福山の稲田屋といえば肉丼と関東煮といえば地元のソウルフードとして永年にわたって親しまれていたらしい。僕が知ったのは去年だった。福山をたびたび訪問するようになって2回くらい食べたかな。年季の入った独特の店構えと、チェーン店の牛丼とはぜんぜん違う昔っぽい肉丼。そして関東煮と呼ばれる豚モツの煮込み串が実に魅力的だったのだ。
いつ無くなってもおかしくない老舗レーダーにひっかかりまくりのお店で、僕もわかってたので意識して出来るだけ通おうとしてたのだけど、木曜定休というのが僕のスケジュールに合わずで、福山はけっこう行ってたのに1年間で2回訪問という数字に落ち着いていた。そしてやっぱりというか、コロナもあって2020年の9月で廃業ということになってしまった。無念だ。
最後にもう一度だけ食べられないものか?と思ってたら、たまたま近くを通りかかった(!)ので行ってみた。したら口開け前から待ちが出ていた。今まではわりとガラガラなことが多かったのでタカを括っていた。さすがにソウルフードというだけあって地元の関心は強烈だった。
昼下がりくらいに行けばランチ客をかわせるから丁度いいかな?なんて考えていた自分を責めたいくらいムクムクと列は伸び続ける。開店の20分は前なのに、もう僕の後ろ数人くらいでファーストロッターは締め切りになってしまう見込み。その後もずらずらと行列は伸びて見たことない光景になっていった。メディアの取材が来ていて、大将と話していたが、ネタが無くなるまで売ると言っていた。ということは無くなったら早仕舞いになるということ。なんとなく早めにやってきたことを感謝する。
オープンして先頭集団が店内に雪崩れ込んだ。同時におばちゃんたちが注文を聞いて回るのだがかなり余裕がなかった。もう閉店に向けて社員はいなくなってるそうだ。おばちゃんたちは近所の手伝いだろうか。あんまりよくわからないが不慣れなのは確か。こんなパニック状態はとても捌けないだろう。注文が前後したりして大変。
なんとか大瓶ビールと肉丼を頼んだ。学生食堂なみに相席でギチギチ。もっとあれこれ頼みたかったが、おばちゃんたちに余裕ないし、だいいち閉店に向けてもうやってないメニューがかなり多いようだ。次に来たときに、まかないカレーとか絶対に食べようと思ってたんだが、もう無いと言われた。無念。もちろんハンバーグ定食みたいなややこしいのを頼んだら発狂されそうなので聞くまでもなく諦めた。みればまわり全員が肉丼か関東煮を頼んでいた。そりゃそうか。たまに肉うどんを頼んでいる人がいるみたい。定食にするとちょっとしたものが付くが、僕はビールでやりたかったので肉丼だけで充分だ。けど関東煮は頼んでも良かったかなと少し後悔がにじむ。
…と思ったら、巡回してきたおばちゃんに「串は何本やったっけ?」と確認されたので、ちゃっかりと「2本です!」と答えて関東煮をせしめた。稲田屋の関東煮ってのはなにかというとモツを甘く炊き込んだ串のことだ。ブタモツやんねこれ。2本頼むと良い具合に部位が違っていて楽しめた。全くクセがなくむちゃくちゃ柔らかくて甘い。最後に楽しめたのは運がいい!
あまりに鉄火場すぎて、注文が通ってないとか言って声を荒げる人もいたが、仲間うちで「まあまあエエやん」とかいってなだめる場面も。そのへんは地元意識でなんとか回ってる感じ。見たら並んでる人の何割かは関東煮の持ち帰りということで、入り口側にある大将の煮てる大鍋のところに直接の行列になっている。これはすぐに無くなりますわ。なんとか店内でありつけて良かった。
コーヒー無料サービスをやってたのは知らなかった。しかし閉店モードに入って阿鼻叫喚の店内で、コーヒーすすって居座る鉄の心臓の持ち主はさすがにいないだろうな。
ゴボウなどが入った肉丼到着。あきらかに後から来た人の前らへんにポンと置かれたので、自分が取っていいのか微妙な空気になった。しかしその人がどうぞと言ってくれたのでことなきを得る。といっても、大鍋からすくって丼にかけるだけなので、ちょっとくらい待っても良かったんだけど。とにかく注文忘れられた人とか、反対に行き場のなくなった肉丼とかが飛び交っていた。
稲田屋の肉丼は超絶汁だくなのと、とんでもなく甘い味付けが特徴。甘さを前面に押し出した料理は昨今の外食界にはあまりないので昭和の残滓を感じる。うどんに入れるきつねなんかも、昔っぽい店に行くと目が覚めるほど甘かったり。今も甘味は必須にはなってはいるが、かならず塩気も利かしている。しかしこの肉丼を食べると、肉うどんの味付けも容易に想像できる。でもこういうシンプルな甘味って、案外と腹にもたれないというか、後口はさっぱりしてるもんだ。
二枚だけ付属しているお漬物で軽く味変しつつ平らげていく。最後の稲田屋も爽やかにいただけた。量も昭和サイズなので大瓶ビールと一緒にいただいてもかなり余裕がある。
肉玉丼は一度もやらなかったので多少の心残りはありつつも味の想像はつくかも。うどんも食べたかったかも。言い出したらキリがない。行列のプレッシャーもあったのでサッと出る。こんな混乱状態でもビールでやれたので上出来だろう。しかしたまたま近くまで来ていて稲田屋の最後に間に合ったのは幸いだった。完全に部外者で来ている人は少なそう。
出たのはまだぜんぜんお昼前だった。ランチタイムに向けて行列は凄いことになっていた。普段は人がほとんどいないアーケードの外れなんだが。なんでも最後だけ賑やかになるのは寂しいかぎり。でもよく考えれば、人知れず消えていくものの方がきっと多いのだろう。
いざ自分のことを振り返れば、ある時期を境に消えていくものばかり追っかけてたような気になってくる。少なくとも新しい店とか、新しい施設にはあまりときめかなくなってしまっていた。どこか覚めた態度で臨んでしまうのはなんでだろうか。懐古主義ではないのだけど、どうしても消えていってしまうものに興味が傾く。気がつけば自分が消えていく側の年齢になっているというのも影響しているのだろう。ただしトイレとビールだけは、新しい方が嬉しいけど。