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普段テレビに出ないジュリーのコンサートのキャンセル話がやけに大きく扱われる事についての闇

kimniy8.hatenablog.com

あの木村ゆうさんのブログですら取り上げられたジュリーの話題。これに関しては外野が騒ぎすぎだし、なんでファン以外が怒るねんと誰もが不思議に思うだろう。素直な反応としては、木村ゆうさんのブログのような感想になるのが当たり前。そもそもジュリーのファンが騒いだせいでニュースになった話でもないことも知られている。例えば僕の友達でジュリーファンでもある中将タカノリ氏の記事だとこうなっている。

citrus-net.jp

そもそもファンでもないくせに外野で嬉々としてこの件でジュリーを叩いているのは所謂ネトウヨと呼ばれる系統の人たちに多いという不思議があった。Twitterでもその手のアカウントが高確率でジュリー叩きをしていた。代表的な例が、ネトウヨの親玉的な存在である百田尚樹Twitterだろう。

 

今回に関しては、同じ百田尚樹シンパのネトウヨの中にもジュリーファンがいたらしく、猛烈に反発を受けて謝罪するという珍しい事になっている。沖縄米軍基地問題やその他の問題について、度々事実無根のデマを流布しては何ら反省することのない百田だが、このときばかりは本来は自分のシンパ(所謂ネトウヨ勢)からの突き上げだっただけに、訂正するしかなかったということだ。だからネットなんかで喜んでジュリー叩きしているネトウヨ勢の中に、今回に限ってはジュリーファンはいないということになる。

headlines.yahoo.co.jp

これら経緯から考えても、ジュリーのファンたちは、むしろ一連のジュリー叩き報道について賛同するどころか、猛烈な反発心をもっている事がわかる。ジュリーファンの本音としては「なんでこんな報道をされにゃならんの」「俺らのジュリーを悪くいうやつは許せねえ」というわけだ。

 

じゃあ、そもそも論として「なんでコンサートのキャンセル程度の事件が、テレビなどのメディアでこんな大きく報道されたの?」という事になる。囲み記事程度の扱いだったら、ファンが騒ぐわけないし、外野がしゃしゃり出てくる事もなかったし、ネトウヨが喜んで叩くなんてこともなかったし、僕や木村ゆうさんがこのようにブログを書く事もなかったわけだ。この事件が大きく扱われた理由の一端を伺える記事がある。

lite-ra.com

察しの良い人はおわかりかと思うが、キーワードはジュリーが反原発を明確に前面に押し出した稀有な芸能人であることだ。記事内にもあるが、芸能人が反原発を表明することは死を意味する。嘘だと思ったら反原発を明言した芸能人がどれだけいるか調べて欲しい。

 

最も代表的だと思われる存在の山本太郎は、芸能界を干されて政治家になってしまった。原発に反対するなんて事を言えば、テレビに出る機会は著しく制限されてしまうのが実情のようだ。忌野清志郎だって生前はほとんどテレビに出ない人気者として有名だったし。坂本龍一にしたって、宮崎駿にしたって、テレビタレントではないから言える事だったりする。ジュリーは坂本龍一なんかと反原発の署名運動に協力しているようだし、反原発ソングを何曲もリリースしてるくらいだから、文化人枠じゃない歌手・芸能人としては相当につっこんでいる存在だといえる。

 

つまり、ジュリーは芸能人にもかかわらず原発に忖度するどころか、目の敵のような存在になっていた。そんな人のスキャンダルになりそうな事件だからテレビで大きく取り扱ってやろう……まあ、これはあくまで憶測にしか過ぎない。ただし、テレビ側からしたら大スポンサーの電力会社に忖度できるネタであるのは間違いない。というか、普通のジュリーが活躍しているとかいう話題だったらスポンサーが絶対に喜ばないが、これだったら安心して報道できるというのはあるのだ。そしてこのニュースのコメンテーターとして起用されたタレントの立場としては、騒動に対してジュリーにちくりと非難めいた意見を差し挟むのが「テレビタレント的に好ましい態度」といえそうだ。

 

それくらい電力会社がマスメディアに対してのマネーパワーは強いというのが重要。普通はテレビ局がお客様であるスポンサーを接待するくらいなのに、電力会社は逆にテレビの営業幹部を接待するという。なにしろ東電だけで途方もない金額をメディア対策に費やしている。テレビ局もタレントも、忖度するなという方が無理のある話。

 

テレビ局と原発マネーの関わりについてはLITERAの設立人のひとりである川端幹人氏の発言が参考になる。これ読むだけでも原発とメディアの闇がわかるんじゃないだろうか。

togetter.com

そんなわけで、何かと大手メディアに歓迎されていない立場のジュリー(しかも反原発が最大のキーワード)という文脈がわかれば、今回の不思議な騒動もなんとなく納得がいく。そこに反原発憲法改正反対という要素が加われば、ネトウヨ勢に色めき立つなと言うほうがおかしいわけで…。

 

ここで大事なのは「テレビでは反原発は絶対に言えない」「テレビの人気商売で反原発といって利益になることは何もない」という恐ろしい事実だ。そしてジュリーが発言した「60過ぎて言いたい事が言えるようになってきた」という言葉の重みだろう。

原発プロパガンダ (岩波新書)

原発プロパガンダ (岩波新書)

 

あのドキュメンタリーのまさかの続編『南京事件II~歴史修正を検証せよ~』!!

清水記者が取材したドキュメンタリー『南京事件II~歴史修正を検証せよ~』が放送されて反響を呼んでいた。

 

前作のドキュメンタリーは、南京事件がどういう経緯で発生した事件なのかを、裏付けをとりながら徹底的に検証するというものだった。

 

今回の視点は歴史修正という観点で語られる南京事件。番組の冒頭では、降参が決まった日本政府と軍が、重要書類を燃やし続けた事実を説明する。数日にわたって焼き続けたというから膨大な量だ。

終戦時の証拠隠滅

事件の概要についてはここに詳しい。自分たちの保身のために史料を燃やしたしまうというのは重大な歴史犯罪だ。南京事件の概況を教わらなかったのと同様に、日本軍と日本政府による証拠隠滅という事実も、思えば我々は歴史授業で教わらなかった。

 

それがゆえに「南京事件を証明する史料は日本側には残されていない」「中国側だけが勝手に言っているだけ」「従軍慰安婦もなかった」「公式文書なんか無い」「でっち上げ」などといった言説にさらされると「それもそうだな。怪しいかもな」などと簡単に騙されてしまう。

 

残ってないのは当たり前なのだ。燃やされたんだから。しかも何日もかけて燃やしたのだ。これは間違いの無い事実で、燃やした側も「不利になるのだから当たり前だろ」と平然と証言している。それでも、すべての証拠を消し去るのは不可能だった。市ヶ谷では燃え残った機密文書が掘り返され復元た。そしてある新聞社では、当時の南京の様子を取材したときの写真などが密かに保存されていた。ドキュメンタリーではその事実も丹念に追っかけていく。

 

新聞社に残されていた発禁処分になった写真の中には、まさに捕虜を銃剣で突き刺しているという生々しいものもあった。中国が用意した南京事件の一部とされる写真などは出処が不明なものが多いなどとよく言われる。しかし、日本側には、出処のたしかな写真が残されていたのだと知る。

 

また、前回と同様の、当時の兵士たちによる生の証言もとりあげている。虐殺の模様をCGで再現しているのだ。簡素なCGではあるが、実際にこのような手順で大量に人が殺されていったのだとイメージするには十分だ。複数の証言から、似たような事例が報告されているわけで、これをでっち上げとするのは不可能だろう。

 

とどめとして、現職議員である稲田朋美などをはじめとした面々が主張している「南京事件は、捕虜が暴動を起こしたので発砲しただけだ」とする説の根拠も、徹底的に調査して検証している。この説の根拠になっているのは、南京攻略に参加していた両角連隊長への戦後になってのインタビュー記事だった。両角連隊長の証言では、「上からは捕虜を殺せと命令されていたが、開放するつもりで川べりに連れて行った。しかし諸々のトラブルで暴動が起きたので発砲した」とあった。しかし他の証言ではそのような事実が一切確認されていない。そればかりか両角連隊長本人は現場にいなかったという証拠が見つかっている。戦後になって責任を逃れるためについたでまかせである可能性しかない。しかもそれにしたって「捕虜を殺せという命令があった」ところまでは認めてしまっているのだからどうしょうもない。

 

これだけ大勢の人が現場に立ち会って、大量の証拠の残っているはず大事件ですら、ちょっとすると「なかった」ことにされてしまう恐ろしさがある。人間の認識なんてのはきわめて頼りないもので吹けば飛んでしまう。証拠になる文書を処分したり改ざんするような行為を許してしまうと、事実というものがどこにあるのかという事になってしまう。1600年に関ヶ原の戦いがあって、1603年に徳川家康江戸幕府を開いた…なんて話だって、これ文章が残っているから言えるわけである。口伝えの話でしか残らなかったとしたらどうなのか考えてほしい。「むかしむかしあるところで桃太郎が鬼退治しました」みたいな、あやふやな物語が残るだけだ。

 

このドキュメンタリーを見れば、モリカケ問題をなぜしつこく追及しなければならないかがわかるかと思う。たかが文章の改ざんくらい目くじら立てなくても良いじゃないかなんていえなくなるはずだ。南京事件の問題と根っこは同じなのだ。公文書を改ざんしたり隠滅することの恐ろしさは歴史が教えてくれる。過ちは繰り返してはいけない。歴史を学ぶとはそういうことだ。

www.dailymotion.com

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南京攻略のあとにあった重慶爆撃についても、あまりにも無知なことが多い。『戦争のはじまり 重慶爆撃は何を招いたか』もあわせて見ておくことで、真珠湾攻撃から先の事件がなぜ起きたのか理解が深まる。重慶爆撃について詳しく習うことはなかった。戦争の話題でもほとんど取り上げないのではないか。

 

太平洋戦争における一方的な被害者意識というのは、南京事件重慶爆撃の経緯の説明があまりにも不足している。あえて重慶爆撃を話題にしないようにしているとすら思える。まあ、これにしたって、日本側の史料が燃やされているわけで、中国側の被害記録が頼りになっているというのだから情けない話である。重慶爆撃がわかると、諸外国からみた日本と、日本人による感覚の温度差に合点がいくようだ。なるほどそういう話だったのかと腑に落ちる。

 

南京事件にしたってそうだった。いきなり日本軍が乱暴狼藉を働いたという話でしか伝わってこなかったが、ちゃんと前後がわかれば誰だって納得もいく。学校でやらされる歴史授業なんてのは、大幅にピースの無いパズルみたいなものだった。そして、ながいあいだ抜け落ちていたピースのいくつかを、丹念な調査によって埋めてくれたNNNドキュメントの功績は大きい。記録を遺してくれた個人や新聞社などにも感謝するしかない。事実を隠蔽しようとした行為には怒りが湧いてくる。イデオロギーよりも何よりも重要なことは事実だ。だから政府による文書の改ざんや破棄の罪は重いんだ。

 

空爆の歴史―終わらない大量虐殺 (岩波新書)

空爆の歴史―終わらない大量虐殺 (岩波新書)

 

いかに重慶爆撃が「空爆の歴史」に不名誉すぎる大きな一歩を刻んでしまったかというのがよくわかる空爆の歴史の本。その負の遺産は、ドローンによる空爆までつながっていく。

 

「南京事件」を調査せよ (文春文庫)

「南京事件」を調査せよ (文春文庫)

 

清水記者によるドキュメンタリーの補足本。

 

butao.hatenadiary.com

butao.hatenadiary.com

vergil.hateblo.jp

はてなでもとりあげているブログがあったので紹介。かなり詳しく紹介している。

日本の最低賃金による露骨な地域差別に腹が煮えくり返る思いがする

それによりますと、3大都市圏のうち、東京・神奈川・埼玉・千葉の「東京圏」は転入者が転出者を11万9779人上回り、22年連続で「転入超過」となりました。転入超過の人数は、前の年に比べて1911人増え、2年ぶりの増加となりました。

一方、大阪・兵庫・京都・奈良の「大阪圏」は、転出者が転入者を8825人上回ったほか、愛知・岐阜・三重の「名古屋圏」も、転出者が転入者を4979人上回っていて、いずれも5年連続で「転出超過」となり、「東京圏」への一極集中が続いていることがわかりました。

一極集中化についてのニュース。22年連続で一極集中化の流れが止まってないということだ。僕が住む大阪はかなりの都会であるが、それでもどんどん人が減っていっている。旅行客でごった返してはいるが、住んでいる人は少ないということだ。名古屋圏でも同じ。

 

つまり大阪や名古屋周辺でさえもこうなのだから、札幌・広島・福岡も寂しくなっていっているわけで、それ以外の地方はどんどん人がいなくなっていっている。

 

こういう現象に対して「地方より東京の方が良いからしょうがないやん」とかいう感想を持つ人が多いかもしれないが本当にそうか?これが当たり前のことか?

