運転士や、消防士のささいな行動にクレームを入れる人間がいることからも想像に難くない。そしてクレーム入れられたコンビニチェーンも「レジに客が来た時には働いてたから良いだろうがよ!」などとは開き直らず、ただただ恐縮してみせるはずだ。そして末端の店舗やアルバイト店員に対してペナルティを課したりする。

 

偉ければ偉いほどやりたい放題。それに対して労働者の仕事については周囲の目は厳しい。それがどれだけ時給が安くとも手抜きは認められない。それが日本という国の実情だ。

 

国会議員に文句を言ってはいけないのは「国会議員という立場がひたすら偉い」というコンセンサスが形成されているからだ。そうでなければ「先生」などとは呼ばれない。なぜ国会議員が偉いかというと、多くの人間にとって利害を左右するなにがしかの権限を保持しているからだ。国の業務にアクセス出来るのは国会議員や一部官僚や警察上層部など限られた人間だけであって、国の業務というのは様々な利害に直結しているから、彼らと敵対するよりも仲良くして自分だけ得をしたいという気持ちはわからんでもない。

 

しかし冷静になって考えて欲しいのは、多くの人の利害に直結する国の業務に関わるポジションだからこそ、本来は無能な人間や不公平な人間は排除していかなくてはならないはずだ。ところが実際、そういう立場の人間が厳しい評価の晒される事は稀である。ひたすら甘くされていく。そして下っ端に行けば行くほどに、厳しい評価に晒され続けるという逆転現象が起きる。なんでなのか。

 

それは日本がガチガチの階級社会だからである。江戸時代以前の封建制度における身分社会は誰でも知っていると思うが、その精神は現代に至るまで、天皇陛下を頂点とした階級社会として色濃く残っている。現在の貧富の格差などの経済や社会問題も、とどのつまりは日本における身分社会の精神の発露だと思っている。

 

身分社会や階級社会において大事なことは「上の人間には逆らわない」「下の人間は絶対服従」ということだ。なぜなら無能でも立場を脅かされないのが血縁主義や身分社会というものの醍醐味だからだ。だから上には権力を与え、優遇し、下にはことあるごとに厳しくするように仕組まれていく。社会全体がそういうコンセプトの元で動いていくのだ。だから反抗的な人間は子供の頃から教育を通じて排除されていく。人間を計る指標が「優秀なこと」より「従順なこと」に比重をおかれがちだ。そう考えると横綱審議委員会みたいな不透明な組織が日本社会になぜマッチしているのかがよく理解できる。

 

ガチガチの身分社会が強固に構築され始めるとどうなるかというと、現在の日本を見ても分かる通り経済が破綻していく。経済が破綻すると文化も衰退していく。ありとあらゆる分野がダメになってしまう。

 

簡単な話である。身分社会では要職に就いている人間ほど無能になる傾向にあるからだ。そして上下の流動性の乏しい社会ほど、瑕疵が指摘されず無能がのさばり続ける可能性が高い。そんな組織が、実力主義を方針とする組織と勝負して勝てるだろうか。結果は第2次世界大戦の例を見ても明白だろう。社会の序列やポジションの確保のために多大なリソースを消費してしまう身分社会は、効率の面でいっても実力主義の組織に必ず遅れをとる。時代が下るにつれ世界から身分社会が姿を消しつつあるのは淘汰の結果である。

 

江戸時代のころ、長らく続いた世襲制身分制度によって、日本はいつしか諸外国に対抗できない組織になってしまっていた。黒船というやつだ。その反省から、薩長土肥という実力をもった雄藩が主導になり、無能な江戸幕府を解体し、あらたに明治政府という実力主義による近代社会に生まれ変わろうとしての維新後の日本である。ところがこの新たな組織体も、結局は天皇を中心としたガチガチの身分社会を構築し始めた。再び庶民の活動や権利は大きく制限され、あらゆるところでトップダウン中心の活動が展開されていくようになる。それがどのような悲惨な結末を招いたかは説明するまでもない。

 

明治維新、敗戦後の民主化。直近の二度の繁栄は、階級社会がある程度解体されたからこそもたらされたものだったことをくれぐれも忘れてはいけない。しかしそれを良しとしない勢力が日本には存在する。彼らにとっては、国民の生活が保障された社会よりも、上下の立場が保障された社会の方が魅力的なのだ。身分が固定されていた時代を美しいとか古き良き時代だと礼賛し、人権の拡大とかいった、より多くの国民にとって利益になるような思想を危険視したりする。

 

庶民が「睡眠権」を獲得したいなんて言ったら大反対するに違いない。庶民が週に40時間以上も働かされて、うどんすらもなかなか食えず、ひたすら疲弊していてもおかまいなし。その反面、偉い人は自由に「睡眠権」を行使し、栄養も摂取し、長生きを(しようと)する。ところが庶民は庶民で「偉い人は偉いのだから」と小さい頃から叩き込まれていたりするので、異常な立場に追い込まれている自覚に乏しかったりする。

 

日本が完全に身分社会から脱するにはあと何年かかるのだろうか。

 

国の要職についている人間が堂々と居眠り出来る絵面の異常性。日本国民はそろそろ気がついても良いころなんじゃないかと思うのだけど。

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