 

今や総人口の3割以上が首都圏に集中している。1950年には15%くらいのもんだったのが、今や倍以上になっているわけで、そのぶん他の地方の存在感は無くなっていっている。

 

首都圏に人口が集中する理由としては、政治機能やインフラを東京に集中する反面、あらゆる負担を地方に押し付ける政府の地方軽視の政策に拠るのは明白である。大きい所も細かい所も、事例を挙げていけばキリがない。

 

田舎から都市部に人が集まるのはある程度はしょうがないにしても、地方の都市部からも人が首都圏に流出してしまっているのは、経済的な側面だけをとっても失政がすぎるのではないか。この先、首都圏比率がどういうことになっていくのか心配だ。

 

総務省は「東京圏への転入者が多いのは、30歳未満の若い世代が地方から進学や就職を理由に流入しているからと見られる。今後もこうした傾向は続くのではないか」と話しています。

この記事の最後のまとめに総務省のコメントが出て来るがあまりにもひどい。他人事かよと思う。首都圏に集まるように仕向けてるんだから当然だろという意見が透けてみえるようだ。

 

ここで全国の最低時給ランキングを挙げてみようと思う。

1位 東京都 958円

2位 神奈川県 956円

3位 大阪府 909円

4位 埼玉県 871円

4位 愛知県  871円

5位 千葉県 868円

6位 京都府 856円

 

上位7都道府県だけで首都圏が4つランクイン。そして東京都と神奈川県のツートップは、大阪を大きく離している。

 

対して最低時給の最低ランクはこうなっている。

 

29位 鹿児島県 高知県 佐賀県 長崎県 熊本県 大分県 宮崎県 沖縄県

 

これらの県はすべて737円だ!!!沖縄と高知もひどいが、九州に集中しているのも凄い。日本は九州に恨みがあるんじゃというレベル…。

 

もし東京とこれらの県の最低賃金同士が働いたとしたら、1時間ごとに221円の差がついていく。

1日8時間労働したら1768円の差になる。

これで月25日働いたら44200円の差だ。

 

なんで?住んでいる地域が違うだけで?はっきり差別なんじゃ?

ただでさえ地方は何かと暮らしにくい事が多いのに、これじゃ住む人がいなくなるのに加速がついても当然じゃないだろうか。

 

同じ日本国内で、県境をまたぐたびに、賃金にここまでの差をつけられる合理性を説明出来る人はいないのではないか。橋をわたる度に敵の強さが変わるドラクエじゃあるまいし。

 

このいわれなき賃金差別が解消されるだけで、東京一極集中状況はもう少しマシになるんじゃないかと思わざるをえないのだが。

 

東京で働いている人も考えて欲しい。仕事の忙しさがそのままで、月の給料が4万円以上減ったとしたら。それでまともに生活をしていけるだろうかと。

 

↓2年前にも書いた記事。 

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今後もコインチェックを使い続けようと思った人は市場の養分!!

渦中のコインチェックが、盗まれたネム保有していた人に対する賠償金をJPYで支払うというアナウンスを出した。

 

「なんでJPYで払うんだよXEMで払えよ!」と言いたいところだが、コインチェック側としては、同じだけのXEMを集めたら総額でいくらになるのかわからないという恐怖があるから(盗まれたXEM時価総額の5%とかだから流通量を考えれば恐ろしい事になるのは安易に想像がつく)JPYで補償する他にやりようが無い。

 

それでも400~500億円の現金が必要なわけで、そんなもん右から左へと都合つけれる企業なんて常識で考えれば、ない。しかしコインチェック側は実行するとアナウンスしたことによって、一部では「コインチェック凄い」とか「コインチェック儲かりまくっている」とか「倒産するとか思ってたやつは仮想通貨市場を過小評価している」とか騒いでいる人らがいる。

  

このブログの前回の記事でも、コインチェックは破綻が決定したものとして扱っていたわけで、もしコインチェックがこのまま普通に営業を再開したとしたら、予測を大きく外した事になるわけだ。それだったらそれで良いし、預金者がいくらか助かるならそれにこしたことはない。もし予測が外れたとすれば、僕の知りようのない何かが起きたという事でしかないわけだし。「常識で考えればありえない」ことであるのは些かも変わらない。それが「仮想通貨の世界」だろうか何であろうともだ。実際に仮想通貨取引所のマウントゴックスは破綻している。

 

投資でも何でも、何かを判断する時は、過去の事例などを参考に、根拠立てて物事を考える癖はつけておいた方が良い。理屈にあわない予想に基いた決定は出来るだけしないことだ。

 

そもそも補償の話にしたって、そういうアナウンスをしただけであって、その時期についてはまだ何も決まっていない事に注目して欲しい。言うだけなら誰でも言える。企業による実行されなかったアナウンスの事例など、枚挙に暇がないのが「常識」というやつだ。「コインチェックすごい」は、実際に補償が最後まで実行されてから言って欲しい。たかがアナウンスで一喜一憂するのは「おめでたすぎる」としか言えない。仮にも投資をやろうという人間にはあるまじき行為なので戒めておく。

 

そしてアナウンス通りに補償があったとして、それでコインチェックの信用が戻るかといえば「ノー」だ。アナウンスされた補償方法には、そもそもの問題がいくつもある事に瞬時に気が付けないようなら、もう投資とかやるべきじゃないと思う。

 

第一の問題は、コインチェック側がザイフと協議したかなにか知らんが、「勝手な額で強制決済したJPY」で失ったXEMの補償をしようとしていること。コインチェック側の理由で一方的に強制決済をされるなんてたまらない。それで売買益が出た分の税金はコインチェック側が見てくれるというのだろうか。

 

もし得をする人間がいるとしたら、26日の時点で多大な含み損を出していた人間くらいのもんだろう。だから税金問題も含めて損害請求を出すのが当たり前だ。もしかしたらコインチェックの規約には「万一の時は強制決済します」などとあったのかもしれないが、それはあくまでもアチラの都合なので、法定で白黒付けてもぜんぜん構わない。

 

そもそもXEMを失ってJPYで補償された顧客たちの多くが、以前と同じ額のXEMを買い戻そうとしたら相場はどうなるか考えて欲しい。たまたまここからXEM相場が暴落していくみたいな美味い話はそうそうあるもんではない。わけもわからず取引所のミスで資産を減らされただけという形になるしかない。

 

第二の問題は、XEMのみならず、BTCやJPYや他の通貨の取引や出金や送金を止められた機会損失の件だ。これもいつ再開するかは現時点ではわかってない。こんなのだって本来は補償の対象だろう。大損してしまっている人間もいるはずだ。

 

本当にコインチェック自己売買部門などで死ぬほど儲けていて、内部留保が莫大にあるというなら補償してみて欲しい。金があるにもかかわらず規約などを盾にとって補償しないというならば、道義的責任の追求がなされて然るべきだ。もしくは本当はそんな余裕なんか無いかどちらかだ。(常識としてはそんなキャッシュがあるとは考えにくい)

 

このような事を考えていたら、コインチェックから以下のようなアナウンスがあった。

JPY(日本円)の出金は止めているが、入金だけは再開したというアナウンス。

 

ハァ!?となるしかない。JPYは欲しいが、JPYの払い出しは困るというわけだ。一方的な言い分というか、これ見て「よし入金しよう!」とかいう人間は、決定的にどうかしているか、ただの逆張り大穴狙いのギャンブル狂としてか思えない。といっても、このタイミングで入金して、よしんば後に通常営業が再開されたとして、どういう旨味があるのか僕には全く理解できないけれど。決定的に投資には向いてないマインドなんじゃないかとしか。まさかとは思うが追証か?返ってこない可能性のあるお金のための追証なんて悲劇もありうるのだろうか?

 

こういうアナウンスしている現状を見て「コインチェックにはお金がうなるほどある!」「顧客の資産は完全に保全されている!」とか思っちゃう人も問題がありすぎるだろうということ。今回の件が結果的にどうなったとしても、完全に市場では「養分」タイプなのを自覚するべき。

 

もしコインチェックが、かなり問題のあるやり方による補償をしとして、そのまま営業を続けるなら、「完全に逃げ得」である。裁判で勝てるかどうかはともかくとして、こんな取引所とは付き合わないというのが正常な感覚だし、もし出金が可能になったとしたら、多額の資金を入れたままにしておくのは絶対にあり得ない判断。これが投資感覚というものだ。

 

「本来はゼロの可能性があるのに、そのまま逃げても良かったのに、何割かでも返ってくるだけでも誠意が凄いよ。なにせ400億以上自腹切ってるんだぜ」こんなバカげた事を言う人間もいるかもしれんが、それは会社が解散した場合の話だろうがと呆れてモノが言えない。

 

だって、内部にはJPYがうなるほどあって、取引手数料で毎年莫大な収益を得ている設定になっているのに、損害額を値切って知らぬ顔で押し通そうとするなんておかしいではないか。何らかの理由で今すぐは払えないにしても、会社が存続するなら分割でもなんでも満額賠償は可能なはずだ。

 

以上のことをふまえれば、コインチェックが破綻しようが存続しようが、まともな会社ではないと判断するのが自然のことであって、コインチェックに多額の資産を預けたままにしようなどと考える感覚の人は、相場なんかするべきじゃないという結論になる。それもこれも出金が再開されたとしての話であるが。

 

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コインチェックのサイトより。そうであることを祈るのみ。

仮想通貨に投資していたおかげでコインチェックの破綻が面白すぎた

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今年の1月に入ってから仮想通貨というやつを買い始めた。タイミングを外しすぎだろうと思われたかもしれないが、タイミングを外しているのは百も承知だ。そういう事情は無視して、あえて買っている。JPYのマイニングだけする生活に飽き飽きしたからだ。仮想通貨に手を出している人たちは、大概そういう境遇にあるのではないか。

 

ちなみに、当ブログは巷間にあふれている「仮想通貨買い煽りアフィリエイト誘導ブログ」ではないし、「仮想通貨攻略と称する草コインハメこみブログ」では無い。その証拠に、僕は今のところ全然儲けてないと宣言しておく。

 

ご存知の通り2018年の1月から仮想通貨の相場は暴落を始めたので、それ見たことかと言わんばかりである。しかしタイミングを外しているのは元から承知しているので「買い始めたら安くなった。もっと下がってくれたら買いやすくなるな」くらいにしか思っていない。負け惜しみではなくて本当に。

 

仮想通貨投資というのは、それくらいの事は織り込み済みでないとやっていけない世界だと認識している。実態を知りもしない会社の未公開株に投資するよりは、ちょっとはマシといったところか。ただし、買った瞬間に紙切れということはなさそうで、たとえ暴落に巻き込まれても100分の1くらいの資金は返ってくるかもしれないという部分では優しい。先の事なんて誰にも読めない。未来がマッドマックスや北斗の拳的な世界観にならず、このまま文明が続くとすれば、確実に伸びる分野だなという大まかな予想だけ。その時にビットコインイーサリアムが覇権を握ってるかどうかはともかくとして。

 

こういう先の読めない投資に向き合うための攻略法としては、僕の知る限りでは2つしかない。あまりにもシンプルな答えなのでバカにしてるのかと思われるかもしれないが真理だ。仮想通貨の上げ下げなんていうバカげたギャンブルに、糞真面目に向き合ってもしょうがない。

 

1.どうでも良い額でやる。

2.手法はストロングホールドのみ。

 

1に関しては、投資のアドバイスとして「失っても構わないお金でやりなさい」というのはうんざりするくらい過去にも聞いてきたと思うが、それの100倍くらい厳粛に考えてやってもらいたい。

 

つまり「ここに100万円の預金があるけど、さしあたって必要なお金じゃないし、たとえ無くなっても死ぬわけじゃないから、仮想通貨にでもブチ込んで勝負してみちゃおうかしら♪」とかいうのであれば「どうでも良い額」とは言えないということだ!

 

たとえ明日の生活費に困ってないとしても、コツコツと貯めた100万円がいきなり無価値になったとて、あなたは冷静でいられるだろうかということだ!?あの100万円があれば何が買えたのか!?とか考えずに涼しい顔でいられるか!?いられるなら良いけど…。

 

一般的な感覚として、その人にとっての「どうでも良い額」とは、どれだけ多く見積もっても収入の5%くらいまでじゃないだろうか。ここをリミットにして貰いたい。つまり、一日ちょっと遊んだら、なんでもない事で使っちゃうかもしれない額。それを超えてはいけない。

 

もしくは100万円の使う予定のない預金があるというなら、仮想通貨に投下して良いのは5万円までだ。もし10万円を投下したかったら、まず貯金額を200万円にしてからにしなさいと。もうそれだったら、月々5000円づつとかを継続して投下していくとかで良いんじゃないかということになる。

 

2に関しては、目先の変動を追って利ざやを稼いでも、仮想通貨市場そのものが変動に対するルールが無いに等しいので、コツコツドカンの罠に嵌りやすいのと、単に目先の変動に一喜一憂するのが面倒くさいというのもある。

 

投資とかじゃなくて、チャートを追って利ざやを考えるのが好きで好きでしょうがないというならば、それ自体が趣味になりうるので、やってみれば良いと思うが、僕はそんな遊びには興味がないので(その時間あったら他の事をやりたいしビールも飲みたい)、月々の決まった額を投下してストロングホールドだ。

 

あと、利ざやで遊びたいという人は、税金にも注意しなければいけないので、ひたすら面倒くささはある。そうなのだ。税金のこともあるので、短期売買はオススメできないのだ。何も考えず年をまたいでしまうと、大変なことになる可能性がある。(1月の大暴落はまさにそれ)

 

まあ、そんなわけで、僕はザイフ(仮想通貨ブロガーのアフィリエイトで必ず紹介されている取引所)の仮想通貨積立ってやつを「どうでもいいお金」ですることに決めて、暴落チャートもボケーっと見てただけだった。そしたら想定外の事件が起きた。そう、コインチェックの閉鎖騒動だ。

 

買った仮想通貨がゴミクズになるところまでは考えていたし、仮想通貨のパスワードがハッキングされたら怖いから2段階認証は登録しておこうと。それくらいまでは想定していたのだが、まさか取引所の方がハッキングされるとは思ってもみなかった。ド素人に毛の生えたようなのが取引所の経営者だとはなかなか考えない。

 

取引所が閉鎖されてしまうと、仮想通貨が値下がりして死ぬのではなく、仮想通貨やJPYそのものが取り出せなくなってしまう。JPYを送金しただけで何も買ってないのに死ぬという理不尽。ましてや利益を出している人間でさえも死んでしまうわけで、死んでも死にきれないとはまさにこのこと。戦地に運ばれる輸送船に乗ったら、何もしないまま撃沈されたようなもんだ。もしくは激戦を生き抜いて、やっと母国に帰れると思ってたら、引き上げ船の整備不良で沈没して死にましたみたいな。しかしそれが現実というやつの厳しさ理不尽さなのだろう。

 

2014年にマウントゴックスという取引所が閉鎖された時も、ハッキングでBTCを盗まれまくっていたことが原因になったらしい。その時の預金総額は2兆円を超えていたらしいので、コインチェックに関しても兆単位のお金がどこかに飲み込まれていきそうな気配である。取引所の閉鎖といえば、そういえばそんな事件があったなあと記憶していたが、今回のコインチェック事件がきっかけに調べて知ることが出来た。やはり「どうでもいいお金」といえど、多少の当事者感があると強い。

 

何を隠そう僕もザイフの他には、コインチェックの口座も開設していたのだ。なにしろ周りで仮想通貨に携わっている人間は、ほとんどコインチェックを利用していたし、そういう意味ではこれが鉄板なのだろうと思ってしまうのは無理はない。自分で自分の運転免許証を手に持った自撮り写真を送信するというマヌケな行為を経て口座開設していた。ただし、ザイフにしても、コインチェックにしても、JPYの入金はしていなかった。

 

月々に使うお金は限定的にしろ、入金するからには銀行手数料の問題もあって、まとまったお金を預けていないといけないわけで、取引所のサイトの安っぽさと胡散臭さもあいまって、なんとなく抵抗があった。だからズルズルと後回しになっていたわけだ。

 

カード払いで仮想通貨を購入するのも手数料がバカ高いらしいし、迷った挙句に、入金しなくても可能な、指定口座から月々自動で引き落としされる積立だけを先行して始めた形。それが1月だった。

 

でもそろそろ覚悟を決めて入金しても良いかなと、銀行の前でふと考えたのが、1月26日のコインチェック騒動が発覚する2時間くらい前というのだから他人事じゃなかったのだ。だからコインチェックで資産が凍結されちゃった人を見ても「バカだな~」とはとても思えない。自分はなんとなく運が良かっただけだ。

 

ただし、無くなって困るお金でやってた人に関しては、「無茶しやがって」と言わざるを得ないし、税金払えないとかいう人は、去年のうちに何とでも出来たわけで、さすがに自業自得感がある。

 

税金も払えなくなった系の人たちは、多額の含み損を抱えていて身動きとれなくなってしまったというのもあるかもしれんが、それもこれも「負けられないお金」でやっていたゆえだろう。張る額を間違えたがゆえに相乗効果で地獄の底まで突き落とされるという好例(悪例?)だ。

 

何度もいうが仮想通貨は割りの悪いギャンブルだ。通貨それ自体の価格の変動だけではなく、通貨のセキュリティーも自己責任でやらなくてはならないし、今回のように取引所という「プロ」といわれる機関に任せていても全く信用できない。取引所を利用する時点でギャンブルになっているという恐ろしさがある。

 

取引所の内部運用がどうなっているかなんて知れたものではない。コインチェックは、顧客の資産はコールドウォレット(オフラインのパスワード管理)に保管しているので安全と宣伝していたが、実際はホットウォレット(オンライン上)に入れっぱなしになっていたXEMが盗まれたわけで、かなり詐欺に近い商売をしていたことになる。「お客様のお預かり金は経営資金とは完全に分離しております」とあるが、それもそんなわけないやろとツッコミを入れたくなる。

 

バカ正直に顧客の資産を預かるだけならば、ホットウォレットに入れっぱなしにしておく意味なんか無い。コインチェックの顧客の総資産が何兆円ぶんあるのかはわからないけれど(なにしろXEMだけで680億円ぶんからあったというのだから恐ろしい)、個人の顧客に返せるようなお金なんか残らないんじゃないかと推測している。

 

今回の事件で、「どうでもいいお金でやる」という第一のルールを、つくづく自分でも強く意識したし、定期的に仮想通貨を自前のウォレットに移送しておくという自衛手段も重要になってくるだろう。もちろんJPYも預けっぱなしは良くない。というか、ネット上においては、JPYが最も退避させにくい危険な資産じゃないんだろうかとさえ思う。

 

そういう意味では、仮想通貨の信頼度が低下したというより、今後ますます必要になってくる技術じゃないかという考えは強くなってくるのだが。しかし何度もいうようだが、10年後の仮想通貨の覇権がどうなっているかは知らん。予想なんか出来るわけがない。

 

じゃあ、そこまでして、なんで仮想通貨を買ってるんだ?と言われるかもしれない。ジャンルとして面白そうだからというのと、買ったら基本ほったらかしだから手間がかからないからというのと、どうでもいい額だからというのが答えになる。とても他人には勧められない。

 

どれだけ警戒していても、取引所に入金した瞬間に閉鎖に巻き込まれたら回避不可能だ。さぁ~始めるかぁ~と100万入金したのが運命の26日だったという悲劇の人もいたという。豊臣秀次に側室として迎えられて京都まで来てみたら、一族郎党皆殺しに巻き込まれて斬殺された最上家の駒姫みたいな話だ。

仮想通貨を保管しておくハードウェアウォレットというやつ。ハッキングには強いが、値段はくそ高い。現状では中身より財布の方が高価という状況になってしまう。そして結局は固形物で保管しておかねばならない矛盾を感じる。他には紙にパスワード書いて保管とかいうやり方もあるがドラクエ復活の呪文かよと。そういう不安要素がいっぱいの世界だ。

漫画家は企業から搾取されてはいけない。しかし漫画家もアシスタントを搾取してはいけない。

kakuishishunsuke.hatenablog.com

ドラゴン桜』なんかで有名なやり手マンガ家の三田紀房のアシスタントをやっていたというカクイシシュンスケ氏(現在は連載漫画家らしい)のブログが話題になっていて読んだ。三田紀房のアシスタント待遇は業界水準からしたら信じられないレベルで高いのだけれど、それでも労働基準法に照らし合わせれば残業代未払いなどがあるじゃないのかと。それを請求していますという記事だ。

 

それだけなら限定された話題ではあるのだけど、カクイシシュンスケ氏がもうひとつ訴えているのは、業界のアシスタントに対する給与水準の低さだ。

 

漫画アシスタントというのはとにかく待遇が悪い。プロ漫画家の手伝いとか漫画家修行の一環くらいにとらえられていて、ひとつの独立した職業とはなかなか認められていない。だから労働環境も決して褒められたものではない。

 

それもこれも出版社が漫画家に対する報酬が低い事に起因するのは、カクイシシュンスケ氏の指摘する通りで、昨今は漫画家やイラストレイターが報酬の低さをSNSなどを中心に話題にしがちだ。しかし出版社に適正な報酬を求める漫画家側が、アシスタントには同じ事をしているとしたらなんとも業の深い話ではないか。

 

僕がこの話を読んだ時に真っ先に思い出したのは、どういうわけか佐藤秀峰のことだった。『海猿』『ブラックジャック』などで知られる佐藤秀峰だが、やり手漫画家という部分で、三田紀房と同じカテゴリーに入れてしまう。一方的な印象ではあるが。佐藤秀峰の漫画も、三田紀房の漫画も、あまりちゃんと読んでないというか、読む気がしないというところも個人的に印象が被ってしまうのかも。

 

佐藤秀峰は、漫画家の待遇改善と訴える急先鋒であるとともに、アシスタントの待遇改善も積極的に行ってきたと喧伝してるのも、やはり似た処がある。

 

とか思っていたら、さっそく佐藤秀峰もこの件に関してブログで言及しているし、自分の処のアシスタントの待遇と比較して、わりあいフェアな態度で感想を述べている。というか、いささかカクイシシュンスケ氏に同情的なくらいだ。やっぱり彼にとっても気になる記事だったんだなあと思った。

この記事の中でもチラリと触れているが、佐藤秀峰福本伸行の下でおくったアシスタント体験は壮絶だ。そのへんは佐藤秀峰まんが道ともいえる『漫画貧乏』を読むと詳しく書かれている。漫画家が儲からないからくりについても書いている。Kindle版だと、なんと0円!という太っ腹な本なので、ぜひ読んで欲しい。ぜんぜん好きじゃなかった佐藤秀峰がちょっと好きになった瞬間。海千山千の企業の手にかかれば、新人漫画家なんて簡単に言いくるめられてしまうんだねという実態がすごくわかる。

 

漫画貧乏

漫画貧乏

 

ブラックジャックによろしく』は最初の方の巻で投げ出した僕でも、『漫画貧乏』は面白おかしく全部読めた。漫画家漫画に外れなし、ともいえる。プロ漫画家が生活していく大変さが具体的な事例で示されていてわかりやすい。ちょっとした漫画好き程度の人がこれを読んだら、プロ漫画家なんか目指したいとは思わなくなってしまうだろう。漫画が好きで好きで漫画さえ描ければハッピーとか思える人にしか無理だ。アシスタントなんかそれ以下の生活なわけで、どちらの大変さも知っている自分だからこそと、佐藤秀峰が今回の件にコメントする気持ちもよくわかる。

 

佐藤秀峰はこの漫画家人生を元にした『STAND BY ME 描クえもん』を自主連載中だが、そちらも1巻の内容は読んだ。それを読むにあたっても『漫画貧乏』を読んでおけば話がわかりやすい。というか、まんまかよと思う。

Stand by me 描クえもん 1巻

Stand by me 描クえもん 1巻

 

 

現在の出版社と漫画家の関係は、対等とは言い切れない。漫画家のほとんどが個人事業主で、出版社のような大手企業と契約を取り交わしたりするのに慣れていないので、仕事の価値をかなり安く見積もられている。これは手塚治虫以来の悪習だろうけれど、手塚治虫が原稿料などにとくに頓着せず、多作の人だったことも関係して、それが基本ベースになっている部分もある。

 

戦後まんが業界で手塚治虫が重宝された背景には、手塚治虫が出版社にとって「自由に搾取を許してくれる金の卵を生むガチョウ」だったという事も無視できない。手塚治虫は漫画を描いてりゃ幸せみたいな天才だったから、一枚の原稿にいくら費やしていくら貰うなんてことに拘泥した形跡があまりみられない。出版社としてこれほど美味しい存在は無いだろう。まさに神様だ。アニメについてもそんな調子だった。

 

そんなわけで手塚治虫に憧れて漫画家を目指した他の若者たちも、同じような待遇に甘んじる他になかった。その構造から脱却できたのは、さいとう・たかをなどを含めてもほんの少しだ。要するに戦後まんが界というのは、「商売をわかってない子供を騙して働かせて儲ける」という側面があった。

 

例えば漫画原稿料だが、一枚あたり一万円以下ということもザラらしい。であれば、まっとうな個人事業であれば、「原稿料が一万円であるなら、一人で毎日原稿を一枚描けば日給一万円ということになるのか。アシスタントを8時間雇った場合は、一日に2枚はあげるか、原稿料を倍にしてもらわないと赤字だぞ」などという計算をしてしまう。一枚あたり2万円の費用をかけて制作したものを1万円で納品せよと言われて、何の見返りも勝算もなく「はいそうですか」というバカは普通はいない。

 

しかし実際はどんぶり勘定になっていて、原稿料の交渉もないままに、出版社の言うままに週刊連載が始まってしまったりする。そこで一人ではとても描ききれないとならばアシスタントを雇わざるを得ず、しかも振り込まれた原稿料が想定外に低かったりしても今更文句も言えない。ここにめでたくブラック労働環境が完成する。

 

「うちの原稿料が8千円だから、一枚に8千円以上かけちゃダメだよ」なんて親切に忠告してくれる大人なんかどこにもいない。個人事業主なんだから自分で判断するしかない。始めてしまったもんは仕方がないから、こうなったら単行本の印税でなんとかしようみたいなギャンブル性を帯びてくる。出版社も「そんなもんだよ。みんなそうしてる」とか言う。しかも単行本というのは出版されるかされないかは出版社次第というから恐ろしい。連載時に「必ず単行本を出す」みたいな契約を結んでいないせいらしい。

 

雑誌では人気があって長期漫画なのに、単行本がぜんぜん出なかった漫画作品というのも存在する。僕の好きな『解体屋ゲン』とか。だから近年になって著者側がKindleなどで出版するに至っている。電子書籍の時代でまだマシだったと言わざるをえない。それでもひどいけど。

解体屋ゲン 1巻

解体屋ゲン 1巻

 

佐藤秀峰はそうした反省から、粘り強く原稿料アップの交渉を経て、作画スタッフにかなりの待遇を保証していたそうだ。業界としては破格なんではないかというレベルで。それはそれで偉いとは思うが(控えめにいっても、待遇を保証できていない他の作家の一万倍くらいは偉いだろう)、少しひっかかる点があって、「印税はあくまで作家のものだから、経営参加していないアシスタントが貰う資格はない」という立場を貫いているところ。

 

穿った見方をすると、交渉して原稿料を上げる事が出来たからアシスタントの待遇をアップする事が出来たけれど、もし原稿料が上がらなければアシスタントの待遇は低いままにしなければならなかったのかと受け取ってしまう。

 

アシスタントは印税を受け取る資格は無い。それはそうだろう。法的に言ってもそうだ。しかし同時に、法律を盾に取るならば、労働環境を守らなくてはならないということにもなってしまう。労働基準を守れない理由が「原稿料が安いから」というのは通らない。単純な経営者判断ミスだ。印税からでも、借金をしてでも、定めた待遇を実現する義務がある。実際にアシスタント代で借金が残ってしまう作家も多いみたいだが、それとて「双方納得する形で支払った結果」かどうかはわからない。そもそもの最初の取り決めが安い可能性はものすごくある。それで借金が残りましたというオチはあまりにも悲しい。

 

例えば、「原稿料が安いから」という理由で、原稿用紙の代金を半分しか払わないとかあるだろうか。もしくは家賃や光熱費を値切ったり。もちろん家賃が払えなくなることも実際にはあるだろうけれど、それはそのまま債務となっていく。しかし人件費に関しては簡単に値切られてしまう。漫画家だけに限らず、他の業界も同じなんだけど。経営者は、「利益が少ないから」と簡単に労働者の賃金を買い叩く。法律の定める基準以下にする。罰則がないからズルズルと。どうしようもないなと思う。

 

仮にの話だが、もし売上に応じてアシスタントの給金が上がったり下がったりするのならば(実際に手塚プロではボーナスが大幅に減ったという証言あり)、ほとんど経営に参加してるのと変わらんような気もする。だったらインセンティブやストックオプション的なものあげても別にバチはあたらないんじゃないかと思う。現行法的には義務がないにしろ。必ずしもやらなあかんとも言わないが。そういう未来があっても良い。

 

佐藤秀峰が満足な待遇を実現するまでアシスタントをどういう扱いをしていたかは実際には知らないが、印税からは払いたくなかった気持ちはビシビシと伝わってくるし、それが原稿料アップ交渉の原動力になったのなら偉いのかもしれないし、原稿料という継続可能なところから人件費に充てるというのも経営者判断として間違っていないと思うが、それでも「経営者目線」になってるなあと感じる。そらまぁ仕方がないんだけど。経営者だし。原稿描いてなかったときの「持ち出し」は当然あったろうし。

 

現在の佐藤秀峰は執筆ペースを自分でコントロールすることによって、作画スタッフことアシスタントを減らしていって、自分一人で描ける体制を構築しつつあるらしい。経営者と労働者という関係をそもそも作らないというのは一つの解答ではあると思う。それが出来れば揉め事は起きない。出来ないケースがほとんどだからドロドロしてるのだけど。ちなみに、佐藤秀峰のところから独り立ちした作家は多いらしい。でもほとんどがホワイトな労働環境は作り出せないでいるらしい。なんてこった。

 

カクイシシュンスケ氏の訴えるような「ゆがみ」が生じる背景には、出版社と作家の間の関係は雇用関係のない「商取引」なのに、作家とアシスタントは「雇用関係」であるというややこしい点にある。これを理解していない人たちが、出版社と作家の関係性を作家とアシスタントの間にも持ち込んで、「作家修行なんだから我慢しろ」とか「しょせん独り立ち出来ない身分で一人前の給料を貰おうとするな」「漫画家とはそういうもの」とかいう心無い罵声を浴びせたり、そういう感覚で人を雇ってしまう側になってしまったりするのだろう。

 

ドライな言い方をしてしまえば、作家にとってアシスタントという存在は、原稿用紙とかインクとかスクリーントーンとか光熱費とか家賃といったのと同じような必要資材だ。高級な紙を使いたいのであれば、高級な紙の代金を支払わねばならないのと同じことで、納得のいく技術をもった人間には、それなりの対価を支払わなければならない。でも、なかなかそうならないわけで。

 

繰り返すが、これは漫画家業界に限った事ではない。そのへんの工場なんかでも、技術をもった労働者が買い叩かれている現実がある。コンビニ店員なんかにしたって、本来は誰でも務まる仕事ではないかもしれないのに、誰でも務まるみたいな意見に押し流されて安い給料のままだったり。漫画家アシスタントもそういう事だ。いつ潰れるか知らないコンビニで店員をするのも、いつ解散するかわからない漫画家アシスタントを仕事にするのも、それ自体は個人の勝手だ。でも、どうせ腰掛け程度の仕事でしょと言われて、労働力を買い叩かれる筋合いは無いんじゃないかと。

 

「そんな待遇で人を雇っていたら漫画家なんて成り立たない!」「そんな待遇で店員を雇っていたらコンビニなんて成り立たない!」…どこが違うというのだろうか。成り立たない商売ならやめとけよというのが経済の大原則というものじゃないのか。

 

佐藤秀峰が時折「こんな業界滅んだら良いんだろな」と漏らすのもそういうことだと思う。なんかカクイシシュンスケ氏のアシスタント待遇改善の話だったはずなのに、いつしか佐藤秀峰の話みたいになってしまった。

 

ちなみに、その後、カクイシシュンスケ氏は、三田紀房氏から、満額の残業代を貰ったそうだ。彼に「生意気だ」「漫画家を舐めている」などと罵声を浴びせていた人たちはどう思っただろうか。中には現役の漫画家も混じっていたようだが。反対に三田紀房氏は有言実行を貫いた形だ。

 

日本社会において、立場の弱い人間が声を上げるのは本当に大変なものなのだ。それに真摯に耳を傾けるのも勇気の要ることだと思う。だってゴリ押しすれば通ってしまうもの。

『殺人犯はそこにいる』勝手にドラマ化事件は著作権だけの問題じゃない!!!

年末にこのような記事を書いた。清水記者の『殺人犯はそこにいる』を流用したドラマがAmazonプライムビデオで配信されている事件についてのことだ。その後にいろいろの新聞やネットニュースでも話題になっていたのでもう随分の人が知ることになったかと思う。

 

現在、Amazonプライムビデオは公式にはだんまりを決め込んでおり、1月5日には件のドラマも最新話が何事もなく配信されたようだ。つまり現時点では著作権やなにがしの権利を侵害しているとは思ってなくて、仮に裁判などになったとて問題がないと踏んでいるのだろう。

 

ただ制作サイドからはいくつかアクションがあり、なかでも企画者でプロデューサーでありこのドラマの最高責任者でもある四宮隆史氏が、著者の清水記者にTwitter上で12月31日に公に直接のコンタクトをとった事が話題になっている。そしてその内容が物議を醸してもいた。以下にそのすべてを引用してみようと思う。

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 「はじめまして」だ。つまり『チェイス第1章』に関して清水記者が何の関与もしてないどころか、ドラマの企画制作の責任者である四宮氏と連絡を交わした事すら無いことが証明されている。「私個人の想い」と前置きしてあるが、「企画の責任者である私個人の想い」であるから、ドラマ制作の主旨と解釈するしかない。Twitter上では清水記者からの返信は無いが四宮氏の主張は延々と続く。

 

 

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そこまで尊敬・敬服・賞賛あるいは称賛している人物の著書を下敷きにドラマを作ろうという時に、相談どころか挨拶すらしないなどというぞんざいな態度をとることがあるだろうか。しかも問題にされて初めてTwitterで声かけるとか。四宮氏の褒め殺しにしか見えないがどうだろうか。これが世渡り力というやつなら呆れてものが言えない。

 

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出版当初にネタ元を読んでいるのを、番組企画者兼プロデューサーが認めている。つまり『殺人犯はそこにいる』の単行本が出た2013年に読んだという事だろうか。じゃあ何で2017年のタイミングでドラマ化を目論んだのかということだが、2016年に文庫化された同書が2017年にかけて、文庫Xキャンペーンなどもあって30万部を超えるベストセラーになっているのと無関係とはとても思えない。タイミング的には完全に合致する。

 

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我々法律家というのは、四宮氏自身が弁護士でもあるという意味だ。ネタ元である著者に無断でドラマ化しておいて、騒がれてから「はじめまして」なんて事をいってしまう問題について、法律家ならば気がつかないわけがない。「法的には問題ない」「裁判されても勝ちうる」という認識だったからだろう。法律知識の悪用という他にない。「危機感と自省の念」をもった法律家のやることだろうか。

 

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「このドラマはフィクションであり、実在の事件とは関係ありません」などとというテロップひとつで、実在の事件をほぼなぞったストーリーのドラマであることを隠蔽しまくっている側の代表がいう言葉とは思えない。ドラマ本編やその他の宣材のなかに、足利事件の「あ」の字も出ない。参考までにドラマ出演者による爆笑インタビュー(悪気は無いのかもしれないがすごい見出しだ)のリンクも貼っておく。

 

これを読んでも実在の事件を扱っていると匂わせる部分はほとんどない。

主演の大谷氏が「実際にこういう事件も歴史の中で起きてますよね」と発言しているところが、辛うじてそれっぽい部分ではあるが「歴史の中で」ではなく「今起きている」が正解だ。主演者すらその事実を知らないのか、口止めされているのかは知らないが、いずれにせよ納得のいかないプロモーションではないか。

 

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何度も言うが、それならなぜ足利事件に対する言及もなく、『殺人犯はそこにいる』や、その他の足利事件を扱った書籍(小林篤氏の『足利事件』や、冤罪にかけられた菅家さん自身の著書など色々ある)は一切紹介しなかったのか。また、そういった関係者に相談するといったことも無かったのか。権利を主張されたり、内容に口出しをされるのが面倒だったからだと推測してしまう。

 

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清水記者に対して「お前の本だけじゃない」と言ってるとしか思えない。法的にグレーを突いているとよほどの自信があるのだろう。言っているような崇高な目的があるのなら、先に上げたような軽薄なプロモーションになるわけがない。

 

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現状のやり方は、事件にかかわったジャーナリストや、事件の被害者たちの誰の想いにも応えてないし、そういう自負があるなら誰かに挨拶や相談くらいはしているはずだ。今回の事件に関しては、エンタテインメントの世界で飯を食っている人間の嫌な部分しか見えてこない。法的にどうなるかは知らないが「話題になればよかろう」という下心しか伝わってこない。

 

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12月31日にわざわざこの発言をしておいて1月5日に新エピソードの配信開始。何を重く受け取って、どう反省したのか。これを理解できる人はいないと思う。

 

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これがディレクター業のかたわらで法律を学び、弁護士資格を取得するに至ったやり手プロデューサーの仕事の進め方というやつなのか。

 

ついでなので以下に四宮隆史氏の著作のAmazonリンクも貼っておこうと思う。知的財産法にずいぶんと詳しいそうだ。エンタテインメント業界で、法律知識と資格を大いに役立てているらしい。今回の案件もその一貫か。知的財産を守ろうという姿勢は全く伝わらない。法律を徹底的に利用する側なのだろう。

小説で読む知的財産法―最新知財ビジネスの法実務

小説で読む知的財産法―最新知財ビジネスの法実務

 

 

ドラマの企画・制作を行ったジョーカーフィルムズが、1月1日に出した声明文も見てみよう。

このドラマは複数の文献や判決文等に記載された、客観的に明らかとなった周知の事実を踏まえて「架空の物語」を創作したものであり、特定の書籍に依拠したものではありません。
また、特定個人の創作的表現を用いることも行なっておりません。あくまでフィクションの作品として描いております。

上に引用した声明文を読めば明白であるが「ノンフィクションは事実の記録なんだから、客観的に資料の一部であって、そこに著作権なんか無いだろ」と真っ向から対決する姿勢である。知的財産権に詳しい四宮隆史氏が自信をもって臨んでいるのだから、かなり勝算があるのに違いないが、法的にどうあれモラルを欠いた行為であることは変わらない。

 

今回のドラマ事件は、単純に著作権の問題では済まない。何度も書くが、実在の事件とほとんど同じ形にもかかわらずフィクションと言いきり、関係者への一切の配慮もなくドラマ化してしまったのは大いに問題だ。しかも遺族や被害者(冤罪被害者の菅家さん含む)の多くが存命であり、真犯人も捕まっていない現在進行系の事件である。

 

エンタテインメントにはエンタテインメントの責任というものがあるのではないか。「フィクションです」というテロップ一本で責任を果たせるような簡単な事ではないはずだ。

 

まさか今回の騒動も含めて「足利事件」を世に知らしめるための活動というわけでもあるまい。そんな炎上商法の言い訳を許してはいけない。

 

脚本家の福田靖氏は劇場版『海猿』や人気になったNHK大河ドラマ龍馬伝』の脚本家だ。四宮隆史氏の会社に所属しマネージメントを受けている。パクりを知らずにこれだけ似せるのは難しい。そもそも「複数の文献」「明らかとなった周知の事実を踏まえて」などと公式に発表もあったわけだし、それが『殺人犯はそこにいる』に何割依存しているかなんて明言はしていない。客観的にドラマを観るかぎり、かなりの部分を利用しているように思えるのだが。

 

「資料として」使われた「客観的にあきらかになった事実」と片付けられた中には、決して軽々しくエンタテインメントとして使ってほしくなかったモノも、たくさん含まれていたはずだ。彼らはそれすら確認しようとはしなかったということだ。

 

責任者の四宮隆史氏をはじめ脚本家の福田靖氏、そして主演俳優などなど、ドラマの関係者たちは、注目さえ集まればなんでも良いと思っているのだろうか。その時は知らなかったという人もいるかもしれないが、これだけ批判を受け散るわけだし、今更シラをきり続けるなら同罪と言われても仕方がないと思う。知ろうとしないことは罪だ。

 

足利事件(冤罪を証明した一冊のこの本) (講談社文庫)

足利事件(冤罪を証明した一冊のこの本) (講談社文庫)

 
殺人犯はそこにいる (新潮文庫 し 53-2)

殺人犯はそこにいる (新潮文庫 し 53-2)

 
冤罪 ある日、私は犯人にされた

冤罪 ある日、私は犯人にされた

 

これらを読んで、軽々しくエンタテインメントにして良いと思ったとすれば、相当に軽薄ではないだろうか。

Amazon「オリジナル」ドラマが『殺人犯はそこにいる』を無断で利用した件について

Amazonプライム会員なのは前に書いたが、Amazonプライムビデオで配信が始まった「Amazonオリジナルドラマ」 の『チェイス 第1章』というやつ。全く気にもとめて無かったんだけど、清水記者の『殺人犯はそこにいる』に内容がそっくりだという事で僕の方にも教えてくれる人がいた。そしたら本の版元の新潮社から以下のような声明が出されていた。

www.shinchosha.co.jp

Amazonプライム・ビデオにて、2017年12月22日より「チェイス」なるドラマが配信されています。そのドラマに関して多くの皆様から、弊社より刊行している清水潔氏の著作『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』が原作なのではないか、との問い合わせを頂いておりますが、弊社および清水氏はドラマ「チェイス」の制作について何ら関知いたしておりません。
なお『殺人犯はそこにいる』の映像化につきましては、書籍発売後から数多くのお話を頂戴しておりますが、事件の被害者であるご遺族の感情に配慮し、弊社および清水氏は慎重を期して検討を進めております。

大事なことは、著者である清水記者および新潮社は、Amazonのドラマについては完全にノータッチだということ。そして実在の事件であるので、ドラマ化などの話には慎重に対応しているということだ。映像化の許可をほいほい出したことはないと。

 

僕も気になったので件のドラマを、配信されているぶんまですべて見てみた。

 

ドラマの筋書きはこんな感じだ。衛星放送チャンネルのディレクターの本田翼が、27年前の連続幼女殺人事件に、近隣で同じ手口の未解決な失踪事件がいくつかあることに気がつく。それで大谷亮平演じるフリーのジャーナリストに協力を仰いで、事件の真相にせまっていく。立件された事件では、幼稚園バスの運転手が容疑者として逮捕されていて、主人公たちが調査したところ警察の捜査は実に杜撰で、DNA鑑定以外の根拠が薄弱であることがわかってくる。連続幼女殺人事件を同一の犯人による犯行とするならば、彼の冤罪をはらす必要性がある。そのためにはDNA鑑定の絶対性を覆さなければならないが……。

 

実際の足利事件の概要をご存知の方はすぐにわかるが、幼稚園バスの運転手は完全に菅家さんだ。ロリコンビデオを収集していると警察に言われて、実際に清水記者が調べにいったところ、いわゆる巨乳ビデオとかばかりでどこにもロリコンビデオなど無かったというエピソードが『殺人犯はそこにいる』の中であったが、ドラマでも全く同じくだりがある。大谷亮平が演じているフリージャーナリストは清水記者がモデルになっている。設定とか風貌はまったく似てないがポジションとしては完全に同じである。

 

しかしあくまでもこのドラマは清水潔著『殺人犯はそこにいる/隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』とは無関係のものだそうだ。警察によって犯人に仕立て上がれらた菅家さんは、その後DNA検査の不確実性が証明されたことによって釈放されたが、真犯人と目される通称「ルパン」はまだ逮捕されていない。そのようなデリケートな題材を、エンターテイメント志向のドラマの原案として提供するだろうか。なかなか考えにくい事だ。

 

ドラマの企画者は、実在の事件なのを良いことに、『殺人犯はそこにいる』などを参考にしつつフィクションドラマとしてでっち上げてしまったのだろう。もし『殺人犯はそこにいる』がノンフィクションではなく、創作ストーリーの小説だったら完全にアウトな案件である。それくらい展開が同じだ。

 

映画とか漫画とか小説が、実在の出来事を題材にとることはままある。こそっと題材にとるだけならともかく、「あの事件がモデルですよ!」と、あえて観客や読者にわからすような仕掛けにすらなっている場合も多い。その方がある種の煽りが利いた作品になるわけだ。題材元がセンセーショナルであればあるほど良いということになる。

 

たとえば横溝正史の『八つ墓村』なんてのはまさに日本におけるそういう作品でもっとも有名なものだろう。実際の津山三十人殺し事件を元に、探偵小説・冒険小説として書いたのが『八つ墓村』だったりする。『ダーティー・ハリー』だって、実際のソディアック事件が元になったアクション映画だ。『悪魔のいけにえ』はエド・ゲイン事件から着想を得て作った扇情的なホラー映画だ。

 

こういった作品は、元ネタの事件の関係者からすれば、とてつもなく不謹慎なものだと思う。なんせ事件を面白おかしいようにエンターテイメントにしてしまっているし、ましてやホラー映画にしたなんてのは軽薄きわまりない。中にはゾンビとか怪物とか宇宙人まで登場するようなものがある。僕らはそれらを面白半分で見たり読んだりするが、業の深いことであると時々は考える必要がある。

 

ただ、今回の『チェイス第1章』問題については、まるまるノンフィクションの『殺人犯はそこにいる』とストーリー進行(あえてそう表現する)と同じになっているのがタチの悪さとしては数段上だと感じる。成り立ちからいえば完全フィクションなのに、一見するとノンフィクションの映像化作品に見えるように作られているわけだ。これだったら、まだ銃撃戦が展開されたりゾンビとか出てきたりして荒唐無稽になっていた方が、かえって良心的なのかもしれないとさえ思った。

 

このドラマがこれからどうなっていくのか知らないけれど、法的にはアウトなのかセーフなのかもよくわからないけれど、製作者たちのモラルの無さはちょっと凄いなと思った。ものすごく好意的にみれば「警察の捜査の杜撰さ」「発表報道と調査報道の違い」「科学捜査神話の嘘」などなど、清水記者が訴えてきた要素をドラマに盛り込んだ野心作だと思える部分もあるにはあるけれど、そんな良心のわかる製作者だったらちゃんと許可とってやるわなと思った。

 

そういえば少し前に、酒鬼薔薇聖斗事件の犯人が自伝を出してお金を儲けていたが、法律に触れないとしても、ああいうのとあんまり変わらない気がする。(ちなみにアメリカのニューヨーク州ではサムの息子法といって、犯罪者が犯罪本などを書いて利益を得た場合は没収されるという法律がある)

 

いちおう『殺人犯はそこにいる』は、漫画版というのは発表されている。(もちろん公式で!)

VS.―北関東連続幼女誘拐・殺人事件の真実 (ヤングジャンプ愛蔵版)

VS.―北関東連続幼女誘拐・殺人事件の真実 (ヤングジャンプ愛蔵版)

 

 

問題のドラマはこちらのやつだ。繰り返すが清水記者はノータッチ。 

amazon-chase.jp

 

ちょっとでも興味を持ったら読んで欲しい。ドラマよりもよほど為になる。

殺人犯はそこにいる (新潮文庫 し 53-2)

殺人犯はそこにいる (新潮文庫 し 53-2)

 
桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

 

 

八つ墓村』なんかも、べらぼうに面白い小説だけど、関係者が読んだらたまらん部分もあるんやろなとちょっと考えてしまった。それにしても津山三十人殺しとか、あまりにも多くの物語の題材になりすぎて収拾がつかない。こちらも麻痺してしまうくらいだ。映画版なんてのは不謹慎の極みだった。名作ではあるけれど。

八つ墓村 (角川文庫)

八つ墓村 (角川文庫)

 

Kindle Fire HD10が凄くなって発売された!ついに10インチタブレットが15000円を切った!

ちょっと前にKindle Fire HD8の超コスパっぷりを紹介したが、ついにHD10も超コスパモデルになって発売(2017年10月11日)された。Amazonプライムの会員なら(というよりプライム会員にならないならばKindle端末は買うべきではないまで言えるかも)4000円引きで14980円!10インチのタブレットが14980円で買えてしまうのだ!ありえない!

 

しかも値段が物凄く下がっただけではなく性能ももちろんアップグレードされていて、前モデルの10インチのくせに8インチと同じ1280*800というしょうもない解像度(むしろ大きいぶん荒く見える)から、新モデルは1920*1200という堂々のフルHD画質に一気に引き上がった。ここが一番大事。TVモニターのハイビジョン画質(1980*1080)の再現には、これくらいの解像度がもともと必要であったのだ。値段が下がったというだけだったら、たぶんあまりオススメはしなかったと思う。

Fire HD 10 タブレット (Newモデル) 32GB、ブラック

Fire HD 10 タブレット (Newモデル) 32GB、ブラック

 

相変わらずKindle Fire HD8の7980円というぶっちぎりのコスパには震えるしかないが、今回のモデルチェンジによって、画面の大きさと画質にこだわるならばHD10という選択肢もぜんぜんアリになった。処理速度も早いようだし。

 

以前のモデルは、ただ2インチでかくなっただけで3倍くらいの値段という意味不明なポジションだったが、新型は値段ぶんの性能の見返りがありそうなので意味がある。いつかは増強されるべきモデルだと思っていたが、さっそくテコ入れをしてきたようだ。僕もHD8で満足しているが、HD10を買い足しても良いとさえ思っている。電子書籍のマンガなんかも、見開きでより精細な画面で読めるはずだ。Amazon恐るべし。

 

何度もいうがKindle端末は最低限の容量のモデルで十分である。なぜならばSDカードスロットが付いているからである。もし使っていて足りなくなればSDカードを挿せば間に合う。しかしAmazonプライムビデオを観るとかKindle本を読むとかだと正直あんまり必要がない。外に持ち出して云々という人なら要るかもしれない。僕は外に持ち出す用にはiPad mini4やiPhoneがあるので、Kindle端末は完全に家用として使っている。

 

Kindle端末にはなぜか申し訳程度にカメラが付いているが、画像も悪いので使った事はない。普通はスマホなどで撮影すると思う。どうしても何かを撮影したい人向けなのだろう。バーコードとか。

 

ちなみに、あらゆる面でアップグレードされたかに見えるHD10だが、カメラに関しては性能が下がっているようだ。ほとんど使われない部分であるから、他の部分を増強して値段を大幅に下げるためにカメラを犠牲にしたのは方針としてブレていなくて好印象すらある。というか、犠牲になっている部分がそんなところしかないのが逆にすごい。コスパとしては4倍くらいになっているのに。

 

詳しい性能比較はここにあるので興味のある人はどうぞ。

azshop-life.net

 

Kindle端末のカバーだけど、5000円とかする純正品を買うと、せっかくの高コスパ感が台無しになってしまうので、サードパーティー製のこういう安いものを求めると良いと思う。三つ折りにできてスタンドになるタイプが最高だ。僕はiPadでも、HD8でも、この手のカバーのものを使っている。画面保護フィルムは使っていない。家庭での使用ならば画面保護フィルムは全く必要が無いと言える。外でも…あまり必要は無いようにも思えるが、心配な人は安いのを探してみて欲しい。

 

 

butao.hatenadiary.com

10インチモデルという選択肢が生まれたものの、Kindle Fire HD8のコスパ牙城は揺るがず。

 

butao.hatenadiary.com

アマゾンプライムに悩んでいる人はこれで検証!プライムに入ってないとKindle端末はその性能を上手く引き出せない!Android端末として使おうとする場合は癖のある機種だ!

 

さあ、どちらかを選びなさい。 

Fire HD 8 タブレット (Newモデル) 16GB、ブラック

Fire HD 8 タブレット (Newモデル) 16GB、ブラック

 
Fire HD 10 タブレット (Newモデル) 32GB、ブラック

Fire HD 10 タブレット (Newモデル) 32GB、ブラック

 

マクドナルド総選挙のトリプルチーズバーガーはたいしたことがない(断言)

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マクドナルド総選挙とかいうのでダブルチーズバーガーが一位になって、その記念ということでダブルチーズバーガーがトリプルチーズバーガーとして販売されていたので2個ほど食べた。感想としては「美味いことは美味いけれど想定内」というものだ。評価できるところとしては、本来はチーズバーガー2個の値段である260円を上回る320円もするタブルチーズバーガーがトリプルになることによって、チーズバーガー3個ぶんの390円よりも、コスパの面で納得のいくサービスとして成立したこと。

 

僕は普段の320円のダブルチーズバーガーを買うくらいなら、チーズバーガーを2個を260円で買っていたし(パンの枚数だけではなくピクルスの枚数的にもお得だ)、トリプルチーズバーガーの販売が終了してもチーズバーガー3個を買って合体させて食べようなどとは絶対に思わない。いちおう自分の生活圏内でもっとも良い味のチーズバーガーを提供する店舗で試食してみての感想である。

 

トリプルチーズバーガーのポテンシャルというのは、チーズバーガーを3個買うよりお得。それ以上でもそれ以下でもなかった。ダブルチーズバーガーはチーズバーガー2個とはまた違った微妙な味わいがあるんだという主張は否定しない。しかしその微妙さのために60円の上乗せはキツい。そして僕は「チーズバーガー2個を合体させた方のダブルチーズバーガー」の味の方が好きかもしれないし。

 

そもそもダブルチーズバーガーは値段設定的に大いなる矛盾を抱えたバーガーだった。だから今回の総選挙で一位になりましたと言われても、もともと値段的に矛盾を抱えたダブチーでお得感を演出したかっただけという「出来レース感」が拭えない。じっさい僕自身まんまとトリプルチーズバーガー2個を購入して、マクドナルドに640円も献上してしまっている。

 

このお金があれば、かのダブルクォーターパウンダー・チーズを買ってもお釣りがきたのだ。トリプルチーズバーガー2個と、ダブルクォーターパウンダー・チーズ1個、どちらが満足度が高いかなんてのは考えるまでもなくダブルクォーターパウンダー・チーズだ。

 

今回の総選挙のイベントが、まっとうに集計した結果を出していたと仮定しても、僕の推すダブルクォーターパウンダー・チーズが一位になるなんてことは絶対に無かっただろう。確信的推論でいうけれど、マクドナルドの利用客のうちで、ダブルクォーターパウンダー・チーズを注文してちゃんと食べた事がある人間なんて10%もおるまい。そんなバーガーが、人気投票で一位になるなんてことはあり得ない。

 

マクドナルドのレギュラーハンバーガーメニューで何がいちばんすき?」という質問にノータイムで「ダブルクォーターパウンダー・チーズ」と答える人間はほとんど見たことがない。「クォーターパウンダー!」と答える人間すら稀だ。だいたいは「チーズバーガー」とか「ビッグマック」とか「フィレオフィッシュ」などと答えるはずだ。せいぜい変わったところで「ベーコンエッグマフィン」とかだろう。

 

味の好みというのは人それぞれだし求めるものもそれぞれであるので、そのことについてはとくに責めようとは思わない。しかし「ビッグマックが好き!」とかいう人に対して「ビッグマックが、ダブルクォーターパウンダー・チーズに勝っている点はどこ?」と質問した場合に返ってくる答えとしては「そんなメニューあったっけ?」だったりするのがたまらない。

 

でもまあ、無知を責めるのもかわいそうだし、そもそもマクドナルドがダブルクォーターパウンダー・チーズをあまりアピールしてこなかったのも悪いのだろう。あと値段の高さもネックだ。マクドナルドで単品ハンバーガーに520円も出すというのはなかなかに狂気だ。そしてほとんどの人は、マクドナルドに520円もするレギュラーメニューバーガーがある事実を知らないだろう。

 

しかし同じ無知にしても、マクドナルドファンによる無知はまだ許せる。しかし「マクドナルドなんか食べる価値もないよ。多少高くてもモスバーガーで食べる方が良いよ」とかぬかす奴は許しがたいものがある。

 

「ふーん、それで、おたく、ダブルクォーターパウンダー・チーズを食べたことあるの?」なんて尋ねたら「なにそれ?」という返答があるのは火を見るより明らかだ。ダブルモスバーガーと同じ値段のハンバーガーが、マクドナルドのレギュラーメニューに存在するなんて思ってもみないのだろう。ろくろくマクドナルドで食事したこともないくせに、マクドナルドを頭ごなしに否定するような人類には、一生わからないことというのがある。

 

ここまできたらもうお解りだと思う。「もう少しお金出してモスバーガーに行く」くらいならば、「マクドナルドでもう少しお金を出してダブルクォーターパウンダー・チーズを注文する」のが真の正解なのだ。ダブルクォーターパウンダー・チーズの味やボリュームのそれはマクドナルドの概念を超えている。どっちかっていうと、バーガーキングのワッパーなんかに近いボリュームかと思う。

 

話は戻るが、チーズバーガーが130円なのに、ダブルチーズバーガーは320円もする。一方、クォーターパウンダーチーズというのは400円もする。これがダブルクォーターパウンダー・チーズだと、チーズバーガー一個分の値段よりも安い120円の上乗せ価格の520円だ。そう考えるとダブルクォーターパウンダー・チーズというのは、もともとかなりお得なメニューなんじゃないのかと思えるから不思議である。

 

トリプルチーズバーガーが320円で食べられるのは70円のお得感だったかもしれないけれど、仮にトリプルクォーターパウンダー・チーズを自作しようと思えば、最低でも920円ほどかかるのかもしれない(トリプルチーズバーガーは作ったことあったが、さすがにこれは自作したことがない)ので、ほぼ400円くらいお得感が出てしまう。

 

総選挙イベントでは、ダブルクォーターパウンダー・チーズが一位になった場合、520円でトリプルクォーターパウンダー・チーズの販売を公約していた。出来レースで一位にするのはちょっとばかりリスキーに思えるのは、単なる憶測にすぎないのだろうか。

 

まあ、とにかく。総選挙についてはもう語るまい。このイベントに第二回とかがあったとしても、投票の構造的にダブルクォーターパウンダー・チーズが一位になることも無いように思う。(こんな風に釘を刺すことによって日本マクドナルド社の意識に訴えかけれたら良いという下心も多少はある)

 

マクドナルドでたかがハンバーガーの一個に520円払うのは震えがくる体験かもしれないが、ダブルクォーターパウンダー・チーズのうまさを知らない人は勇気をふるって食べてみるべきだろう。マクドナルド好きを自負しているのならなおさらだ。

 

バーガーキングでダブルワッパーチーズに810円支払う恐怖に比べれば、なんてことも無い(のかもしれない…)

 

僕はダブルワッパーチーズも好きである。

 

butao.hatenadiary.com

『貞子vs伽倻子』にどうしたって200パーセントくらい期待してしまう理由

sadakovskayako.jp

『貞子vs伽倻子』とか冗談かと思っていたプロジェクトがいつのまにやらちゃんと形になってしまってて、公開日まで決定されていた。

 

日本を代表するホラースターというか、ホラーモンスターである貞子と伽椰子が共演して、しかも戦わせてみようなんて子供じみた発想だ。

 

昔でいったらゴジラvsガメラみたいなもの。

 

とはいえハリウッドで2回も映画化されたゴジラに対して、ガメラはそんなに海外では知られてないはず。ガメラは作品数もかなり少ないし、知名度の面ではかなり落ちると思われる。

 

それからしたら、貞子が出てくる『リング』もハリウッド・リメイクされているし、伽椰子が出てくる『呪怨』に至っては、ハリウッド版が3本も作られている!!え!?なんで!?なんでそんなに受けたの!?

 

ある意味で、ゴジラvsガメラなんてもんより、サダカヤはもっとすごい夢の対決といえる。今まで日本で創られた架空映画キャラクターの中でも、夢の対決度合いでいえば最高レベルの無茶苦茶さという言い方も出来るだろう。

 

まあ、いってみれば、アントニオ猪木モハメド・アリが戦うみたいなもんだし、ブルース・リージャッキー・チェンが戦うようなもんだ。まあ、ブルース・リーは『燃えよドラゴン』の中でジャッキー瞬殺したけど。そして、この中で、日本のものは、アントニオ猪木しかおらんけれど。

 

思えば、海外でも知られる規模のキャラクターが対決するなんて路線は、今までの日本映画にはありえ無かった。そもそも世界規模のキャラクターが少ない。『ピカチュウvsドラゴンボール』なんて映画があればよかったんだろうけど、不幸にして(?)そういうのが作られることは無かったし(今後は知らん)。

 

だいたい、ピカチュウだのドラゴンボールだのといったベイビイフェイスキャラクターが対決路線といったって、どうせヌルい共闘路線しか浮かばないわけで(古くは『マジンガーZvsデビルマン』やら『マジンガーZvsゲッターロボ』、新しくは『ルパン三世vs名探偵コナン』みたいな)観客が真に見たいのは「本気で戦ったらどっちが強いか」なのだ。そんな血で血を洗うような対決をするためには、ゴジラみたいな血も涙もない怪獣とか、今回みたいなホラーキャラクターが最適だ。

 

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そうなると日本のホラーの中でのワールドワイドなキャラっていうと、前述の通り貞子と伽椰子が2大巨頭なわけで、「ほんとうに戦える夢の対決」としてはこれがおそらく理論上最高峰のカードだ。それが本当にヤルっていうんだから注目せざるを得ない。

 

期待は高まる。否が応でも。しかし同時に巻き起こる不安と諦め。

 

なぜなら、映画ファンは覚えているからだ。過去に本当にあった夢の対決路線の苦い思い出を。

 

猪木vsモハメド・アリの塩試合を持ち出すまでもなく、ハリウッドではすでに『ジェイソンvsフレディ』『エイリアンvsプレデター』など数々のしょっぱい映画たちを世に問うてきた。そのたびに我々は「ま、所詮はこんなもんか…」と諦めの表情で劇場を後にしてきたわけだ。

 

夢の対決っていうのはカードを組まれた瞬間が最高潮。それで客呼べるんだから、本編は消化試合。いつしかこれが映画ファンの暗黙のルールになってしまっていた。

 

あのハリウッドでさえそれなのだ。ましてや日本映画では。だいいち貞子も伽倻子も、それぞれ単体の映画だってどんどん尻窄みであるのに…。だからこそマッチメイクではあるんだけど…。

 

ところが、「監督・脚本・白石晃士」という情報で、事態は完全に一変する。

 

あの『ノロイ』『オカルト』『バチアタリ暴力人間』『カルト』『シロメ』『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』『ある優しき殺人者の記録』の白石晃士監督である!この人の映画にハズレなし!と言わしめるあの白石監督である!

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白石監督が『貞子vs伽倻子』を作る!?あの白石晃士が!?

 

「もし…もしも……この出オチ感しかないプロジェクトを、真に面白いものにする可能性があるとしたら、現役の日本の監督の中では白石晃士監督しかいないんじゃないか??」というのが日本映画界を知ってる人間(とくに日本ホラー映画界)の共通認識だったはずだ。

 

実際、白石監督も、この映画の企画があるらしいという話に対してTwitterにおいて「俺にやらしてくれないかなー」とつぶやいてたくらいだ。それがどういう経緯かしらないけど、気がついたら現実のものになってしまっていた。

 

白石監督に依頼を持って行った人間が誰かしらんが、実に話の分かる男だと言えよう。

 

そうとなれば、ホラー映画ファンの反応もすごいもので「『貞子vs伽倻子』なんて完全ネタ映画だと思ってたけど白石監督なら見たいわ」という意見がネットのホラー映画ファンから続出。それどこか「白石監督なら面白いのわかってるから観る」とまで言わしめている状態。かつてここまで勝利を期待されてる監督が日本にいただろうか。三船敏郎がいたころの黒澤監督くらい?もしくは伊丹十三

 

七人の侍 [Blu-ray]

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僕も白石監督なら絶対に面白いはずだという意見には同意ではある。まわりの映画仲間だって同じ気持ちだ。というか、もはや、なんというか、「観る前から既に面白い映画」状態になっている。三ヶ月も先に公開される映画なのにスタンディングオベーション&白石コールが巻き起こってるくらいの感覚だ。

 

そうなってくると、他人事ながら、ちょっと持ち上げすぎじゃないかと怖くなってきた。

 

はっきりいって、人々の『貞子vs伽倻子』に対する期待感たるや、ワールドトレードセンタービルの綱渡りくらいの高さまで持ち上がってしまっている!

 

僕には見えてしまった!400メートルの天空に張り巡らされたワイヤーを、果敢に渡ろうとする白石監督の姿が!

 

『ザ・ウォーク』という恐怖映画を観たのがよくなかったか。

 

これで、ちょっとでもつまんなかったとしたら……白石監督は400メートル上空から真っ逆さまに落ちるほどの衝撃を受けるかもしれない。文句なく粉微塵になって亡くなれる高さだ。あれほど大好きだった白石監督が……。あの白石くんがバラバラの肉片に……。嫌すぎる!

 

『貞子vs伽倻子』という題材は、美味しいと同時に、監督としてのエクストリームな挑戦といえる。もちろん白石監督はそれくらいの覚悟と度胸で取り組んでいるのだろう。まさに『Xミッション』ともいうべきものだ。だから、イチ観客である僕がブルっててもしょうがないのだけど。

 

もっと監督を信じるんや!

 

そういえば、白石監督には、「怖いのがダメな人でも観れるホラー映画を作る人」という、良いのか悪いのかよくわからん評価があって、ホラー映画が苦手だったという人たちにもファンを増やしていたりするので、貞子とか伽倻子とかよく知らんけど、白石映画として大作感のある『貞子vs伽倻子』はぜひ観たい!という話もよく聞く。

 

だからちょっとでも『貞子vs伽倻子』の援護射撃になるために、最短距離で予習できるDVDを紹介しておく。いきなり『貞子vs伽倻子』を観るより、予習しておいた方が絶対に面白い。

 

リング (Blu-ray)

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ホラー小説『リング』の映画化としては最初の一作め。この前に単発ドラマ版の『リング』があって、通は「ドラマ版の方が原作に近いし怖いんだよねぇ〜」とかごちゃごちゃいうけど、この際そういう意見はぜんぶ無視しておいてよろしい。なにせ、ホラーモンスター貞子というキャラクターのビジュアルは、こっちの映画版で確立されたものだ。小説には描写されていない映画オリジナルの貞子の登場シーンはあまりにも衝撃的だった。当然『貞子vs伽倻子』に出てくる貞子は、この映画から始まった貞子である。『リング』の基本ストーリーもこれ一本ですべて網羅できる。続編とかいっぱい出たけど全部蛇足であるので、興味があれば勝手に観ればよろしい。原作小説はめっぽう面白いけれど、とりあえず映画を観る上では、とくべつ読む必要はない。たぶん。

 

 

 

伽倻子が出てくる『呪怨』のハリウッド版リメイク。『呪怨』はVHSのビデオ作品がオリジナルで、通は「最初のVHSのが1番怖い」とかごたごたいうけど、この際そういうのは全部無視で良い。ビデオの呪怨が2作品、劇場版が2作品、そしてハリウッド版が3作品あって、全部観るのは大変であるが、どうせどれを観ても「霊が出てきて人が死ぬ」だけの話であるので、予習なら一つで十分である。そうであれば、オリジナルのビデオの監督が自ら作ったハリウッド版リメイクが、内容的にもいちばんすっきりしていて観やすいと思う。典型的な日本の家にアメリカ人家族が引っ越してくるという絵的

な面白さもあるし。伽倻子の知識なんてのは、これ一本で全部わかるのだ。よほど余力があれば他のを観たりしたらよろしい。

 

 

カルト [DVD]

カルト [DVD]

 

 白石監督ファンなら絶対に見てると思われる『カルト』だが、この映画の中で重要な演出になっている不動明王真言が『貞子vs伽倻子』にも出てくるらしい。「のーまくさんまんだーばさらだんせんだんまーかろしゃーそわやかうんたらたーかんまん」ってやつだ。映画自体も『カルト』のノリに近くなるとのことなので、もし、もし、万が一にも『カルト』を未見だという人がいるなら観ておくべし。そして観たよって人もあとせめて5回くらいは観て、『貞子vs伽倻子』公開までに、不動明王真言は唱えれるようになっておこう。そして劇場で「のーまくさんまんだー…」って出てきたら一緒に唱えよう!(アメリカならともかく、日本の劇場だとつまみ出されること必至!)

 

 ちなみに、僕は、『貞子vs伽倻子』の予告編は観てない!どうせ面白いのがわかってるから観なくてもいいと思った。『スターウォーズ・フォースの覚醒』なんて、ポスターすら観ずに映画館に入った男だ。主人公すら知らなかったくらいだ。

 

……

 

最後に、重要な告知。

 

来る3月12日に、なんと、白石監督が、大阪にやってくる!

 

12月に初めての大阪イベントをして以来の来阪!あの時来た人も、来れなかった人もぜひ!

 

『フェイクドキュメンタリーの教科書』の出版記念サイン会&ミニ上映会&トークショーという白石監督尽くしの一夜になるはずだ。僕ことぶたおもトークショーに出演する予定なので『貞子vs伽倻子』の話題もたっぷり振るつもりにしている。質問コーナーなんかもあるのでぜひ参加してみよう。

moteradi.com

去年の12月の初大阪イベントでの模様はこちら。

 

さらに!4月には、白石監督が沖縄に行くぞ!こちらもまた告知する予定!

ブレンディのCM動画は観るな。そして続編の方はもっと観るな。

www.youtube.com

上記のブレンディのCFがものすごいってんで話題になってたので観てみたらぶっとんでた。なみのホラー映画よりも怖い。たった2分半によくこれだけ様々な背筋の寒くなる要素を凝縮したと思う。2分半とは思えない長さを感じた。普通のCFでは無いだろう。どこで公開されてるのか。僕はテレビは見ないからテレビで流れているのかどうかは知らない。

 

そんな僕がこれを知ったのは、てっちゃぎさんのブログがあってこそだ。というか、てっちゃぎがブログにしたためてわざわざlineで送ってきてくれた。ありがとうてっちゃぎ。

tettyagi.hatenablog.com

まず何のCFかさっぱりわからないところが怖い。子供たちがみんな鼻輪をつけているのが怖い。何の説明もなく。そして学校の卒業式みたいな場面が出てきて、一人づつ呼びだされている。しかしおかしい。卒業証書を渡されるとともに、なんか就職先みたいなものまで言い渡される。職業訓練校みたいなあれ?よくわからんけど世界観が……。

 

山田ファームに配属が決まった鼻輪をつけた男の子はそれなりの顔。

ロデオパークや、動物園に決まった子はめちゃめちゃ嬉しそう。

 

動物関係がそんなに好きなのか?

 

闘牛場に配属が決まったオラついたDQNはめちゃめちゃ暴れて取り押さえられる。

田中ビーフに配属が決まった子は泣き崩れて周りも「気の毒に」「かわいそう」みたいなざわつきがおきる。懐かしの『バトル・ロワイアル』を思い出す。(特に映画のほう)

 

そこに「進路は時に不平等な現実をつきつけてくる」と暗いナレーションが入る。

 

なんかわからんけどすごいディストピア感がある。やっぱりこいつら奴隷かなんかなんか。そして映しだされた卒業証書や後ろの横断幕を見ると卒業式じゃなかった。

 

「卒牛証書授与式」

 

卒牛!!

卒牛!!!

 

つまりこいつら奴隷どころか牛だったのだ。山田ファームだったらのんびり農業かなんかに従事できるということでとりあえず安泰。動物園やロデオで見世物にされるのは考えうる限り最高の進路らしい。

 

そしてもちろん闘牛場と田中ビーフは死刑宣告だ。

 

ものすごい勉強したり努力したりして、見世物として天寿をまっとうするポジションを目指す。出来の悪いやつも闘牛としての死の見せ場が用意される。箸にも棒にもかからないやつは、せめて食肉として有効活用される。やっぱりディストピア感がすごい。

 

人を牛になぞらえて社会を皮肉っているとか、牛を擬人化して映像にしたとか、いろいろの解釈が可能なんだろうけど、僕は全体からただようただならぬディストピア感を最大限に支持して、こいつらは遺伝子操作で極度なまでの人間化を施されたバイオ牛なんだと理解したい。まあ、いってみれば、遺伝子工学で創りだされた件(くだん)といえるだろう。件といえば、凶事を予言するといわれる、人と牛のあいの子の妖怪だ。

 

SF小説の大家である小松左京のホラー小説に「くだんのはは」という禍々しい作品がある。鼻輪をした高校生たちの見るものを不安に陥れる風貌は、まさに「くだん」から発する妖気だったに違いない。

くだんのはは (ハルキ文庫)

くだんのはは (ハルキ文庫)

 

家畜牛の管理と飼育の効率性と質の追求の行き着く先が、牛の人間化だったというSFホラーはありそうである。ディストピアSF小説は逃げ場なんかどこにもない感がものすごく怖い。『1984』とか。『動物農場』とか。『すばらしい新世界』とか。『家畜人ヤプー』とか。映画だったら『未来世紀ブラジル』だ。

 

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

 

動物農場―おとぎばなし (岩波文庫)

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すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

 

 牛たちは、人間のような知能と肉体を与えられて、自分が最高に輝くように努力をさせられる。自分の人生のために頑張っているように勘違いさせられているがぜんぶ人間の利益のための努力だ。ヒューマノイド牛たちが、見世物になっても、食肉になっても、どれもこれもニンマリとした顔で享受するのは人間たちだ。ヒロインにあたる女生徒の両親みたいな人も、鼻輪をつけているのが不気味である。牛の親が、牛の子供を、人間さまの最高の役にたつ牛になるように、願っている。牛の親はなんの役目を担っているのかはわからない。あ、種牛か。

 

卒牛証書とは、文字通り「牛を卒業した」証明書を渡す儀式だ。あるものは、屠殺という方法によって「牛を卒業」して「肉」になるのだろうけど、それ以外のものは「件(くだん)」としてやっていくことを認められるのだ。

 

ヒロインはめちゃめちゃ勉強し、死ぬ気で飯をつめ込んだり、運動したりして、極度に乳を肥大化することに成功する。そしてその結果勝ち取った役目は「濃い乳を出し続けなさい」だった。

 

卒牛証書をわたしながらニンマリする校長。

 

こ、こいつには鼻輪がない!

 

つまり校長は本来ならばこいつらヒューマノイド牛たちの敵!飼育管理施設の所長かなんかだったのだ!

 

遺伝子操作された牛(件)の乳はきわめて母乳に近いのだろう。そんな牛乳を供給する役目を仰せつかり感無量の女生徒。つうことはたぶん、人間に近い遺伝子構造を利用して、臓器バンクにされるヒューマノイド牛なんかもいるのだろうという連想にいきつく。そんな役目に決定されるよりは、母乳係の方がまだ幸せっちゃあ幸せか。しらん。

 

そしてそんなバイオな母乳がたっぷり入ったミルクコーヒーがブレンディ?

 

おいおいなんのコマーシャルやねん!そうだったこれはCFだったのだ!

 

うわぁ、こんな壮大なストーリー見せられたら、ブレンディ飲みたくなるわあ……ってなるかバカ!

 

これはどうも、ブレンディのCFの体を借りて、短編映画を撮影したということらしい。こういう短編映画のスポンサーがたまたまブレンディだったと考えればオーケーだ。だから少々無理があったもオーケーなのだ。

 

だからこれも

Blendy特濃ムービーシアター

とかではなく

 

AGF提供ブレンディ恐怖SF短編劇場

 

こう冠がついてりゃ納得できる。

 

飼いならされた高校生たち。鼻輪と奴隷感。女子高生は動物園で見世物か、搾乳=セクシャルな消費をされるのが最高のポジション。日本の社会をひどく皮肉っているように思う。たった2分半でここまでやれれば十分なんでは。

 

いうても僕は背筋が寒くなった。家畜が人になるか、人が家畜にされるのかは知らん。なんどもいうが、件(くだん)は凶事を予言すると言われている。

 

「この短編映画は、バイオ件たちの姿を描きつつ、日本の暗い未来を予言しているのだ!警戒を怠るな!」

 

というようにでも好意的な解釈をする方が、作った人(だれか知らん)も喜んでくれるのではと思うのだけど。まんがいちそうじゃなかったとしても、少なくとも精神衛生上は良いと思う。

 

ちなみにこれは2014年にキャンペーンで公開された作品らしい。もう特設サイトも閉鎖されている。なんでいまごろ話題になってるのかは知らない。そして当時は続編もあったようだ。続編もYouTubeにあがっているのだろうか…と思ってたらあった。しかしSFホラー色はまったく無くなっていた。

 

というか、つながりすらほとんどあってないような!?なんじゃこりゃ!?見なくていいよ!?

www.youtube.com

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宮崎駿の主張には理があるのか?

まさに我田引水なんだけど、釈然としないことなので温玉ブログでもこの事について触れたい。そもそも辺野古基地とジュゴンについての話は何度もこちらで取り上げていることでもあるし。

 

moteradi.com

 

Twitterだの見なければ良いのだけど、どうしたって目についてしまうことがある。なかでも宮崎駿は子供たちの未来よりジュゴンや自然を守れというのか?」なんて批判をうっかり読んでしまった日には頭がくらくらして倒れそうになる。

 

子供たちの未来のために、自然とか、ジュゴンとか残してやろうていうのがこの運動の主旨だし、子供たちの未来のためにろくでもない戦争に関わることは反対していこうというのは当たり前のことじゃなかったのか。

 

「子供たちの未来のために集団的自衛権と米軍基地をプレゼントしてやろう。」

 

かなり……狂ってるような気がするのは僕だけだろうか。

 

しかし日本では狂って無いのかもしれない。日本人的な感覚でいえば当たり前のことなのかも。

 

沖縄戦といえば未曾有の戦死者を出した戦いとしてご存知かと思う。県民の多くが死んでしまって死にすぎたせいで何人死んだかわからないくらいだ。

 

海軍の守備隊の大田実指令が自決する前の最後の電信は有名だ。

 

沖縄県民斯ク戦ヘリ

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

 

かくして、日本政府(ひいては天皇陛下)から「後世特別の御高配」として県民にプレゼントされたのが現在の米軍基地である。

 

米軍基地は良いものという認識。ただし自分たちの近所にあってもらっては困る。こういう日本感覚がずっと養われてしまっていたのでは。それだったらとんちんかんな宮崎駿批判も納得できないけど理解はできる。米軍基地を原発に置き換えても同じことになるようだ。

 

原発はぜったいに必要だけど都内に作って貰っては困る。でも君たちも原発で利益を得ているんでしょ。どうせこんな田舎ではろくな商売もないでしょ。」

 

うううむ。まったく米軍基地と同じロジックである。

 

米軍基地のまわりでレイプ事件や墜落事故が起きても知らん振り。

 

米軍基地が無ければ中国がたちまち襲ってくるというならば、それこそ皇居のそばに設置してもらって防衛して貰えば良いのだし、都内で電気が足りないとか本気で思ってるなら原発かって都内にいっぱい作れば良いのだけど。

 

それを指摘すると「わかってない」みたいにしたり顔で言う輩たち。僕は本当に、心底、そういう人たちが嫌いである。顔も嫌いだ。

 

そういえば宮崎駿原発批判をしたときも「じゃあ電気を使ってアニメとか作るなよ!」と口汚く罵ったりした人たちがいたっけか。じゃあ原発止まっている現在はお前らが電気を使うなよって正論で返したいところだけど。そもそも原発の発電量なんて公式発表でさえ三割程度だったんだから、原発推進するならその三割で生きろよと。そして沖縄には原発は無いってことは無視したりする。

 

こういう感覚を狂っているって思わないようでは、日本人の民度というも地に落ちてると言わざるを得ないんじゃないか。そもそも民度が高かった時代があったのかと疑問にさえ思えてきた。

 

マッカーサー「日本人の精神年齢は12歳」と言ったのは正しかった。歴史と伝統文化だけは無駄に長いけど、そもそも民衆として成熟する期間なんて、それこそ明治維新からこっちしか無かったのじゃないか。

 

海外の情報なんかにも、なんとかかんとかアクセスできるようになったのも戦後の何十年かでしかないのでは。とくにインターネットの普及が大きい。そういう歴史経緯や環境面などを考慮すると、自分たちが国内で教えられている「信頼できる情報」てやつは、実はかなり偏ったものなのだと、もっと謙虚かつ慎重になったほうが良い。

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映画館でなんでポップコーンなんか食わなければアカンのか

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映画オタのあいだで、映画館での受動ポップコーン問題が話題になっていて、それりについての意見をまとめてみた。

 

まとめてみる前からわかってたことだけど、人それぞれ許容できる範囲というのは様々であって、紙やプラスチックの袋がガサゴソいうのですら許せんという人から、ポップコーンの匂いが許せんという人から、会話されるとかでないなら大丈夫、はては椅子を蹴られる以外は平気という心の広い人(もしくは神経が大雑把?)もいる。そして五月蝿くなければ映画館という気がしないという人だっている。

 

皆が集まって映画を観るんだからどこかで線引せねばならんのだけど、どこらへんが妥当かというのは多数決で決めるよりも他にない。たとえば喫煙者が多かった時代なんて、映画館でタバコを吸いながら映画を観れた。こんなことをいうと驚かれる世代もいるかと思うけど本当のことだ。今でも一部の古い映画館では喫煙できたりする。

 

もう少ししたら、居酒屋やレストランで喫煙することすら、言語道断の暴挙といわれる時代が到来するだろう。だって考えて欲しいが、居酒屋やレストランは人が御飯を食べるところである。そういう意味から考えると、映画館以上に喫煙なんてとんでもない事じゃないだろうか。でも現在はまだぎりぎり分煙ということで踏みとどまっている。まだまだ御飯を食べながら飯や酒を楽しみたい人がたくさん残っているからだろう。

 

映画館はタバコを吸いながら映画を見たいという強い要望が無くなってきたからタバコを吸える場所ではなくなった。電車なんかも、昔は喫煙出来たけれどこれも禁煙に移行したわけだ。新幹線はまだまだ喫煙車両が幅を利かせているが、切符の値段が高いのだから、喫煙者を排除したら売り上げが落ちるという意識がJRの中に残っているのだろう。しかし風前の灯とも思える。「20XX年3月より新幹線全車両禁煙!」という謳い文句が目に浮かぶようだ。

 

僕は現在のところ喫煙者ではないので、受動喫煙はまっぴら御免なので、こういう流れには賛成ではあるが、けっしてモラルとして絶対正義とは考えないし、僕の要望が聞き入れられたわけではないのは知っている。だってそもそも、今まで生きてきて一度だって「食事中に喫煙やめて貰いませんですかね?」などと直接誰かに(店にも、客にも)要望したことは無いし、そういう政治的な運動に参加したこともない。たまたま、時代が禁煙の風潮になってきて、そして僕が禁煙者(15年くらい禁煙している)だったというだけである。

 

日本の映画館がこれからどういう方向に進化してくのかちょっとわからない。映画鑑賞中の飲食なんて言語道断の暴挙として排除されて、ややこしい私物は必ずロッカーに預けておくのが当たり前。上映中は一切の物音を立てず、背筋をまっすぐに伸ばしてスクリーンに集中すること。うっかり居眠りなんてしてイビキなんてかこうものなら大顰蹙でインターネットに「とんでもない客がいたせいで映画が台無しになった」と愚痴られる……。

 

そんな時代が来ないとも限らない。なんせ日本人は異常に潔癖なところがある。そして映画の上映中の時間を神聖な時間としてとらえているのか、不真面目な態度をものすごく嫌っているようだ。決してアメリカ人みたいに映画は所詮エンターテイメントと割りきって「ヒャッハー!」とか「USA!USA!」とか、ナチョやポップコーン撒き散らしたりとかっていうノリにはなりそうもない。

 

どちらかといえば、数十年前の日本人観客の方がまだ、映画館での振る舞いにアメリカ人みたいなフリーダムさがあった。それが現代に至るまでどんどん大人しくなっていっているということは、今後も大人しくなっていきそうな雰囲気はある。ここから騒ぐ方向に行くとはとても思えない。

 

これがプロ野球観戦だったら、日本人観客は太鼓叩いたりラッパ吹いたりの馬鹿騒ぎが好きで、アメリカ人の野球好きからしたら「騒ぎすぎだろあれ!」とか言われるくらいなのだけど不思議なものである。

 

ともあれ、もし将来的に、劇場内では一切の飲食禁止で、観客はきっちりした服装で粛々と映画を見るべき、なんていうクラシックコンサート会場みたいなものが映画館として当たり前になったら、僕はどうするだろうかと考えている。

 

仮にそうなったら、映画の料金だって、2500円とか3000円くらいには値上がりしてそうである。お金に余裕のある人や、よほどの映画マニア向けの娯楽になっているに違いない。

 

でもそれだと今どんどん増やしているスクリーンも、半分くらいになってしまいそうなので、映画会社としても、そこまでガチガチに縛りたくはないだろう。

 

そもそもポップコーンやホットドックを販売しているのは映画館の売店なのだから、飲食禁止に踏み切るとは(今のところは)思えない。

 

実は映画のチケットのお金は、6割くらいが配給会社に持っていかれるらしい。ポップコーンやコーラなどの収益が劇場にとっての利益の柱になっているのだ。だから、例えば缶ビールやマクドを持ち込んで食べてたら、映画館は儲からないということになる。飲み食いせずに粛々とストイックに映画を観る客も、劇場からしたら大嫌いということだ。

 

映画館を潰さないためにも、劇場内でポップコーンを買って欲しいという意見もある。利益率の高いポップコーンが売れなくなったら、ほとんど利益が出ないそうなのだ。

 

でもちょっとまって欲しい。映画のチケットは1800円というのがだいたいの相場である。ここに350円のポップコーン代が含まれるなら、映画を一本観るのに2150円かかることになる。コーラをつけたら2300円とかだ。

 

映画を観るのに2300円かかると言われたら普通に躊躇してしまう。客がポップコーンとコーラを買わないと利益が出ない構造になっているのは問題ではないだろうか。もうちょっと配給会社の取り分を減らせよとは思う。それでなくたって日本の映画料金は高すぎると言われているのに。

 

結果的に2300円支払ったとしても、もうちょっと楽しめた結果なら構わないのだろうけど。いずれにせよ、ポップコーンとコーラでは魅力薄である。

 

これがプロ野球の観客ならば、試合の展開によっては500~600円の生ビールをガンガンお代わりしたりする。グッズもけっこう売れる。一回球場に足を運べば、なんだかんだで5000円くらい使っていたりすることも稀ではない。

 

映画館がそっちを目指そうとすると、どうしたってUSA!USA!式か、太鼓叩いて大騒ぎみたいになってしまうので、日本の映画オタが理想とする「粛々と観賞して回りに迷惑にならないスタイル」からは遠くなってしまうだろう。

 

いっそのこと、映画館と居酒屋をくっつけてもらいたいと個人的には思う。大瓶ビール380円(ほんとは350円と言いたいところだが映画文化の振興を考えてこれくらい)でビールがぶ飲みしながら映画が見れるなら映画館にもっとお金を落とす。おつまみは今までのポップコーンとホットドックで構わないので。どうせ二時間くらいのことだ。その代わり、映画を見ながらガンガン追加注文できるようにして欲しい。それだったら持ち込みとかしないし。ちょっと映画館に行く回数も増えるかもしれない。

 

あ、あと、ビールを飲み過ぎてトイレに行ってる時に映画がわからなくなって困らないように、通路とかトイレにも映画の様子がわかるスクリーンを付けておいて欲しい。(野球場では通路にモニターがある)

 

もしくは一時停止を頼みたい。

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沖縄県民が県知事に騙されている可能性!?

www3.nhk.or.jp

暗い気持ちになる辺野古基地移設問題。

 

知事の指示の取り消しが決まるなら何のための知事の権限なのか。そして知事を選挙で選んだ県民の声を踏みつけにするのか。これが日本政府、ひいては自民党のやり方なのである。自民党の意向により沖縄のサンゴ礁は荒らされ、そしてジュゴンは死ぬ。ジュゴン沖縄県民なのに。

 

しかし知事と政府とのやりとりのなかで、ひとつだけ解せぬところがある。

 

翁長知事は、沖縄防衛局が名護市辺野古沖でのすべての作業を1週間以内に中止しない場合、前の知事が出した、埋め立て工事で岩礁を破壊する許可を取り消す姿勢を示していました。

 

姿勢だけ?

 

なぜ取り消さないのだ? 

 

本当に基地に反対なら、許可を取り消す事に何の躊躇があるのだろうか?

 

取り消さない理由が全くわからない。もしあるとしたら前に書いた記事でも引用したブログの情報にある通り、知事は土建で利益をあげようとしているので、ポーズだけ反対派ということ以外にちょっと思いつかない。

 

butao.hatenadiary.com

 

そう考えると、翁長県知事は、前知事の許可の取り消しをチラつかせるだけチラつかせて、本音としては工事を邪魔するつもりはなく、自分の後援者に利益を誘導しようとしているだけということになる。そうだとしたら、このタイミングで農林水産省に知事の権限をストップさせられるのは非情に都合がよいことになる。

 

「頑張ったけど政府の命令で何も出来ませんでした」と堂々と県民に言えるのだ。

 

まだそうとは決まってないかもしれないが、結果的にそうだったら、あまりにも県民をバカにしてないだろうか。他人の気持ちをもてあそぶ悪魔の所業といえる。

 

それもこれも辺野古基地の建設が強行されるかどうかで判断できることだろうけど、建設されてしまってジュゴンも死滅してからしか本当の事がわからないというのは悲しい。なにしろ「ジュゴン沖縄県民」なのだ。

 

 

 

沖縄県有権者で基地に反対していた人は「頑張ったけど力及ばずでした」なんてズルい言い訳に騙されないで欲しい。

 

政治家の良し悪しを判断するうえで、イメージ戦略に乗ることがもっともよくない。何をして、何をしなかったのか、が重要なのである。税金を下げますといって下げなかったら下げる気は無いのであるし、基地に反対しますといって反対しきれなかったのなら反対する気は無いのである。原発を止めるといったのなら、何があっても止めるべきなのである。それで暗殺されたらしょうがないと割り切るしかない……。

 

何度も言うが、中国に珊瑚を荒らされるから、移設は仕方がないという前に、自分たちで荒らしてどうすんねんと。やられる前にやるしかないので戦争は仕方がないといって国民を殺しまくっといて、結局アメリカに降参するのが被害がいちばん軽かったという前の戦争と同じ馬鹿さ加減なのである。まあ、そのアメリカの基地問題で揉めているというのが、とんでもない皮肉なのだけど。戦前戦中はアメリカに無茶苦茶されると言ってた政府が、こんどはアメリカ様に出て行かれたら中国に無茶苦茶されると言っている。所詮こんなもんなのだ。庶民はいつだって偉い人間の適当な理屈に振り回されるのだ。

 

こちらは内地から見てるだけなので、何の援護射撃もできないのが残念ですが、引き続き温玉ブログでは辺野古基地移設には反対の姿勢を示し続けていこうと思っております。

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